父、教養を身につける
パーリーピーポー滞在六日目にして、競売前の最後の一日。ニックは満を持して中央区へと進出し、この町を目指した目的でもある多数の芸術品の集められた場所、ネーブル美術館へとやってきていた。
入場料を払って建物の内部に入り、現在は絵画の立ち並ぶ区画にて、壁に飾られた大きな絵を前にニックは顎に手を当て難しそうな顔をする。
「ふーむ…………」
『どうした? 貴様のようながさつな男であっても、優れた芸術を前にすれば何か感じ入るものでもあるのか?』
「それがな……何やら凄いというのはわかるのだが、どう凄いのかが全くわからんというか……」
美術館というだけあって、今ニックが目にしているのは抽象画であった。普通の絵であれば美味い下手くらいは見てわかるものの、こういうものになってくると何をどう見て評価すればいいのかすらよくわからない。
『まったく、これだから貴様は……』
「ほっほっほ。どうやらこの辺りの絵は、貴殿にはまだ難しいようですな」
「む?」
不意に声をかけられ振り返ると、そこには先日西区で会った老紳士が笑顔で立っていた。
「おお、貴方は先日のご老人!」
「おっと、失礼。決して貴殿を馬鹿にしたわけではないのです。ただこの手の芸術を楽しむには、最低限の基礎的な知識が必要になりますからな。もしよければ簡単な説明をお聞かせしましょうか?」
「宜しいのですか?」
「勿論。私は常々、芸術というのはもっと気楽に楽しめた方がいいと思っておりましたからな。全てを理解するのは無理でも、見方がわかるだけでも大分印象が変わりますぞ」
「それはありがたい! 是非お願い致します」
「ほっほっほ、いいですとも。ではまず――」
そうして老紳士の絵画教室がにわかに始まる。小さな子供に教えるかのような説明はニックにもわかりやすく、老紳士の巧みな話術も手伝って、ただの線の塊にしか見えなかったものが少しずつ「絵」として認識できるようになっていく。
「――とまあ、そんなところですかな」
「なるほど、そういう……ほほーっ!」
何をどうしたらこの絵になるのか、それを理解できたことで、ニックは改めて感心しながら絵を眺める。少しだけ芸術に詳しくなったニックとそれを温かい目で見つめる老紳士だったが、そんな二人に更に声をかけてくる者がいる。
「あー、いたー! ジージったら、勝手にフラフラ居なくなったら駄目じゃーん!」
「ああ、ツイナさん。すまんすまん。ちょっと知り合いを見つけたものでな」
「ツイナ!?」
「えっ!? あ、嘘、オジー!?」
「おや、二人は知り合いなのですかな?」
互いの顔を見て驚き合うニックとパパカツイナに、老紳士もまた軽い驚きの表情で問い掛けてくる。
「ですな。西区でご老人に出会ったように、東区で儂に声をかけてくれたのがこのお嬢さんなのですよ。ご老人とツイナは、ご家族なのですかな?」
「違うよー! ジージはオジーと同じで、私のお客さん! たまーに東区に来て、色んな子を誘って遊んだりしてるみたいだよ。
ほら、オジーがご馳走してくれたあのお店に行ったって友達の話したでしょ? あれに誘ってくれたのがこのジージなんだって!」
「ほぅ! それは何ともお若いですな」
「ほっほっほ。いつもいつも西区に籠もりきりでは、人生に刺激が無くなってしまいますからの。それに若い子は色々と無防備ですから、不意に目に入る隙間や谷間が実にいい具合で……」
「ご老人……?」
「もー! ジージったら普段はすっごく優しくていい人なのに、そーやって変態なところがあるから女の子に嫌われるんだよー! そのくせそういうのも大丈夫って子にはあんまり声かけないしさー」
「私は若い娼婦が買いたいわけではなく、あくまでも若者と触れ合いたいだけなのですよ。それをわかって受け入れてくれ、かついい具合に隙だらけのツイナさんは、私のお気に入りですな」
