父、背中を洗う
賑やかな肉の宴を経て、翌日。昨夜と変わらぬ山菜づくしの朝食を食べ終えたニックは、朝からゆったりと温泉に浸かっていた。
「ふぃー……朝日を見ながら温泉というのもまた格別だな」
『こんな贅沢を覚えて、今後苦労しても知らんぞ?』
「ははは、言うではないかオーゼン。その場合は『王の湯船』でも発現させてみるか?」
『貴様、偉大なる王能百式を風呂如きに使うつもりか!? まったくこれだから貴様という奴は……』
ニックの股間には今日も黄金に輝く獅子頭が鎮座しており、二人はくだらない冗談を言いながら湯の熱さを堪能していく。そうしてしばらく経つと、不意に脱衣所の方から小さな人影が二つニックの方へと近づいてきた。
「あー、いたなオッチャン!」
「お、おはようございます……」
「おお、アーニルドにオットーではないか。どうしたのだ?」
腰に布きれを一枚巻いただけの姿でやってくる子供二人に、ニックは軽く声をかける。昨日盛大に肉を振る舞ったおかげか、二人の子供達はすっかりニックに気を許していた。
「へへー! オッチャンが温泉に入ってるって言うから、背中を流しにきたんだ!」
「昨日、いっぱいお肉をもらっちゃったから……」
「そうかそうか! そういうことならひとつ頼むか」
「よっしゃー! オイラに任せとけ!」
洗い場の小さな椅子にどっかりと腰を下ろしたニックを前に、ただ一枚身につけていた布きれを外し、丸出しの素っ裸になったアーニルドが豪快に布を振り回しながら声をあげる。それに対してオットーもまたモジモジと恥ずかしそうにしながらも布を外し、木桶に汲んだ湯に布を浸してニックの大きな背中を擦り始めた。
なお、ニックの股間に輝く獅子頭については昨日の宴会の間にホッタテが面白おかしく話していたため、チラ見をされたくらいで改めて驚かれたりはしなかった。
「オッチャンの背中、でけーなぁ」
分厚い筋肉に覆われたニックの背中のうち、アーニルドは左側を洗っていく。力任せにゴシゴシと擦るやり方はともすれば乱暴にすら思えるが、竜の牙すら通さないニックにとっては子供の全力などくすぐったいとすら思わない。
「ホント、凄く大きいね……」
そんな兄とは裏腹に、オットーの方は優しく丁寧にニックの背中を磨き上げていく。まるで窓を拭くかのような手つきは背中を流すという意味では微妙に疑問が浮かばなくもないが、鋼鉄よりも硬いニックの背中を流すというのであればむしろ正しい可能性も無きにしも非ず。
「でも、何かすげー綺麗だよな? 何でだろ?」
「うん? 何でというのは?」
背後から聞こえてきた不思議そうな声に、ニックは首だけを動かして軽く振り向きながら問う。
「だって、オッチャン冒険者なんだろ? 色んな魔物と戦ったりしてたら、怪我とかするんじゃねーのか?」
「だ、だよね。ボク、凄い冒険者さんは体中傷だらけなんだろうなって思ってたよ」
「ああ、そういうことか」
子供達の純粋な疑問に、ニックはなるほどと小さく頷いてからその答えを語っていく。
「冒険者は確かに危険は仕事だが、世間一般で思われているほど怪我というのはしないのだ。怪我をすれば仕事ができなくなってしまうし、それを治すにも金がかかるからな。
故に、普通の冒険者は怪我をしないような依頼しか受けないし、怪我をせずに倒せるような魔物としか戦わない。やむを得ない事情で怪我をしたとしても仕事が続けられるようにすぐに治療するし、それができないほどの大怪我だと冒険者を引退せざるを得ないことになる。
その辺を踏まえると、『傷だらけの冒険者』というのは己の実力を弁えずに強敵とばかり戦い、そのくせ治療に使う金を惜しんだ愚か者……ということになる。勿論実際には個人の事情や考え方もあるだろうが、少なくとも仲間を募集する時に傷だらけの者を選ぶようなことはしないだろうな」
「えーっ! 何かガッカリだな」
「そうだね、お兄ちゃん」
物語に出てくるような英雄は、その体に歴戦の痕を残していることが割とある。そういうものを想像していただけに、ニックの語った現実に二人の子供は素直に落胆の言葉を口にした。
