父、返答に困る
若者達と充実した時を過ごした翌日。昨日とは打って変わって落ち着いた町並みを誇るパーリーピーポーの西区にて、ニックは黒を基調とする上品な服に身を包んだ老紳士とお茶を楽しんでいた。
「いや、助かりました。ありがとうございますご老人」
「なんのなんの。あのようなはしたない真似を見逃しては、この町で暮らす我らの品位すら疑われてしまいますからな」
丁寧に頭を下げるニックに、目の前の老紳士が笑いながらそう答える。
事のきっかけは、町を歩いていたニックにとあるご婦人が声をかけてきたことだ。その気のないニックに執拗に絡み、遂には「私を誰だと思って――」という言ってはならない一言を言いかけたところでこの老人が割って入り、事を収めてくれたのである。
「まったく、東と違ってここでは名乗らぬことこそ流儀だというのに、それを忘れるほど興奮してしまうとは……それだけ貴殿が魅力的に見えたのでしょうが」
「それは何とも……光栄ではありますが」
褒められてなお困り顔をするニックを見て、老紳士が軽く考え込む。
「ふむ、その様子ですと貴殿はここは初めてですかな?」
「え? ええ、この町に来たのは二日前で、昨日は東区を堪能しましたからな。西区に来るのは今日が初めてですが……」
「ほぅ! 昨日若者達と目一杯楽しんだというのに、今日もまたここに顔を出すとは! どうやら貴殿は見た目通りの御仁のようだ。であれば今日はこの老骨が、西区の楽しみ方をご教授しましょう! 如何ですかな?」
「宜しいのですか? であれば是非ともお願いしたい」
「ほっほっほ。いいですとも。ならば早速場所を変えましょうぞ」
老紳士の提案を受け、ニック達は店を後にし移動する。そうして辿り着いたのは、店自体が一段下がった土地にあり、店先に椅子とテーブルが並べられた飲食店であった。
「ご老人、ここは?」
「ふふふ、見ての通り、この店の敷地は通りから一段下がっているでしょう? なのでここから通りを見ると……」
静かに笑う老紳士の視線が、通りの方へと向く。釣られてニックもそちらを見るが、単にいつもより視点が少し低いというだけで、取り立てて変わった様子は見受けられない。
「……?」
「わかりませんかな? この高さだと……道行くご婦人方の尻の割れ目がじっくりと観賞できるのですぞ!」
「……は?」
完全に予想外の言葉に、ニックが思わず聞き返す。だが老紳士は実に穏やかな視線で通りを歩くご婦人の尻を見ながら優雅な動作でお茶を飲んでいる。
「おや、尻はあまりお好きではありませんでしたかな? では次の店に行きましょうか」
「いや、そういうことでは……」
困惑したニックが声をかけようとするも、老紳士は席を立ち次の店へと移動していく。今度は二階建ての店舗の二階ベランダ席だ。
「ふふふ、どうです? ここから見下ろすと、ご婦人の胸の谷間がじっくりと観賞できるのですぞ」
「はぁ。まあ上ですからな……」
楽しげに笑いながらお茶を飲む老紳士に、ニックは無表情でカップの中身を飲み干していく。だがそんなニックの様子に、老紳士は再び考える素振りを見せる。
「ふむ、これもお気に召しませんかな? というか、そうか。貴殿の背の高さであれば、これは日常の光景でしたか……実に羨ましいことですが、それならば満足されないのも道理。であれば次の店こそ気に入っていただけるかと思いますぞ」
「あー、そうですか……」
正直もう帰りたかったが、町の案内を申し出てくれた老紳士に自分から頼んだ手前、無碍に断るというのもやりづらい。結局言われるが連れて行かれた三件目は、地下にある飲食店であった。
「今度の店は地下なのですな」
「ええ、そうです。さあ、天井を見上げてご覧なさい」
「天井……っ!?」
ニックが上を見上げると、どういうわけかそこからは空が見える。それどころか通りを歩いている人のスカートの中が光に照らされているかのように丸見えで、むっちりした太ももやその奥にある布きれがはっきりと見て取れる様はあまりにも犯罪的だ。
