父、脅迫される
「……遅いな」
「遅いですな」
競売二日目の朝。昨日と同じ待ち合わせ場所に立つニックは、既に到着しているフェッチと共にパパカツイナの姿を探していた。だがどれほど待ってもパパカツイナがやってくることはなく、やがて競売の開始を告げる鐘の音が中央区のみならず町中に響き渡る。
「始まってしまいましたか……ツイナさんは私が待ちますから、ニック殿は競売会場へ行かれてはどうですかな?」
「いやいや、そうはいきますまい」
「ですが、そもそも私とツイナさんはニック殿の付き添いでの参加ですから。ニック殿がお一人で参加する分にはツイナさんも何もいいませんよ?」
「むぅ……」
フェッチの言葉に、ニックは複雑な表情で悩む。だが最終的には「ここで待ち続ける方がツイナがやってきた時に気を病むことになる」と説得され、その場にフェッチを残して一人競売の行われている天幕へと入っていくこととなった。
そうして左右の空いた指定席に競売の途中でニックが腰を下ろすと、程なくして競売の係員と思わしき人物がニックの方へと近づいてくる。
「ああ、よかった。いらしてたんですね」
「む、何だ? 儂に何か用か?」
「はい。パパカツイナ様という方からニック様宛に伝言を預かっておりまして」
「ツイナから?」
眉をひそめるニックに、係員が伝言の内容を口にする。それを聞いたニックは静かに席を立つと、北区の奥にある広い倉庫のような場所にたった一人でやってきた。
「ツイナ? 来たぞ?」
「お待ちしておりましたよ、ニック様」
昼なお薄暗い倉庫の中で呼びかけるニックに、しかし答えたのは男性の声。床に置かれた大きな荷物の影から姿を現したのは、糸のような細い目をした痩身の男。
「お主は……サギッシ殿だったか? 儂を待っていたとはどういうことだ?」
「ええ、ええ。混乱するお気持ちはわかりますが、まずは落ち着いてお聞き下さい。ニック様を呼び出したのは私です」
「何故お主がツイナの名を使って儂を呼び出す? というか、ツイナはどうしたのだ?」
「ご心配なさらず。パパカツイナ様は私の友人がきっちりと保護しておりますよ。今のところは、ですが」
「……それは一体どういう了見かな?」
警戒した表情を見せるニックに、サギッシはただでさえ細い目を更に細めて笑顔で答える。
「なに、簡単なことですよ。少々貴方にやってもらいたいことがあるのです。これをどうぞ」
そう言って、サギッシは近くにあった荷物の隙間から一枚の毛皮を引っ張り出して床の上に放り投げる。
「これは……キラーグリズリーの毛皮か? これをどうしろと?」
「ふふふ、簡単なことですよ。ニック様は明日の競売に毛皮を出品しておりますよね? そちらをこの毛皮と入れ替えて欲しいのです」
「入れ替える? しかし儂の出したのはタイラントベアーの毛皮だぞ? 幾ら同じ系統の魔物とはいえ、見る者が見ればすぐに違いがわかると思うが……」
キラーグリズリーは人里から放れた山奥などに生息する魔物で、鉄級冒険者のパーティで十分に対処できる相手だ。対してタイラントベアは魔族領域の奥にしか生息しない巨大な熊の魔物であり、倒すには最低でも銀級上位、安定を望むなら金級冒険者が必要になるほどの強敵だ。
当然ながらその毛皮の質も全くの別物であり、二つを並べて比べるならば子供だろうとその違いは明確に理解できる。
「いいんですよ、それで。確かに見る者が見ればすぐに判別できてしまいますが、逆に言えば素人ならば並べて比べでもしなければわからないということです。その毛皮はなかなかに状態のよいものですから、係員の目を誤魔化すことくらいはできるでしょう。何せ事前にトリシキル殿が鑑定して問題ないと判断しているわけですからね」
「そんな事をして何になる? わざわざ偽物を用意したということは、単に金が欲しいとかではないのだろう?」
「勿論ですとも。私は貴方に詐欺師になって欲しいのですよ」
問いに答えるサギッシの顔に、血のように赤い三日月の笑みが浮かぶ。鉄面皮の下に隠れた邪悪な欲望がここぞとばかりにあふれ出し、周囲の気温が僅かばかり下がったような錯覚すら覚える。
