父、証明する
「……はっ!? あ、あの、ニック様!? 一体どうして……!?」
突如として大笑いし始めたニックに皆が呆気にとられるなか、いち早く我を取り戻したトリシキルがニックに声をかける。するとニックは必死に笑いを堪えながらその問いに答えた。
「いや、すまぬ。まさかこんなものまで用意しているとはな……クックッ……そうかそうか、手紙なぁ。
なあトリシキル殿? 貴殿はどうしてこの手紙が本物だと判断したのだ?」
「はぁ!? ここまでの証拠をお見せしてなお、その真偽すら問うのですか!?」
相も変わらず大きな動作でわざとらしく驚いてみせるサギッシに、ニックは小さく肩をすくめて答える。
「それはそうだろう。何せこの文字は儂が知っている勇者フレイの文字とは似ても似つかぬものだからな。素人目ですら違うとわかるのに、どうしてこれが勇者フレイの書いた手紙だと言えるのだ?」
「ああ、そういうことですか」
ニックが新たに提示した疑問に、トリシキルが納得したように小さく微笑む。その隣ではサギッシがその細い目を精一杯見開いて「あり得ない」という顔をしてみせているが、そちらに関しては一切無視してニックがトリシキルの方を見ると、その口から判断の理由が語られていく。
「これは知る人ぞ知ることではありますが、実は数年前から勇者フレイの書く文字は大きく変わっているのです。それまでのやや荒々しかった筆跡から女性らしい柔らかなものになっており、一節には戦闘中に手を怪我したことで筆跡が変わったとか、あるいは恋を知って書き文字に変化が出たなどという話もありますが、その辺の真実については定かではありません。
が、明らかに……それこそ別人のように筆跡が変わったことは事実。そしてこの手紙に書かれている筆跡は間違いなく変化前……つまり幼少期の勇者フレイが書いていた文字なのです。
ニック様が見たというのは、おそらく最近の勇者フレイの文字なのでしょう。なので違和感を抱かれたのではないかと」
「そうですとも! むしろその程度の基本常識を知らぬ方に、私の仕入れた商品が偽物呼ばわりされていたとは!? ああ、何という悲劇でしょうか!」
「フッフッフ、そうかそうか……世間ではそう見られているのか。であればひとつ面白いものを見せてやろう」
そう言うとニックは魔法の鞄から紙の切れ端とペンを取りだし、自分の名前や適当な言葉などを書き記していく。そうしてしばしペンを走らせると、出来上がった紙切れをトリシキルに向かって差し出した。
「ほれ、これを見てみろ」
「はい…………えっ、これは!?」
渡された紙切れを見て、トリシキルが驚きの声をあげる。その様子にサギッシも紙切れを覗き込むが、そこに書かれているのは特に意味のない単語や文章だけだ。
「えっと、これがどうしたと……? 私には適当な言葉を書いただけとしか思えませんが?」
「お気づきになりませんか? この文字、筆跡が手紙のものとそっくりなのです」
「……はっ!?」
その時初めて、サギッシの糸目がカッと大きく見開かれた。この会談が始まってから初めて本心を露わにしたであろうサギッシに、ニックが愉快そうに種明かしをしていく。
「簡単なことだ。勇者フレイは確かに世界を回ったが、宿に泊まる際などに記帳していたのは本人ではなく、常に勇者と共に在り一緒に旅を続けていた別人だったのだ。
それが数年前……正確には一昨年の春から別行動を取るようになり、そのためフレイ本人が記帳するようになったから突然筆跡が変わったように見えたということなのだろう。
にしても、クックック……まさか勇者本人ではなく、その連れの方の筆跡を真似た偽物を作るとはなぁ。あまりにも滑稽すぎて思わず大笑いしてしまったぞ」
「なっ……あっ……!?」
「ああ、それからな。勇者フレイが旅立ちの日に手にしていた剣は、別に彼女が初めて手にした剣というわけではない。旅立ちの前にだって当然戦闘訓練はしていたのだから、あの時手にしていたのは三本目だ。
そしてその剣にしても、あんな安物ではない。きちんと鍛えられた上質の鋼の剣であり、聖剣を手に入れるまでの数年間はきちんと手入れをして使っていたし、聖剣を手に入れた後でも売ったり捨てたという話は聞いておらん。
