父、やり込める
「……とまあ、そんなことがあったわけよ」
さっぱりとした顔で話を終えたフーリル。あまりにも平然と裏切りを語るその態度に、サギッシは怒りすら忘れた驚愕の声でフーリルに問う。
「つ、つまり、あれか? そんなくだらない、どうでもいい言葉ひとつで私を……この私を裏切ったというのか!?」
ワナワナと震える指先を突きつけられ、理解できないとばかりに幾度も首を横に振るサギッシ。そんなサギッシの言葉を受けて、フーリルは思わず苦笑してしまう。
「そうね。貴方から見れば……ううん、他の人や、それこそそれを言ってくれたツイナちゃんから見たって、きっと大したことのない言葉なんだと思う。
でも、アタシはそれに救われたの。特別でもなんでもないごく普通の言葉だから、ただ自然に口から出た言葉だったからこそアタシの心に響いたのよ。
あと、そもそも勘違いしてるんでしょうけど、アタシは最初から貴方の言うことなんて聞くつもりはなかったわよ? できれば貴方を誤魔化すために協力してもらえればって思って声をかけただけで、この子を攫うつもりなんて最初から無かったわ」
「…………そうですか。つまり自分の手を汚すくらいなら、大事な大事なお仲間のことはどうでもよかったと?」
「そんなことないわよ。北区に集まる人達はみんな大事なお友達ですもの。ただ貴方が大きな勘違いをしてたってだけ」
「勘違い、ですか?」
訝しげに眉をひそめるサギッシに、フーリルは軽く俯く。
「そう。確かにアタシ達は日陰者よ。似合いもしない可愛い服が大好きだったり、同姓しか愛せなかったり、痛みを受けたり与えたりするのが好きだったり……なかにはもっとずっと凄い、それこそ口には出せないような趣味の子もいるわ。でもね……」
そこで一旦言葉を切ると、顔を上げたフーリルは堂々とサギッシに言い放つ。
「アタシ達は変態ではあっても、貴方みたいな外道じゃないのよ! 他人を脅してか弱い女の子を襲わせるような情けない卑怯者に屈したりなんかしない! そんなものに負けるくらいなら、そもそもとっくに『世間』に負けてるわよ!」
「おおー! フーリルかっこいー!」
「フフン、そう?」
背後からパパカツイナに褒められて、フーリルが少しだけ照れた様子で、だが得意げに笑う。
サギッシが帰ったあと、大事なことだからと仲間内で話し合った時、オロオロとうろたえる者や怯えて泣き出す者はいたが、誰一人として「言いなりになって女の子を攫おう」と言う者はいなかった。誰からも虐げられ、誰よりも痛みを知っているからこそ、誰もが皆他の誰かを傷つけようとはしなかった。
仲間達のその思いは、フーリルの宝であり誇りだ。世間や常識からは外れても、人の道からは外れない。そんなみんなが褒められたようで、フーリルの胸に温かいものが満ちる。
「とまあ、そんなわけでな。フーリル殿とツイナから相談を受けて、お主を逃がさず確実に捕らえるためにこの状況を用意したというわけだ。もう観念して諦めろ」
「ふ、ふふふ……何を諦めろと?」
ニックの言葉に、サギッシが不敵に笑う。そこにはまだ余裕があり、決して諦めた者の顔ではない。
「なるほど確かに人質を取ることには失敗したようです。であれば貴方に対するお願いも、聞いてはもらえないでしょう。
ですがそれだけです。結局何もしていない私に、貴方達ができることもまた何もない! 私を逃がさないなどと言っておりましたが、まさか暴力に訴えるおつもりですか? ああ、何と恐ろしい! 何もしていない善良な商人である私を無理矢理に押さえつけるなど、それこそ衛兵が飛んできてすぐに貴方達を捕らえてくれることでしょう!」
まるで吟遊詩人の如く高らかと唄いあげたサギッシの台詞は、確かに間違ってはいない。サギッシが行った悪事は全て状況証拠のみで、フーリルやニックが「脅された」と訴えてもその真偽を確認する方法が無いのだ。
「ふふ、それとも無実の私を訴えてみますか? 北区に籠もる変質者の親玉と、ただの平民となった元勇者の父の言葉が果たしてどれだけ信頼されるでしょうか? ええ、それがご希望であれば是非ともそうしてください! 私は逃げも隠れもせず、その全てを正面から受けて立ちましょう!
