魔王、覚悟を決める
「む……?」
魔王城、謁見の間。魔王オモテボスがヤバスチャンと仕事の話をしていると、不意に城がグラグラと揺れ出した。いや、城だけではない。少なくとも魔王が知る限り、この地揺れは魔族領域全土で観測されているものだ。
「収まったか……」
一分ほど続いたそれが終わると、魔王は軽いため息と共にそう呟く。それに答えるのは揺れが収まったことでコウモリから人型に戻ったヤバスチャンだ。
「ヤバスヤバス。魔王様、最近地揺れがヤバいくらいに多くないでヤバス?」
「そうだな。以前はこんなことはなかったと思うのだが……」
魔王が地揺れを経験したのは、ここ数年が初めてのことだ。かつて住んでいた田舎村は勿論、魔王になってからも「大地が揺れる」などということは今まで一度もなかった。
それ故に初めて揺れを感じた時は魔王としての威厳が損なわれないギリギリくらいまで取り乱したりしたのだが、たまたま居合わせたマグマッチョに「俺のいる火山の側なら地揺れなんて日常茶飯事だぜ!」と言われたのと、その後もそれなりの頻度で揺れることがあったため、今ではすっかり慣れきってしまっている。
「一体何が原因なのだ? 大地を揺らすような存在など見当も付かんが」
「そうでヤバス。そんなことができそうな者など、私でも二人くらいしか思いつかないでヤバス」
「えっ!?」
「さ、そんなことより報告を続けるでヤバス」
「あ、ああ。うむ……」
その二人というのが猛烈に気になったが、魔王として部下から報告を受けている現状、関係の無いことを話させ続けるのもよくない気がする。湧き上がる好奇心を必死に押さえ込み、魔王はヤバスチャンの話を聞く姿勢をつくる。
「ボルボーンの派遣した黒騎士の働きにより、戦況は再び膠着状態に陥っているでヤバス。今のままであればもう半年程度であれば人間軍を押さえ込めると思われるでヤバス」
「半年、か……まあそのくらいだろうな」
人間の軍の強さは、言ってしまえば魔導鎧の強さだ。それを着る者は世界中に何十万といるごく普通の兵士で十分である以上、魔導鎧の増産に合わせてまだまだその数を増やす余地があるということになる。
対して魔王軍の兵士は、当然ながら生身の戦士達だ。あらゆる傷を癒やすような高度な回復魔法や高級な回復薬というのはどうしても数に限りがあり、傷つき倒れた戦士達全てを完全に癒やすということは物理的に不可能だ。
つまるところ、人間の軍は時間と共にその数を増やすのに対し、魔王軍は減る。今は黒騎士という「異常に強い個」が存在することで人間軍の足が鈍ってはいるが、それも圧倒的な数を前にしてしまえば意味がなくなる。
「それで魔王様。あのヤバいくらいに強い黒騎士の装備というのは増産できないのでヤバス?」
「無理、だろうな。ボルボーンに聞いてみたが、あくまでも古代遺跡からの発掘品であり、自力で作れるようなものではないらしい。人間達の着ている魔導鎧のようにあれを解析して……というのは可能性としてはあるが、それではとても間に合わん。そもそも現状で黒騎士を下がらせたら、それこそあっという間に魔王軍が瓦解してしまう」
「むぅ、ヤバすぎるくらいにヤバいでヤバス……」
魔王の目の前で、ヤバスチャンがその端正な顔を歪ませて考え込む。だがそのヤバいくらいに明晰な頭脳を以てしても、即効性のある打開策というのは思いつかない。
「これは、真剣に検討せねばならんかも知れんな……」
「何をでヤバス?」
「無論、あの勇者が唱えた和平への道だ」
「それは……っ!?」
その意味を知っているからこそ、ヤバスチャンは驚きの声をあげる。だが魔王は静かに首を横に振ると、ゆっくりと言葉を続けた。
