父、報酬を渡す
「うぅ、我慢だ我慢……」
「お腹空いた……」
今にも涎を垂らさんばかりの二人の子供の手には、まだ十分にできたてと言える料理の盛られた皿がある。
だが、それを食べるわけにはいかない。何故ならそれは宿の客に「庭で食べたいから運んでくれ」と頼まれたものだからだ。
食べたい、でも食べられない。食べてはいけない料理の誘惑を悲壮な顔で振り切ろうとする子供達を率いて廊下を歩くのは、当然ながら料理を運んでくれと頼んだ人物……即ちニックである。
「ほれほれ、しっかり運べ! もうすぐだぞ!」
「わかってるよ! ちくしょー……」
自分達の前を笑顔で歩くニックの存在は、アーニルドからすれば自分達に嫌がらせをして楽しんでいるようにしか思えない。それでも母に迷惑をかけないために空きっ腹を抑えてニックの後を着いていくと、宿から出てすぐのところでようやくにしてニックが立ち止まった。
「よし、この辺がよさそうだな。では、この上に置いてくれ」
そう言いながらニックはまず魔法の鞄から高い光量を誇る高価なランタンを取りだしてつける。そうして夜の闇が払われた一角に、今度はわりと大きなテーブルを取りだした。
なお、ランタンはともかく何故テーブルを持ち歩いているのかと問われれば、特に理由は無い。何でも幾らでも入るからと適当に色々な家具を詰め込んでいたものがたまたま役に立っただけである。
「うおっ!? 何だよそれ!?」
「あんなちっちゃい鞄から、テーブルが出た……!?」
「ははは、細かいことは気にするな。それよりほれ、早くここに置くのだ」
驚く子供達をニックが促し、すぐにテーブルの上に料理の乗った皿が置かれる。それをひょいと一口食べると、ニックは徐に声を上げた。
「うむ、美味い! やはり開放的なところで食う飯は美味いな!」
「……なあ、オイラ達はもういいか?」
「おっと、そういうわけにはいかん」
自分を恨めしげな瞳で見つめるアーニルドを、ニックはそう言って引き留める。
「なんだよ、まだ何かあるのか!? オイラが手伝うから、オットーは帰ってもいいだろ?」
「お兄ちゃん……」
「待て待て、慌てるな。引き留めたのは仕事ではなく、報酬を渡すためだ。働いてくれたからには相応の報酬があって然るべきであろう? そこには大人も子供も関係ないからな」
そう言って笑うニックに、しかしアーニルドの表情は冴えないままだ。
「報酬……いいよ別に。ここで銅貨とかもらっても、使える場所がないし……」
「ほう? 本当にいいのか? 儂が二人に渡す報酬は……これだぞ?」
ふてくされたような表情のアーニルドに対し、ニックはニヤリと笑って魔法の鞄から魔法の肉焼き器を取り出す。
「なんだよそれ? そんなでっかいのをくれるのか?」
「いや、流石にこれはやれん。が、これで作ったものを報酬にしようと思ってな。見ておれ……」
言うが早いか、ニックは更に魔法の鞄に手を突っ込み、今度は大きな肉の塊を取り出す。それを肉焼き器にセットしてハンドルを回せば、軽快な音楽と共に巨大な肉塊が美味しそうに焼けていく。
「……………………」
「ここだっ!」
食い入るように肉を見つめる子供達の前で、ニックは肉を焼き上げる。そうしてこれ以上無い程にこんがり焼き上がった肉を追加で取りだした皿に乗せると、ニックはアーニルドに差し出した。
「ほれ、これが報酬だ」
「い、いいのか!?」
己の顔ほどもある大きな肉を前に、アーニルドが目をキラキラさせながらニックに問う。それを見てニックが頷くと、アーニルドはすぐに肉に齧り……つこうとして、すぐ側で羨ましそうな顔をしている弟の方を向く。
「オットー、お前が先に食え」
「いいの? だってそれ、お兄ちゃんがもらった肉なのに……」
「いいんだよ! ほら!」
おずおずとオットーが伸ばした手にアーニルドが肉を渡そうとし、しかしそれをニックの大きな手が阻む。
「何すんだよオッチャン!?」
「ふふふ、慌てるなと言ったであろう? その肉が料理を運んでくれた報酬だとして、運んだのはお主だけだったか?」
