父、地下に誘われる
「いやぁ、歌ったな! こんなに歌ったのは子供の時分以来であろうか?」
「ふふっ、最初はあんなに困ってたのに、最後はオジーもノリノリだったもんねー!」
酔っ払いが大声で歌うのを除けば、大の大人が大声で歌を歌うなどということはまずない。それはニックにしても例外ではないため、照れを乗り越えてからの熱唱はニックにかつて無いスッキリ感を与えていた。
「確かにこれはいい娯楽だ。むしろ何故ここにしかないのだろうな?」
「さあ? そーいう難しいことはツイナにはわかんなーい。それより次はどうするの?」
「次か……次もお任せで構わんか? というか、今日は一日お主に任せる。よほどの大金でない限りは費用は気にせんから、いい具合に案内してくれ」
カラオケがいたく気に入ったニックは、これならば全て任せてしまった方が楽しめそうだとそう口にする。するとパパカツイナは大きな目をパチパチとさせて驚いてから、何とも楽しそうにニンマリと笑った。
「うっわ、オジーったら太っ腹! いいよー、それならぜーんぶツイナがやってあげる! 目一杯楽しませちゃうんだから!」
「ははは、それは頼もしいな。で、次は何処に連れて行ってくれるのだ?」
「そうだねー、いっぱい歌って気分が盛り上がってるし、次は体を動かしちゃおうか?」
そう言って意味深に笑うと、パパカツイナがそっとニックの腕に自分の腕を絡めて歩き始める。そうして連れてこられたのは、人が二人すれ違うのも厳しそうな細長い建物だ。
「ここか? さっきもそうだったが、ここはまた一際窮屈そうだな」
「いーからいーから! ほら、行こ!」
微妙な表情を見せるニックを、パパカツイナは強引に建物に引っ張り入れる。すると薄暗い建物の中にあったのは、かなり長いと思われる下り階段だ。
「階段? 地下か?」
「せいかーい! ここが細長いのは、地下にひろーい場所があるからなの!」
「そうなのか。いや、しかし広い空間を使いたいならそれこそ地上でいいのではないか? 何故わざわざ地下に?」
「だからそーいう難しいことはツイナちゃんにはわかんないんだって! そんなことよりほら、扉あけるよー?」
一言断りを入れてからパパカツイナが厚い扉を開くと、ニックを襲うのは七色に光る照明と猛烈な音の洪水。その余りの激しさにニックは思わず顔をしかめてしまう。
「ぬぉっ!? これは強烈だな」
「すぐ慣れるよ! ほら、それよりさっさと入った入った! じゃないと外まで音が漏れて怒られちゃうからね!」
「ああ、そうか。この光と音では確かに地下の方がいいのだろうなぁ」
そんな事に納得しつつ、ニックはパパカツイナに腕を引かれて店の奥へと進んで行く。そうして酒場のカウンターのような場所に辿り着くと、ようやくそこで腰を落ち着けた。
「ふぅ、ようやく少し慣れてきたな。それで、ここは一体何をするところなのだ?」
歌い続けて乾いた喉を適当に注文した酒で潤しつつニックが問うと、パパカツイナもまた自分で頼んだ酒を一口飲んでから背後に顔を向けつつ答える。
「ここはねー、こうしてお酒とかも飲めるけど、一番の目的は踊ることかな? ほら、あれ見て!」
「ほぅ?」
パパカツイナが指さした方に視線を向けると、そこは周囲から一メートルほど床が高くなっており、その上では若い男女がクネクネと体を動かしている。当然ながらその動きはニックの知る「舞踏」とはまるで違うものだ。
「儂の知っている踊りとは大分違うようだが、あれは何か決まりというか、手順のようなものはあるのか?」
「そんなの無いよー! お貴族様が踊る奴とは違って、ここでは音に合わせて自分の好きなように踊ればいーの! それが楽しいんじゃん!」
「そう、か……ふむ」
言われてみれば、ニックの知る踊りもまた、本来はそういうものであった。娘の付き添いとして貴族や王族の主催するパーティに幾度も出席していたからこそ忘れていたが、自分の生まれた小さな村で年に一度の収穫祭の時、後に妻となるマインと踊ったのは正にそういう踊りだったのだ。
