父、衝撃を受ける
「お客様、お食事の用意ができました」
風呂から上がったニックは、オーゼンと話をしながらゆっくりと宿を見て回り、自分に見えていることと本物との違いを丹念にすりあわせていった。そうしてあらかたを見終え部屋に戻ってしばしくつろいでいると、コンコンとノックする音と共に扉の向こうからオカミの声が聞こえてくる。
「おっと、もうそんな時間だったか。わかった、すぐに食堂に行こう」
「ああ、違います。この宿ではお客様のお部屋に直接食事を運ぶことになっておりまして……」
扉を開けて応対したニックに、オカミが微笑みながらその言葉を否定する。
「ほう、そうなのか?」
「はい。ここには湯治でいらっしゃるお客様が多いので、そういう方だと部屋と食堂の往復だけでも苦労なされたり、食べるのに時間がかかる、あるいはやむを得ず食べ方が汚くなってしまう方などもいらっしゃいます。
そういうお客様にも気兼ねなく食事を楽しんでいただくために、ここでは最初から全てのお客様のお部屋に食事を運ぶことにしているんですよ」
「おお、それは素晴らしい気遣いだな! わかった、ではすぐに食べるから、食事を運んでもらえるか?」
「畏まりました。ではすぐにお持ちしますね」
ニックに褒められ、オカミがやや照れた顔をしながら下がっていく。その後ろ姿はどう見ても基人族であり、だからこそニックは何とも微妙な表情になる。
「むぅ、あの者が実は獣人なのか……しかし何故隠しているのだろうな?」
『さあな。考えられるとすれば獣人に対する差別や偏見などがある可能性だが……』
「ふーむ。国という単位でならそんなものは無いと言えるが、この辺りにいる個人の思想までは何とも言えんからなぁ」
獣人族は歴とした人間であり、公に差別するような国や制度は世界中のどの国にも存在しない。
が、どんな種族の中にも「自分達が最高であり、自分達以外を認めない」という者はいるものだし、またエルフやドワーフなどの精人族と違って見た目が獣や魔物に近い者が多いこともあって、なんとなく受け入れづらいと感じる者は多少なれど存在している。
あからさまに差別や嫌がらせをすれば罰せられることもあるが、個人の好き嫌いにまで言及するような法は流石に存在しないのだ。
『本人に事情を聞くのが一番早いのだろうが……』
「流石にそれはなぁ」
フラリとやってきた旅人と宿の経営者。その程度の関係性でこれ以上踏み込むのはなかなかに難しい。パーリーピーポーで出会った詐欺師のように悪意を持ってこちらを騙そうとしているのなら別だが、今のところぼろい建物を誤魔化されているというだけで、もてなしに関しては何の問題もないのが更に問題を複雑化させている。
「ま、しばらくは様子を見るしかあるまい」
『だな。我は我でしっかりと観察しておこう』
消極的だが現実的な妥協点に落ち着いて、ニックは大人しく部屋で待つ。するとすぐに湯気の立つ料理が部屋へと運ばれてきた。
「何分山奥なのであまり豪華なものではありませんが、精一杯の心づくしでございます。どうぞごゆっくりお召し上がりください」
「うむ、ありがとう」
「では、失礼致します」
一礼してオカミが去って行き、部屋に残されたのは皿に盛られた煮物や焼き物と、やや固めのパン。いい匂いのするそれらは、ニックにはなかなか美味しそうに感じられる。
「なあオーゼン。この料理は見た目のままなのか?」
『そう問われても、我には貴様にどう見えているのかがわからんのだが?』
「おっと、そうだったか。ならば……っと、儂が説明するより、お主に見えているものを教えてもらった方がよさそうだな。頼む」
どんな幻に見えているかに大した意味はなく、これが本当は何であるかこそが重要。そう考えたニックの頼みに、オーゼンが自分の視ているものを話し始める。
『わかった。ふむ……全般的に、草だな』
「く、草!?」
『ククク、言い方が悪かったな。おそらくは食べられる山菜などを盛り合わせているのではないか? 他には木の実やらキノコやらで構成されているようだ』