流石に別れて活動するようになってからのことまではわからんが、今更あれを手放す理由もない。おそらくは未だに予備武器として魔法の鞄の中に入っているのではないか?」
「そ、その話は……というか、貴方は一体……!?」
「で、でたらめです! そんな、そんな話世界の何処に行っても聞いたことなどありません! そのようなでっち上げの妄言で言い逃れをしようとは、それこそ私に、いや勇者フレイに対する侮辱に他なりません!」
呆気にとられた表情をするトリシキルと、やたらと早口でそうまくし立てるサギッシ。明らかに流れの変わったこの状況で、ただ一人ニックだけはそれを知っていたかのように悠然とした態度を崩さない。
「まあまあ、そう騒ぐな。結局の所この話の決着は儂とサギッシ殿のどちらの言い分をトリシキル殿が信じるかであることに変わりはないわけだが……聞きたいことは全て聞けた。ならばこそ儂はトリシキル殿の最初の問いに答えよう。
これが儂がこの『始まりの剣』が偽物だと断定する証拠だ」
そう言ってニックが魔法の鞄から取りだしたのは、青く輝く小さな指輪。その中に輝く紋章を見て、トリシキルが散々重ねた驚きの全てを凌駕する驚愕に見舞われる。
「じゅ、ジュバンの紋章!? ということは、貴方はやはり……!?」
「そうだ。儂は勇者……いや、元勇者か? とにかくフレイの父親にして、ずっと旅を共にしてきた男だ」
フレイが勇者を辞めた以上、その指輪はもはや何の権威も与えてはくれない。だがそれを持っているという事実は何者にも代えがたい真実として、ニックの立場を絶対的に保証してくれる。なにせこれを持っているのは世界中で勇者本人とその父親しかいないのだから。
「そんな……そんなことが…………」
その現実に、サギッシはガックリとその場で崩れ落ちる。ジュバンの名を騙るのは問答無用で死罪となるため、たまたまこの場に居合わせただけの相手がこんなことで偽物の指輪を見せつけてくるなど考えられない。
それはつまり本物ということであり……サギッシの主張の全てが覆されたということでもある。
「それでどうだ? これでもまだ足りぬというのであれば、知り合いの王侯貴族に身分を証明してもらうことも、何なら勇者本人に証言してもらうこともできるが?
まあ娘を呼び出して『儂はお前の父で間違いないな?』などと聞いたら相当に変な顔をされるだろうが……それは出来れば辞めて欲しいな」
ニックの頭の中に「何言ってるの? 馬鹿なの?」という顔で自分を見つめるフレイの姿が浮かんできて、思わず背筋がプルリと震える。そんな微妙な態度を見せるニックに、しかしトリシキルは驚き疲れた表情で首を横に振った。
「いえ、その必要はございません。この競売の最高責任者として、ニック様の主張を全面的に信頼致します。
ということでサギッシ様。貴方からは詳しい話をお聞かせいただく必要が発生しましたので、ご同行いただけますか?」
「いや、私は…………ぐぅぅ、わ、わかりました……」
冷たい視線を投げかけるトリシキルに、サギッシは歯ぎしりをしながらもそう答える。顔も名前も知られている以上、ここで逃げることなどできるはずもない。
「では、最終確認だ。この『始まりの剣』とやらは真っ赤な偽物であるということで間違いないな?」
「はい。この度は大変なご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ありませんでした。正式な謝罪と賠償につきましては、後日改めてお話させていただければと思います」
「わかった、その申し出を受けよう。ということで……」
そこで一旦言葉を切ると、ニックはようやく背後に振り返った。驚きと戸惑いの濁流に呑まれポカンとした表情を見せる二人の連れに、満面の笑みを浮かべて宣言する。
「心配をかけたな。だがこの通り、儂の勝利だ!」
「お、おおお? え、あ、オジーの勝ち!? やったー!」
「ほほほ、実にお見事でしたぞ、ニック殿」
背後に感じる冷え切った空気とは裏腹に、肩を抱き喜び合う三人の間には温かな空気が流れていた。