「おっ、ツイナじゃーん! どったの? 今日はそのオッサンと一緒ー?」
「そうだよー! オジーったら私達がするような遊びがしてみたかったんだってー!」
「へー。見た感じすっごい冒険者って感じだけど、変わってんね」
そうしてニックがしばし感慨に耽っていると、隣ではパパカツイナが知り合いと話をし始める。現れた男性はパパカツイナよりやや年上と思われるが、その親しげな態度には自分の知り合いの女性が見知らぬ中年親父を連れている事に対する危機感や嫌悪感といったものは一切感じられない。
「じゃ、俺は行くわ。また遊ぼーぜ!」
「うん。またねー!」
「今のは友人か?」
そんな二人の会話が終わるのを待ってから、ニックがパパカツイナに声をかける。するとパパカツイナは小首を傾げて少しだけ難しそうな顔をした。
「うーん。友達っていうか、知り合いっていうか……仲が悪いとかじゃなくて、付き合いが薄い感じ? ここの人達は大体みんなそんな感じだよー」
「そうなのか。ふーむ、儂のような旅人ならばともかく、同じ場所に住んで何度も顔を合わせ、時には一緒に遊ぶほどの相手との関係が薄いというのは、何とも不思議な感じがするが……」
「そおー? 私はこのくらいの関係の方が気楽でいいかなーって思うけど。あんまり拘りがないからこそ色んな人とたっくさん出会えて遊べるわけだしさー。
それにほら、そうやっていっぱい色んな人にあったら、そのなかには本当に仲良くしたいなーって人だっているわけじゃん? それを見つけるためにも、こういうのってアリだと私は思っちゃうわけ!」
「なるほど、そういう考え方もあるのか」
定住者でありながら、あえて旅人のように希薄な関係を好む。それ故に無数の出会いに恵まれ、だからこそそこから真に大事な相手を見つけることもできる。その考え方はニックからすれば目から鱗が落ちる思いであり、ここに集う若者達が単に軽薄なだけではないのだと改めて思い知らされた……それが事実かは別として。
「ということで、オジーも踊っちゃおうよ! せっかくここに来たのに、見てるだけなんてつまんないよー?
って、その鎧だと踊るのは無理? うわっ、ごめん! 私ってば今気づいちゃった! ツイナちゃん一生の不覚!」
「そこまで言うほどではあるまい。それに……」
申し訳なさそうな顔をするパパカツイナを前に、ニックは徐に鎧を脱いで剣を外すと、その両方を魔法の鞄の中にしまい込む。
「ほれ、これで身軽になったぞ!」
「すっごい! オジーってばお金持ちだとは思ってたけど、魔法の鞄まで持ってるんだねー。うわー、私初めて見た!」
「ふふふ、では改めて……っと、人混みが凄いな」
無邪気に驚くパパカツイナを微笑ましく思いつつ、舞台の方へ目を向けたニックはその人混みに軽く顔をしかめる。それからすぐに立ち上がると、パパカツイナに向かって綺麗に一礼してみせた。
「ではお嬢様。人の波に飲まれぬよう、私にエスコートさせていただけますかな?」
「うはっ、何オジー、いきなり格好つけちゃってー! はーい、じゃあお願いしまーす!」
その態度に一瞬驚いたパパカツイナだったが、すぐに笑ってニックに手を差し出した。それを確認したニックはここぞとばかりにニヤリと笑い、出された手をすり抜けてパパカツイナの腰をグイッと掴むと、そのまま自分の肩に担ぎ上げた。
「ちょっ!? な、何オジー!? これは流石に予想外なんだけどー!?」
「ガッハッハ! せっかく踊りに行くのだから、このくらい目立ってもよかろう! ほれ、行くぞ!」
「あーもうっ! 行っちゃえオジー!」
恥ずかしさに顔を真っ赤にしつつも、パパカツイナが舞台を指さす。こうして周囲の注目を一身に浴びた二人は、自然と割れた人混みを突き抜けて舞台へと上がっていった。