「おいおい、脅かさんでくれ。なるほど、山の幸か。そういうことならば安心していただくとしよう」
目の前に並んだ料理が食べられない物ではなさそうだと判断し、ニックはそれをパクパクと口にしていく。その際にフォークで刺したものを一つ一つオーゼンに確認してみると、どうやら料理に関しては幻術がかかっておらず、見えるままの食材が使われているようだった。
「うむ、美味いな。素朴だが力強い、何とも体によさそうな料理だ」
抜け切れていない苦みや渋みが口の中にやや残ったりもするが、それも含めて噛みしめるごとに体の内側が綺麗になっていくような気がする。そんな料理を堪能しながら、しかしニックの意識は小さく開けられた扉の隙間からこちらをうかがっている二人の気配に向かう。
「で、いつまでそこで覗いているつもりだ?」
「ぴゃっ!?」
突然ニックに声をかけられ、扉の向こうでガタンという音がする。そのまましばし無言で待つと、やがて部屋の中に覗きの犯人達がそろりと入ってくるのを感じた。それを受けてニックが振り返ると、そこには目の下にほんのりと隈のある小さな子供が二人、ションボリと肩を落として並んで立っていた。
「ごめんなさい……」
「いや、別に怒っているわけではないが……オカミ殿が言っていた二人の息子というのは、ひょっとしてお主達のことか?」
「そうだぜ! オイラはアーニルド! で、コイツが弟の……」
「オットー、です……」
おおよそ七歳くらいと思われるアーニルドが元気に挨拶をしたのに対し、それより少し年下……おそらくは四、五歳だと思われるオットーはアーニルドの背に体を半分隠すようにしておずおずと名前を言う。
そんな二人に対し、ニックは席を立って二人の側に近づいていく。怒られるかとびくりと体を振るわせた二人の前で腰を落として目線の高さを合わせると、二人の頭を撫でながらニッと笑って自分も挨拶をした。
「アーニルドにオットーか。儂はニックだ。よろしくな」
「何だよ、子供扱いすんなよオッチャン!」
「うぅぅ、怒ってない……?」
「ああ、さっきも言ったが怒ってはいないから大丈夫だ。だがどうして覗いていたのかは教えてくれるか?」
「そ、それは……」
「美味しそうな匂いがしたから……」
口ごもるアーニルドをそのままに、オットーがモジモジと体を揺らしながら小さな声でそう呟く。
「ははは、そうかそうか。確かにお主達の母親が作る料理は実に美味いからな。だがだからといって客が食事しているところを覗くのはよくないぞ。そんなに腹が減ったならば、こんなところで寄り道せずにオカミ殿の所に行ってお主達も夕食を食べてくればいいではないか」
「そう、だよな。その通りだ! ごめんなオッチャン。ほら、オットー、行くぞ!」
「うぅぅ、でも……」
ニックの言葉に、アーニルドがオットーの手を引いて部屋を出て行こうとする。だがオットーの方はジッと料理を見つめたままその場を動こうとしない。
「ん? どうかしたのか?」
「な、何でもねーぜ! おい、オットー?」
「戻っても、ボク達のご飯はないの……」
「ば、馬鹿! オットー! それは言っちゃ駄目だって言われてただろ!」
「飯が無い? それはどういうことだ?」
焦ってオットーの口を押さえるアーニルドの姿に、ニックはにわかに真剣な表情になって問う。そんな態度の変化を見て、アーニルドは慌てたようにバタバタと手を動かしながら言い訳の言葉を続けていく。
「ち、違うぜ!? 急にお客が増えたから今日の分の材料が足りなくなって、オイラ達で食べる分が無くなったとか、そんなことは全然! 全然無いんだからな!」
「何と!? それは……」
アーニルドの口から出た言葉に、ニックは強い衝撃を受ける。思わずギュッと拳を握りしめ、その場で瞑目して考えること数秒。
「なあアーニルドにオットーよ。お主達二人もこの宿の従業員ということであれば、ちょいと儂の頼みを聞いてくれぬか?」
ニヤリと笑った筋肉親父は、二人の子供に少々酷な頼み事をした。