父、感傷に浸る
「ありがとうございました。またお越し下さいませ」
丁寧に頭を下げて挨拶をする店員に見送られ、ニックとパパカツイナは高級食堂を後にする。だが並んで歩く二人の表情は対照的だ。
「ふぅ、なかなかの味だったな」
「うぅ、味なんて全然わかんなかったよ……」
満足げに腹をさするニックとは裏腹に、パパカツイナの表情は冴えない。ニックの配慮を以てしても結局料理の値段ばかりが気になってしまい、正直何を食べたのかすら曖昧なのだ。
「何であの子が『高かった』しか言わなかったのかがよーくわかったよ。私も感想聞かれたら、高かったとしか言えないもん……」
「ハッハッハ、まあ確かにお主達のような若者からすれば結構な値段だったからなぁ」
「結構どころじゃないよー! っていうか、何でオジーはそんなに平気そうなの!?」
「大人になれば色々な経験をするからな。何なら城で王様と一緒に食事をしたこともあるぞ?」
「えぇぇ、オジーって本当に何者なの……?」
笑いながら言うニックに、パパカツイナは呆れて言葉も出ない。割と裕福な家の生まれであるパパカツイナだが、それでも王族と食事などしたことがあるはずもない。
「何者と言われても、見たとおりただの鉄級冒険者だぞ?」
「……何かもう、深くは考えないことにしたー。それで、午後はどうするの? やっぱり私達が行くような場所に行きたい?」
お忍びでやってきた何処かの国の王様だと言われても納得しそうで、そんな怖い答えを聞かずにすむようにパパカツイナがやや強引に話題を変える。するとニックは顎に手を当て軽い思案顔になった。
「そうだな。まだ何か面白そうな場所でもあるのか?」
「流石にもうないよー。後はやるとすれば、この辺をブラブラするくらいかなー? 可愛い小物を売ってる露店とか装飾品を売ってるお店を冷やかしてみたりして、小腹が空いたら買い食いとか?」
「ほほぅ。今までと違ってごく普通だが、それはそれで一興だろう。なら本来の……というか当初のというか、とにかく町を案内してもらいながら歩き回ってみることにするか」
「オジーがそれでいいなら、いいよー! それじゃしゅっぱーつ!」
元気を取り戻したパパカツイナが歩き出し、その後をニックが着いていく。そうして始まった午後の町散策は、これといって何かがあったわけではないものの、十分に楽しいものだった。
露店を回ってあれこれ装飾品を試着してみるパパカツイナは正しく年頃の娘であり、その当たり前の光景がニックにはとても眩しく映る。
そうして夕方まで楽しく過ごすと、一通り町を巡り終わったパパカツイナが最初にニックと出会った場所で遂にその足を止めた。
「ふーっ、楽しかったねー! 日も暮れて来たし、そろそろツイナちゃんの一日同伴はおしまいかなー?」
「む、そうか。随分と世話になったな」
「いいよー、私も楽しかったし! それじゃ約束通り、銅貨五枚をいただきます!」
「ああ、いいとも。ほれ、もってけ」
「やったー!」
ニックが腰の鞄から取りだした銅貨を渡すと、パパカツイナが嬉しそうにそれを受け取る。
「すんなり払ってもらえてよかったー! たまーにだけどやっぱり払わないとかもっとまけろとか、場合によっては倍払うから夜まで付き合えーなんて人もいるから、この瞬間はいっつも緊張しちゃうんだー」
「そうなのか? お主の仕事ぶりは素晴らしかったと思うのだが……」
「そう言ってもらえると嬉しいな。私も少しでも楽しくなるように頑張ってるしね!」
屈託無く笑うパパカツイナの顔に、ニックは胸の奥に湧いたやるせなさを押し込める。ここで憤るのは簡単だが、それは目の前で頑張っている娘を困らせるだけだからだ。
「あ、でも、勘違いしないでね! そりゃ確かにお金は貰ってるけど、オジーと遊ぶの本当に楽しかったんだよ!?」
「そんな事を疑ってはおらんよ。儂にとってお主と過ごした今日一日は心から楽しいと思えるものだった。その思い出にわざわざ自分からケチをつけるほど馬鹿ではないぞ」
「うんうん、いい心がけです! オジーは遊び人の才能があるかもね!」
「ぬぐっ!? いや、その言い方はどうなのだ?」
「アハハ、いーじゃん遊び人! 楽しいかつまんないかなんて本人の気の持ちようなんだから、何でも楽しめるのはきっとすっごくいいことだと思うよ」
「フッ、確かにそれは人生の真理だな」
「そーいうこと! じゃあオジー……ニックさん! また遊ぼうねー!」
「うむ! またな」
そう言って笑顔で手を振ると、パパカツイナはあっさりとニックに背を向けその場を去って行った。その割り切りの速さこそがこの町で刹那の出会いと別れを繰り返し、楽しく過ごす若者の在り方そのものなのだろう。
「ふふふ、本当に賑やかな娘であったな」
『何だ、いなくなって寂しいか?』
まだまだ人通りの多い中央通り、なれど一人きりになったニックに、オーゼンがからかうようにそんな声をかけてくる。それに対するニックの答えは、ほんの僅かな寂寥を込めた苦笑だ。
「そうだな。ちょっとだけだが寂しいかも知れん」
『ぬ? 貴様がそのようなことを認めるとはな。まさか本気で気に入ったのか?』
「はは、そういうのではない。何と言うか……娘が勇者でなければ、きっと今日のあの娘のような日々を送っていたのではないかと思ったのだ」
『それは……』
ニックの言葉に、オーゼンは声を詰まらせる。自身が関わった王候補者のなかにも同じ悩みを抱える者は幾人もおり、それに対する万能の答えなどオーゼンは持ち合わせていない。
「ああ、別に娘の育て方を後悔しているとか、そういうことではないぞ? もしもあの子が今の生き方を嫌だと言って『普通』を望んでいたならば、儂はどんな手段を使ってでもそれを叶えただろうからな。
故にまあ、これは感傷というか……こんな日々もあったのだろうなぁという、ちょっと夢に溺れたようなものだ。寝て起きれば忘れてしまう、泡沫の夢よ」
『それは単に、貴様が娘と一緒に遊びたかったというだけではないのか?』
「ぬぅ、それを言っては身も蓋もないではないか!」
『まったく貴様という奴は!』
いつも通りの会話を交わすニックとオーゼン。既にニックの調子はいつも通りに戻っており、その目は明日を見据えている。
「まあとにかく、今日は本当にいい一日であった。本来なら二、三日かけて回ろうかと思っていたが、これなら東区はもう十分であろう。となると明日は西か南か北か……何処がいい?」
『ふむ。こことの対比を考えるなら、西がいいのではないか? 結局全て回るのであれば大差ないとも言えるが』
「いや、お主がそうしたいというのであれば、明日は西区に行ってみるか。さて、そちらには何があるか……」
思わぬ形でちょっぴりの寂しさとたっぷりの元気をもらい、ニックの顔が西を向く。日が沈みゆくその先に待っているのが果たして何であるかは、今はまだ誰も知らぬことである。