父、踊る
「おいおいオッサン。何しに来たんだ?」
階段から舞台の上へ上がり、ひょいと横にパパカツイナを降ろしたニックに対し、先に舞台にいた若い男が軽く顔をしかめて言葉を投げかけてくる。年の割には場慣れしたなかなかの迫力だったが、その程度のことでニックが動じるはずもない。
「何と言われると、踊りに来たのだが?」
「へー、アンタ踊れんの?」
「いい体してるし力はあるっぽいけど、それだけじゃ、ねぇ?」
その男に同調するように、周囲にいた他の男女もまたニックに訝しげな声を投げかけてくる。その状況に慌てたのは、他ならぬパパカツイナだ。
「ちょ、ちょっとオードル! オジーは私のお客さんなんだから、変な絡み方しないでよー!」
「ハァ……なあツイナ。俺だってこのオッサンが店の端っこで踊ってるなら何も言わないぜ? でも舞台にあがってきたってことは、そういうことだろ?」
「うっ、それは……」
「……何だ? ひょっとしてここに上がったらマズかったのか?」
会話の流れが今一つ掴みきれず、ニックがそっと側に居るパパカツイナに声をかける。すると振り向いたパパカツイナは困り顔の前で両手を合わせて謝罪の言葉を口にした。
「ごめん! まさかいきなり舞台にあがっちゃうとは思わなくて……下で踊ってる分には何の問題もなんだけど、ここに上がれるのはみんなが認めた踊り手か、もしくはそれに挑戦する人だけなの。だから……」
「おっと、そうだったのか。これは儂の方が悪かったようだな。申し訳ない、すぐに降りるから許してくれ」
「ちょ、待てよオッサン!」
非を認めて舞台を降りようとするニックを、しかし最初に声をかけてきた男……オードルが引き留める。
「ん? 何だ? ああ、詫びとして酒の一杯くらいなら喜んで奢るが?」
「そうじゃねーよ! 一旦ここに上がったからには、何もしねーで降りるなんて許さねーって言ってんだよ!」
「そうそう。せっかく来たんなら、踊っていきなさいよ!」
「恥かいちゃうかも知れないけど、それは自業自得だしねー。キャハハ!」
挑発と嘲笑。わかりやすいその感情に当てられ……しかしニックはニヤリと笑みを浮かべる。
「ほぅ? それはつまり、この儂と勝負をしたいということだな?」
「何言ってやがる! 勝負を挑んできたのはそっちだろうが!」
「ああ、そうだったな。で、どうする? 儂の挑戦を受けるのか?」
「あったりまえだ! オッサンてめぇ、調子のってんじゃねーぞ!?」
「キャハハ! やっちゃえー!」
いきり立つオードルと、囃し立てる周囲の若者達。それらを前に堂々と立つニックの腕を、パパカツイナがクイッと引っ張る。
「オジー、ホントに平気なの?」
「ははは、大丈夫だ。というか、駄目だったところで儂が恥を掻くだけであろう? それならこういうのを体験してみるのも悪くはあるまい」
「オジーがいいならいいけど……でも、無理したら駄目だよ? ツイナちゃんとの約束!」
「わかった。約束しよう」
心配そうな顔をするパパカツイナに笑顔でそう言うと、ニックは改めて男の方に顔を向ける。若者らしい自信に溢れた目は、ニックからすると何とも微笑ましい。
「ヘッ、どんな助言されたか知らねーけど、オッサン相手にこの俺が負けるわけねー! ってことで、最初はオッサンだぜ!」
「うむん?」
「何とぼけてんだよ! まずは挑戦者であるオッサンが一人で踊る番だろうが!」
「お、おぅ!? そういう感じなのか? ぐぬぬ……」
体を動かすことならなんとかなると思っていたニックだったが、まさか自分一人だけで踊ることになるとは想像していなかった。慌てて周囲を見回すが、場に居る全員が自分達の方に注目しており、踊っている者は一人もいない。
やむなく、ニックは適当に子供の頃に村で踊っていた感じの踊りを踊ってみせる。だがそれはこの場の若者達からみればあまりにも無様であり、最初は馬鹿にしたような笑みを浮かべていた者達も、最終的には哀れみを込めた視線をニックに向けた。