「更に付け加えるなら、英雄と呼ばれるほどに強い者になると、古傷すら消せるような回復薬を普通に手に入れられるようになる。思い入れのある傷だけは残すという者もいるが、そうでなければ強い冒険者ほどその体は綺麗なのだ。
まあ、見た目が綺麗なだけで癒やされ消えた傷の数そのものは途轍もない量であろうが」
「ふーん。じゃあオッチャンも実はすっごい傷だらけだったりするのか?」
「ああ、そうだぞ。よーく見たら見つけられるかもな」
「ホントか!? よーし、じゃあ徹底的に洗って、絶対傷跡を見つけてやるぜ!」
「ぼ、ボクも頑張る!」
ニヤリと笑うニックの言葉に発憤し、アーニルドとオットーが必死にニックの体を洗いながら傷跡を探していく。
もっとも、昔「娘に怖がられるから」という理由で全身の傷を徹底的に治したニックの体に見えるような傷跡があるはずもない。皮が剥けそうなほどにニックの背中を擦り上げるアーニルドにも、筋肉の膨らみによる凹凸一つ一つまで丁寧に洗ったオットーにも、結局傷を見つけることは敵わなかった。
「よーし、もう十分だ。そのくらいでいいぞ」
「くっそー、結局見つかんなかった!」
「そいつは残念だったな。だがおかげで背中がスッキリした。ありがとうアーニルド」
「へへー、オイラにかかればこのくらい楽勝だぜ!」
振り向き笑顔で頭を撫でるニックに、アーニルドが得意げに笑う。
「お主もだオットー。丁寧に洗ってくれてありがとう。気持ちよかったぞ」
「へへへ……」
隣にいるオットーの頭も撫でると、照れくさそうに頬を染め俯いたオットーがモジモジと体を揺する。対極的だがどちらも子供らしい二人の反応に、ニックの笑みは止まらない。
「よし、なら今度は儂の番だな。お主達の背は儂が洗ってやろう」
「えー、いいよ? 子供じゃないんだから、背中くらい自分で洗えるぜ!」
「う、うん。恥ずかしいし……」
「ははは、遠慮するな! ほれ、座ってそっちを向け!」
遠慮する二人に対し、ニックはちょっとだけ強引にひょいと二人の体を抱え上げ、洗い場の椅子にそのまま座らせる。そうして小さな二つの背中を前にすると、満面の笑みを浮かべて布を持つ手をワキワキとさせる。
「ふっふっふ、まずはアーニルドからだ! ほれほれ!」
「ちょっ!? くひゃ!? く、くすぐったい!」
ケラケラと笑いながら身をよじるアーニルドを気にすること無く、ニックはその背中のみならず首筋や腹、脇の下など全身を洗っていく。必死にそこから逃げようとするアーニルドだったが、ニックの大きな手がガッチリと体を支えて離してはくれない。
「ひ、ひきょうだぞオッチャン……ぐふっ」
そうして全身を洗い終えると、ようやく解放されたアーニルドが笑いすぎたお腹に手を当てその場でぐったりとする。そんな兄の姿に戦慄するオットーに、無慈悲にも筋肉親父の魔の手が迫る。
「さあ、次はお主だオットー。覚悟はいいか?」
「ひぃぃ!? や、優しくしてください……」
兄を置いて逃げることもできず、泣きそうな顔でそう言うオットーの背にニックの手にした布が当たる。が、予想に反してその手つきは優しく丁寧であり、最初こそ怯えていたオットーはすぐにその動きに身を任せていく。
「あっ……」
「ふふふ、儂はやられたことをやり返しているだけだからな。お主は丁寧に洗ってくれたから、儂も丁寧に洗ってやろう」
「んっ……あふぅ……」
ニックの手が優しく体を擦る度、オットーは吐息を漏らしてピクリと体をよじらせる。そうして全身を洗い終えると、茹で上がったように真っ赤な顔をしたオットーはぽーっとその場で動かなくなった。
「むぅ、これはちょっとやり過ぎたか……?」
そんな子供達の姿に、ニックは何とも困った顔をする。完全に基人族にしか見えない子供達の尻の上辺りから、茶色の毛並みに先っちょだけが黒い丸くて太いモフモフの尻尾が見えていた。
※狸の尻尾はしましまでは無いというご指摘をいただきまして、そこだけ修正しました。