「魔神様を蘇らせることこそ、我ら魔族の悲願であった。だがそのためには魔族と人間が争うことでのみ得られる力を、あの宝玉『死の螺旋』に注ぎ込み続ける必要があった。
人間と戦うことしか魔神様を復活させる手段が無いのだ。和平など望めるはずもないではないか……」
まるでその場にいない誰かに語りかけるように、魔王が自嘲の笑みを浮かべる。
「だが、時代は変わった。これまで鉄壁の守りであった『境界の森』は既に抜けられ、人間の軍は魔族領域に凄まじい勢いで食い込んできている。
戦場は完全にこちらの領域となり、魔王軍は日々削られている。こうなればもはや、魔神様の復活までは持たんだろう。我らは人間の領域を占拠したり支配したりするつもりはなかったが、人間側は違うようだからな」
「魔王様…………」
「民の安寧を求めるならば、答えなどあの森を抜けられた時点で出ていたのだ。魔神様の復活さえ諦めれば、それは決して遠い道ではなかったのだ」
「なら……諦めてしまうのでヤバス?」
何処か遠い目をする魔王に、ヤバスチャンが責めるでも促すでもなく、ただそっと問い掛ける。そんな部下の気遣いに、魔王は小さく苦笑して答えた。
「まさか。余は魔王だぞ? 魔神様に選ばれ力を与えられたその日から、余の答えは変わらない。それに……」
そこで一旦言葉を切ると、魔王は謁見の間の奥にある宝珠の方に目を向ける。黒くて重い、粘つくような闇が内部で蠢いているそれは、日課として魔力を注ぎ込んでいるものだ。
「我ら魔族を救い、その代償として眠りに就かれた魔神様を余まで見捨てては、あまりにも不義理ではないか。
今日の平穏を求める民を責めはせぬ。だが余は、余だけは最後の最後まで……この身が勇者に討たれ、余に溜まった魔力の全てがこの宝珠に注ぎ込まれるその日まで戦い続けるさ」
ごく平凡な魔族が、ある日突然絶大な力を与えられ魔王となる。如何に力を尊ぶとはいえ、ただ選ばれただけの魔王に全ての魔族が頭を垂れるのは、その運命の終着点が、遠くない未来に「勇者に討たれる」ことであるが故。
己の命を以て魔神への献身を果たす。ひょっとしたら逃げられるかも知れないその運命を正面から受け入れると宣言した魔王に、ヤバスチャンはその場で膝をつき恭しく頭を下げる。
「……我ら魔王軍もまた、魔王様と魔神様のために戦い続けることを誓いま……ヤバい位に誓うでヤバス」
「……そこくらいは言い直さなくてもよくないか?」
「こういうのはヤバい位に徹底するのが必要なのでヤバス」
思わず苦笑いした魔王オモテボスに、ヤバスチャンがニヤリと笑って言う。そんな部下の忠義が嬉しくて、魔王は暗かった表情を切り替え、努めて明るい声で言葉を続けた。
「なに、あと半年持つということであれば、冬になる。そうなれば人間の軍とて一度引くであろうし、その時間でこちらの軍備を整えれば……何とか決戦の場くらいは用意できるようになるはずだ」
「では、春になったら決着をつけると?」
「まあ、そんなところであろうな。それまではなんとか戦線を維持してくれ。ただし、あまり無茶はしすぎないようにな。本当に和平への道を歩くというのであれば、余が倒れた後こそ大変であり重要なのだぞ?」
「わかっております。そちらの準備もヤバいくらいに抜かりなく」
「そうか……なあヤバスチャン。今代の四天王はなかなかに癖のある者ばかりで、余としては上手くやっていけるか不安で仕方が無かったが……少なくともお前は、ヤバいくらいに頼りになる者であったぞ」
「勿体ないお言葉でヤバス」
少しだけ寂しげに笑う偉大なる王の言葉に、ヤバスチャンは心からの敬意を込めて一礼するのだった。