「偽物を出品した貴方は、きっと周囲から酷い詐欺師だと罵られることになるでしょう。それと同時に貴方の過去の発言もまた全ての力を失い、そうなれば私の用意した『始まりの剣』も再び輝きを取り戻す! ああ、何と完璧な作戦でしょう!」
「なるほど、儂への復讐と自分の復権を同時に果たせるというわけか。そんなに上手く行くとは思えんが……」
「貴方が上手くいかせるのですよ! 大丈夫。他人ならばともかく、自分の出品物であれば『競売に出す前にもう一度品物を確認しておきたい』とでも言えば簡単に入れ替えることができます。
そうして貴方が犯罪者として地べたに這いずったならば、貴方の大事なご友人は無事に帰すと約束致しましょう」
「ふーむ…………」
喜色満面の笑顔でそう言うサギッシに、ニックは考え込む素振りを見せる。それがただ苦しみを先延ばしするだけの懊悩だと見てサギッシはニヤニヤと笑い続けていたが……
「うむ、無理だな。お主の頼みは聞けん」
「……は?」
顔を上げたニックは、特に苦悩した様子もなくあっさりとそう言い放つ。
「え……え? お、お友達のことはどうでもいいというわけですか?」
「どうでもよくは無いな。まだ知り合って数日の間柄ではあるが、それでもツイナが傷つくのは見過ごせん」
「な、なら私の言うことを聞くしかないではありませんか! あ、ひょっとして今ここで私を捕らえて……などと考えているのですか? 無理ですよ? 私からの定時連絡が無ければ、その時点で彼女の体を少しずつお返しする手筈となっておりますから」
「ほう、それは大変だな! だが……」
瞬間、ニックの巨体がサギッシの目の前から消失し、それとほぼ同時にサギッシの体が宙に浮く。
「ぐえっ!?」
「お主にとって、それは自分の命よりも大事なものなのか?」
「ぐ、ぐるじい……ば、ばがな、ごんな……ひ、ひどごろじ……」
「全く関係の無い娘を人質に取っておいて、今更人殺しも何もあるまい? まさか自分だけは絶対に害されることが無いなどと思っていたのか?」
首をつかまれ体を持ち上げられたサギッシが、その苦しさと恐怖からジタバタと手足を動かす。不敵に笑う目の前の顔を必死に殴り蹴りつけるが、それでも自分を持ち上げるニックの太い腕からは些かも力が抜ける様子がない。
が、唐突にしてその手が開き、サギッシの体が床の上に落ちる。強かに尻餅をつき細い目から涙をこぼして咳き込むサギッシを、ニックは遙か頭上から笑顔で見下ろし言葉を続ける。
「ま、安心せよ。儂もお主如きを殺して手配犯などになりたくはないからな」
「げほっ、えほっ……そ、そうですか。なら交渉は成立ということですね?」
「いや、それは無理だ。詐欺師の汚名を被るつもりなど更々無いのでな」
サギッシの問いに、ニックは徐に首を横に振る。その答えに内心驚愕しながらも、サギッシは必死に表情を取り繕って問いを重ねていく。
「な、ならあのお嬢さんは見捨てると?」
正直に言えば、ほぼ無関係のあの娘をどうにかしたところでサギッシの溜飲が下がることは無い。だがそれでも「関係のある娘を見捨てた」という汚点を刻み込めればそこから攻め入る隙もあるはず……と皮算用するサギッシに、しかしニックはまたも首を横に振ってみせる。
「まさか。ツイナを見捨てるなどそれこそあり得ん」
「ふ、ふざけるな! 貴様一体どういう――」
「あー、すまん。どうやら勘違いさせてしまったようだな。正確には見捨てないというより、そもそも見捨てることができないのだ。何故なら……」
「オジー!」
不意にニックの背後から、聞き覚えのある声が聞こえる。無防備にニックが振り返り、サギッシが細い目を見開いたその先に居たのは……
「おう、ツイナ! 来たか!」
「うん、来たよー! ツイナちゃん、ただ今到着!」
ニックの巨体に笑顔のツイナが飛びついてくる。それを優しく受け止めると、ニックは改めてサギッシの方に顔を向ける。
「ツイナは最初からお主に捕らえられてなどいないのだ。ならば助けることも見捨てることもできるはずがなかろう?」
「……………………」
ニヤリと笑って言うニックに、サギッシは完全に言葉を失っていた。