「ご老人!? これは流石に駄目なのでは!?」
「ほっほっ、そんなことはありませんぞ。店に入る前、通りの一部の石畳の色が違っていたことには気づきましたかな? あの上を歩くと下から丸見えになるというのは、この西区では暗黙の了解なのです。
つまり今ここから見える光景は、同時に上を歩くご婦人が『見せている』光景でもあるということなのですぞ」
「そう、なのですか? いや、まあ確かに世の中にはそういう趣味の方もいるのでしょうが……」
「そうなのですぞ。下からならば顔も見えず、自分が誰かわからない……という体があるからこそ、このご婦人方もまた楽しんでいるのです。
ああ、ちなみにですが、当然ながら『見せる』男性と『見たい』女性の集う場所もありますぞ。貴殿があれほど執拗に絡まれたのも、実はそれが間接的な原因ですな」
「そ、それはどういう!?」
軽く身を乗り出して問うニックに、老紳士は余裕の笑みを浮かべながら説明を口にする。
「この天井に当たる部分の石畳は、青かったでしょう? この西区限定ではありますが、町の決まったところにはこのように『青い色』を透かして見ることのできる魔法道具が設置されているのです。
つまり、あのご婦人からすると目にも鮮やかな青い鎧を身につけた貴殿は『自分の裸体をこれでもかと見せつけたい男性』に見えていたわけですな。にも関わらずすげなくあしらわれてしまったせいで、少々ムキになってしまったのでしょう。
不特定多数の相手には見せても、自分にだけは見せたくないなどと言われたようなものですから、無理もありますまい」
「おぉぅ、そんなことが……」
全く意図していないことだったとはいえ、相手を下に見るような扱いをしてしまったと言われれば、ニックの中にあの時の女性に対する罪悪感が芽生える。とはいえなら裸を見せるかと言われればそんなことはないのだが。
「これはなかなかに画期的な発明なのですぞ? 何せこの西区の特定の場所以外でなら、青い服はごく普通の服にしか見えませんからな。
知らぬ者が見てもただの服、だが知る者が見ればその下を想像させる服となり、更に場所によっては本当にそれを見て、あるいは見せて楽しむこともできる! これぞまさに大人にしかできない遊びということですな!
……まあ、あまり度が過ぎると流石に怒られますので、そういう者は北区に通い詰めるようになったりもしますが」
「北区というと、娼館などが立ち並んでいる場所だと聞いておりますが……」
「それも勿論正しいですが、それ以外にもあそこにはここでは満足できなくなった者や、世間的には受け入れられないような性癖を持つ者達がこっそりと集って遊ぶような場所も多いのですぞ。
なのでもし北区に行くのであれば、十分に気をつけることをお勧めします。好奇心で見て回るのは構いませんが、踏み込みすぎれば色々な意味で絡まれることになるでしょうからな。勿論、そういう『新たな扉』を求めているのであれば構わないのですが」
「それは……わかりました。ご忠告しかと胸に留めさせていただきます」
「ほっほっほ、それが宜しいですな」
何とも渋い顔をするニックに、老紳士は笑いながらお茶を一口飲み、再び天井に視線を向ける。その穏やかな表情の下にどんな想いを込めて道行く女性のスカートの中身を覗いているのかは、ニックにはとても計り知れない。
「ハァ…………あのむっちりとした太ももの隙間、あそこに挟まれながら眠れば、さぞかしいい夢が見られるのでしょうなぁ。なんならそのまま天の国へと旅立てれば、そこにはあらゆる隙間を凌駕する奇跡の隙間があるのかも……」
「ははは。どうなのでしょうなぁ……」
しみじみとそんな事を言う老紳士に、ニックはひたすら顔を伏せ、乾いた笑みでそう答えるのが精一杯だった。