「ふぅ。どうだ?」
「えっ!? 私!? えーっと…………」
ひと踊り終えて問うてきたニックに、パパカツイナが宙に視線を彷徨わせながら必死に言葉を選んでいく。
「ど、独特? 素朴? みたいな……ごめん、これが限界かも」
「そうか……」
「……おいオッサン。一応聞くけど、俺達のこと馬鹿にしに来たわけじゃねーよなぁ?」
その表情に全てを察し、ションボリと肩を落とすニックに対し、唯一この場で声に怒りを滲ませたオードルが明らかな苛立ちを込めて話しかけてくる。
「いやいや、そんなつもりは全く無いぞ? ただどう踊ればいいのかがよくわからなかったというか……」
「ふっざけんな! んな糞みてーな踊りで俺に挑戦するとか、いくらツイナに迫られて調子に乗ったからってあり得ねーだろ! 俺が、オードル様が! 本物の踊りってやつを見せてやるぜ!」
大声でそう宣告したオードルが、流れる曲に合わせてその体を動かしていく。片手で体を支えながら不思議なポーズを決めたり足を開いてグルグルと体を回したりする動きはニックからすると初めて見るものであり、荒々しくも洗練されたその動作はこれが勝負であることを忘れさせるほどに周囲の、そしてニックの心をも魅了していく。
「……どうだっ!」
「うおー! 流石オードルだぜ!」
「カッコイー!」
最後の決めポーズで止まると、踊り終えたオードルに向けて惜しみない拍手と喝采が送られる。無論その中の一人は一番間近でオードルの踊りを堪能したニックだ。
「凄いなお主! 実に見事な動きだ!」
「お、おぅ。ありがとう」
まさかここまで素直に褒められるとは思っておらず、オードルは微妙に言葉を詰まらせる。格の違いを見せつけて身の程知らずのオッサンに思い知らせてやろうという試みも、そもそも相手が敗北を悔しがっていないのではどうしようもない。
「あー……くそっ、どうすっかな。次はオッサンの番だけどよー、なんつーか……やめとくか? 俺もちょっと熱くなって言い過ぎたって感じあるし」
「いやいや、せっかくいいものを見せてもらったのだ。ここは儂もそれを生かして踊らせてもらおう!」
「そ、そうか? まあいーけどよ」
オードル見せた踊りは、高い技術と身体能力が必要になる極めて難易度の高いものだ。力自慢なだけの男がいきなり踊れるようなものではないが、自分もまた何年も前にこの場所でこの踊りに魅了され、長い時間練習してやっとある程度満足できるまでになったのだから、憧れる気持ちはよくわかる。
「ならあれだ。怪我しねー程度の簡単な技くらいなら教えてやる……っ!?」
「確かこんな感じだったか?」
苦笑しながら頭を掻くオードルの前で、ニックは軽々と片手で逆立ちし、その巨体を持ち上げる。しかもそのままこともなげにクルクルと体を回転させ始めてしまい、オードルは呆気にとられて開いた口が塞がらなくなる。
「な……あ!?」
「ふむ、普段しない動きではあるが、特に難しいというわけではないな。後は足だったか?」
両足を完全に水平になるまで開いてから改めて回転すると、丸太のように太い足がブォンブォンと風を切る音が周囲に響き渡る。その圧倒的な迫力に周囲の若者達も何も言えない。
「いい感じだぞ! では最後は……これだ!」
クッと一瞬軸腕を曲げると、次の瞬間ニックの巨体が宙を舞う。そのまま空を飛ぶのではないかという勢いで回されていた足がピッタリと閉じ合わされると同時に捻りを入れて縦にも横にも五回転ほど回ると、最後には揃えた足から如何なる音も衝撃も生じさせずにスッと舞台の上に着地した。
「ふっふーん! どうだ? 今度はなかなかであっただろう?」
「ウォォォォォォォォ!!!」
ドヤ顔で決めるニックの体を、先と甲乙つけがたいほどの拍手と歓声が包み込んだ。