「え? そりゃオットーも一緒に……っ!?」
「ぼ、ボクにもくれるの?」
すがるような目つきで見上げてくるオットーに、ニックは無言で背を向ける。背後から感じる不安そうな気配はニックが魔法の鞄から追加の肉を取りだした瞬間に霧散し、代わりに感じるのはソワソワとした雰囲気だ。
「ふんふんふーん……ここだっ!」
もはや熟練肉焼き師となったニックの手により、追加の肉も当然の如く極上のこんがり具合に焼き上がる。それもまた更に乗せてオットーに手渡せば、それまでずっと食べるのを我慢していたアーニルドがオットーと顔を見合わせ、二人一緒に大きな肉に齧り付いた。
「うめー! 何だこれ!? スゲーうめー!」
「お、美味しいね、お兄ちゃん」
「ははは、そんなに慌てて食べては火傷してしまうぞ? もっとゆっくり食べろ。足りなければおかわりもあるしな」
「いいのか!?」
「な、ならボク、今度は自分で焼いてみたいな……」
「いいとも。儂が上手に焼けるコツを教えてやろう」
「うおー! それならオイラも焼きたいぜー!」
口の周りを肉の脂でべちゃべちゃにしながら、二人の子供達が喜びの声をあげる。そんな騒ぎを聞きつけてか、宿からオカミとホッタテの二人も出てきて、この騒ぎを前に驚きの表情を見せる。
「まあまあ! お客様、これは一体……!?」
「おうおう、何だか騒がしいと思って出てきてみりゃ、オレッチ抜きで何してやがんだコンチキショー!」
「はっはっは、オカミ殿の料理は絶品であったが、儂の体では些か足りなくてな。ならばと自前で肉を焼いていたのだ」
「母ちゃん、オイラ肉もらった!」
「お母さん、ボクも……」
大きな肉の乗った皿を持ったまま、二人の子供達が母親の方に駆け寄っていく。そんな子供達の笑顔を見て、オカミは大変に恐縮してニックに向かって頭を下げた。
「申し訳ありませんお客様。うちの子供達がお世話になったようで……この肉の分は宿泊料から差し引かせていただきますので」
「いやいや、そんな必要はありませんぞ。これはこの二人にここまで料理を運んでもらった報酬として渡したものですからな。
それよりも、せっかくここに出てきたのですし、お二人も一緒にどうですかな?」
「ええっ!? そんな、私まで肉をもらうなんて、ご迷惑じゃ……」
「オレッチはもらうぜぇ! オカミさんの料理が美味いってのは同意するが、流石にそろそろ肉も食いたいと思ってたからな!
ってことで、オレッチがもらうんだからオカミさんも気にしないでもらった方がいいぜ? じゃなきゃガキ共まで遠慮しちまうんじゃねーか?」
「そ、それは……」
ホッタテの言葉に、オカミは子供達の顔を見る。オットーの方は肉に夢中だったがアーニルドは自分を心配そうに見ており、確かにここで遠慮しては子供達が気兼ねなく食べることができなくなってしまうかも知れない。
「……わかりました。そういうことならご馳走になります」
「うむ、決まりだな。ああ、あらかじめ言っておきますが、遠慮は無用ですぞ? 何せ肉はまだまだ食い切れないほどありますからな!」
豪快に笑いながらニックが取りだしたのは、解体前のブラッドオックス。丸ごと一頭分の肉となれば、とてもこの人数で食べきれるようなものではない。
「うぉっ!? どっから出しやがったんだコリャ!?」
「げ、幻術……じゃ、ないですよね?」
「食って美味いなら幻でもいいのかも知れませぬが、無論しっかり本物ですぞ。他にもまだまだありますから、好きなだけ食っていってくだされ」
「てやんでぇ! 太っ腹にも程があるじゃねーか! 流石オレッチを漢勝負で負かすだけのことはありやがるな、コンチキショー!」
「そんな、お肉を好きなだけなんて……」
ズビッと鼻を啜りながら笑顔で悔しがるホッタテと、あまりにも予想外の現実に唖然とするオカミ。対照的な二人を満面の笑みで迎え、ニックがにわかに開催した肉の宴は全員の腹をパンパンに膨らませるまで続くのだった。