「えっ!? わ、私そんなに隙だらけじゃないよー!? ジージの馬鹿ー!」
「ほっほっほ」
ギュッと自分の体を抱きしめながら言うパパカツイナに、老紳士が朗らかに笑う。その何とも不思議な関係性に、ニックも思わず笑みをこぼす。
「ふふふ、随分と仲がいいことだな」
「もー! オジーまで! まあ別に仲悪くはないと思うけど……あ、そうだ! ねえジージ、せっかくだしオジーも一緒に見て回ったら駄目かな? 二人っきりの方がいいって言うなら諦めるけど」
「おお、それはいいですね。私は構いませんが、貴殿はどうですかな?」
「それは勿論大歓迎ですが、儂がいてはお邪魔では?」
「まさか。こうして再会したのも何かの縁ですし、芸術を楽しむのに人数など関係ありませんよ」
「そうだよオジー! 私一人だと何かちょっと難しくて眠くなっちゃうとか、二人いれば私だけがわかんなくてお馬鹿な子って思われなくてすむとか、そんなことは全然ないんだから!」
「クッ、ハッハッハ! わかった。ならば同行させてもらおう。儂は旅の鉄級冒険者のニックだ。改めて宜しく」
「そう言えば名乗っておりませんでしたな。私のことはフェッチとお呼びください」
「私はパパカツイナだよー! って、二人とも知ってるよね!」
互いに名乗り合い握手を交わすと、三人は一緒に美術館を見て回ることにした。フェッチの美術、芸術に関する造詣は思った以上に深く、またすぐ隣に自分と同じように感心する相手がいることもあって、ニックの美術館巡りは予想を遙かに超えて充実した時間をもたらしてくれる。
「ふむ、これで一通り回りましたね」
「あー、楽しかったー!」
「本当にそうだな。フェッチ殿の知識の深さには恐れ入ります」
「ほっほっ、何のこの程度。長く生きていればこそ、多少の無駄知識が身についているというだけのことですよ。
しかし残念ですな。本当ならば特別展示室の方も案内したいのですが……」
「特別展示室?」
オウム返しに問うニックに、フェッチが大きく頷きながら答える。
「そうです。この一般区画とは別に、歴代の王族の方々が気に入った特別な芸術品のみを飾っている場所があるのですが、そこは今明日から行われる競売の品を保管する場所に使われているようで、一時的に立ち入り禁止になっているのですよ」
「えー! 王様が気に入った芸術品とか、ちょっと見たかったなー」
「ほっほっほ、なら競売が終わったらまたお誘いしましょうか?」
「いいの!? やったー!」
フェッチの誘いに、パパカツイナが無邪気に喜ぶ。ニックも特別展示とやらは気になったが、今はそれより気になることがある。
「明日からの競売だが、二人は参加するのか?」
「私は特に予定はありませんな」
「私もー! 面白そうではあるけど、参加費が銀貨一枚はちょっと高すぎるかなーって」
「そうか……実は儂はちょっとした品物を出品しておってな。付き添いを二人まで連れてきてもいいと言われているのだが、もしよければ来るか?」
「えっ、いいの!? うわ、すっごい行きたい!」
「おや、私も宜しいのですかな?」
「勿論! ツイナがいれば楽しいであろうし、フェッチ殿の見識は出品される品の善し悪しを図る助けになりそうですからな」
「まかせて! ツイナちゃんがオジーのこと思いっきり楽しませちゃうよー!」
「そういうことなら、ご一緒させていただきますかな」
「ならば決まりだ! では明日、中央区南門の前に二の鐘で待ち合わせということでどうだろうか?」
「いーよー! やったー! 楽しみー!」
「ほっほっ、私も年甲斐も無くワクワクしてきました。これは楽しみだ」
無邪気にはしゃぐパパカツイナと、ニコニコ笑うフェッチ。目の前の二人と同じような笑みを自分も浮かべているであろうと思いつつ、ニックは明日の競売に思いを馳せるのだった。