まあ、その際には私が北区で拾ったあの小瓶が発見され、その証言を元に執拗な調査が始まることでしょうけどね」
「……貴方、本当に性格が悪いわねぇ」
「おーじょーぎわ? も悪いよねー」
「ははは、まあ小悪党というのはそういうものだからな」
敵に自分を捕らえる手段はなく、仮に捕まったとしても幾らでも言い逃れができる。己の弁舌を信じるからこそ優位を疑わないサギッシだったが、明らかに軽いニック達の反応に思わず首を傾げてしまう。
「……どういうことです? 確かに貴方に対する復讐は一旦諦めざるを得ませんが、それでも――」
「言ったであろう? お主を確実に捕らえるために、この状況を用意したとな」
「全員、動くな!」
ニヤリと笑ったニックの言葉に合わせるように、倉庫の扉という扉、窓という窓が音を立てて開け放たれる。にわかに差し込んだ強い日差しと共に倉庫内に駆け込んでくるのは、一〇人を超える大量の衛兵達。
「なっ!? こ、これは……!?」
「ここに違法薬物を持ち込んだ者がいるという通報を受けてやってきた! 全員その場で動かず、大人しく調査を受け入れろ!」
衛兵の一人が発したその言葉に、ニック達は薄笑いを浮かべながら両手をあげて無抵抗の姿勢を取る。そうして持ち物を調べられていくが、当然違法な物が見つかるはずもない。唯一フーリルを調べていた衛兵だけが微妙な表情を浮かべていたが、その程度ならばフーリルには慣れたものだ。
「あったぞ!」
そんな三人とは違って、慌てふためくサギッシの懐からは怪しげな小瓶が発見される。ニックの読み通り、サギッシは切り札たるそれを肌身離さず持ち歩いていたのだ。
「ち、違うのです! それはその……この町の北区で偶然拾ったのです! それを拾ってしまったことで、この男達から脅されて……そう! それでこの倉庫に呼び出されたのです!」
自分を睨み付ける衛兵を前に、サギッシは即座に即座に言い訳の言葉を口にする。一見すれば一応筋が通っているように感じる内容であり、必死にそれを訴えるサギッシの演技はなかなかのものだったが……
「ほっほっほ、それは通りませんな。何せ私も貴方の話を聞いておりますので」
「お前はあの時の!?」
サギッシの訴えを真っ向から否定したのは、あの日ニックの背後にいた老紳士。最後に悠々と倉庫に入ってきたその姿を見て、サギッシは再び衛兵に訴える。
「そ、そいつはこの男達の仲間です! 一緒になって私を嵌めようと――」
「黙れ! 流れの商人如きが無礼な口を聞くな!」
「は!? それはどういう……?」
予想外の叱責を受けて呆気にとられるサギッシをそのままに、衛兵の一人がフェッチの方へと歩み寄り、ビシッと敬礼を決めてから言葉を発する。
「情報提供ありがとうございました。ご協力感謝致します、フェティシュ伯爵閣下!」
「なんのなんの。善良な一国民として、違法薬物の持ち込みなどとても見過ごせませんからな」
「は、伯爵!?」
衛兵とフェッチとのやりとりを見て、サギッシは顎が外れたのかと思わせるほどにあんぐりと口を開ける。その姿を一顧だにせずフェッチがニック達の方へと歩いて行くと、ニックから離れたパパカツイナが今度は嬉しそうにフェッチに抱きついた。
「やったねー! それにしてもジージが伯爵様だったなんて、私ちっとも知らなかったよー。本当に今まで通りに話しかけてもいいの?」
「勿論ですとも。家督はとっくに息子に譲って、今は楽隠居している単なる老人ですからな。これからも単なるフェッチとして接してもらえた方が嬉しいですな」
「わかった!」
「ば、馬鹿な!? 何故伯爵などという人物が、こんなことに関わるのだ!?」
楽しげに笑い合う二人の会話に割り込んで、サギッシが悲痛な叫びをあげる。ただの老人と見過ごしていた相手がまさか伯爵家の前当主など、もはや悪夢を見ているとしか思えない。
「儂が言ったことを聞いていなかったのか? 儂はちゃんと『皆と相談した』と言ったではないか」
「そうですな。ニック殿経由でフーリル殿の話を聞いて、及ばずながら少々力をお貸ししただけです。この国の貴族として、不逞の輩がはびこっているのを見過ごせるはずもないでしょう?」
「あっ……ぐっ……」
そんな二人を前に、サギッシはもう何も言えない。どれだけ口が上手かろうと、国に根ざした高位貴族と信頼勝負で勝てるはずがない。
「さあ、歩け! 詳しい事情は詰め所で聞いてやる!」
「ああ、ちょっと待ってくだされ」
ガックリと項垂れて衛兵に引っ張られていくサギッシを、不意にフェッチが呼び止める。その言葉に衛兵が足を止めると、フェッチはパパカツイナと顔を合わせてニンマリと笑い合った。
「ふふふ、実は先日から言ってみたい言葉がありましてな」
「あー、私も! じゃあジージ、一緒に言う?」
「ええ、それでは……」
スーッと胸いっぱいに息を吸ってから、二人が声を合わせて同じ言葉を叫ぶ。
「「私達の勝利だ!」」
「…………ぐふっ」
ヘタリとその場に崩れ落ちたサギッシを尻目に、二人は互いの手を叩き合って喜びを表現するのだった。