父、歌う
『……何と言うか、相変わらず貴様は非常識の塊だな』
「ぬぅ、そこまで言うほどか?」
呆れかえったオーゼンの声に、ニックは不本意そうに帰す。あの後商業ギルドで行われたやりとりは、それこそ天地をひっくり返すような大騒動だった。
『言うほどだ馬鹿者が! あの場にいた者達は、全員困り果てていただろうが!』
「まあそうだが、それは別に儂が悪いわけではなかろう?」
『いーや、貴様が悪い! 出すにしてももうちょっと加減というか、常識的なものにすればよかったではないか!』
「そうは言うが、あの辺の品物はずっと持て余していたのだ。丁度いい機会だと思ったのだがなぁ……」
ニックが出品しようとした物の数々は、冒険者ギルドから「価値が高すぎてどうやっても買い取れない」と突き返された物ばかりだった。最初に出した牙一つとっても城が買えるような値段が付くため、それを買い取ろうと思えばそれこそ世界中の冒険者ギルドから金貨を運んでこなければならなかったのだ。
もっとも、それは今回の競売もまた同じであった。どれか一つ出品するだけでも競売の目玉となり、以後の歴史に名を残すような一大興行となっただろうが、問題なのは準備期間である。
城が買えるような品物を、競売開始の一週間前に持ち込まれたところで誰もそれを買うことなどできない。そこまでの品なら最低でも一年、できれば三年から五年くらい前にその存在を知らしめておき、それを買うためだけに金をかき集める時間を用意していなければとても手が出ないのだ。
最高の品ではあるが、ただ見せるだけで終わってしまう。かといって品物を預かる補償金すら支払えないとなると、競売を取り仕切る商業ギルド側としても泣く泣く出品を断ることしかできなかった。
「適当な品はいくつか出品できたから、それでよしとしておくべきか。あれが売れれば競売で多少散財したところで現金が尽きるということもあるまい」
『あれで適当な品なのか……まあ貴様だからな』
巨大な牙などは断られたので、代わりにニックは小さめの鱗や骨、他にも稀少な薬草などのいくつかの品を出品した。それはニックからすれば適当な品ではあったが、世間的にはどれも金貨数百枚程度の値は付く品であり、全てが適切な値で売れれば今の手持ちの金貨を全て使い切ってしまっても、それより多くの金貨が戻ってくることになる。
「さて、では競売の手続きも終えたことだし、後は明日からの事を考えながら宿に戻って休むとするか」
『そうだな。時間というのは長いようで短い。これだけ大きな町を巡るのであれば、一週間程度はすぐに経ってしまうだろうからな』
そんな事を話ながら、ニックは宿に戻ってその日は休む。そうして次の日繰り出したのは、再びの東区であった。
「あ、昨日のおじさんじゃーん!」
「おお、お主か」
別に明確に壁で区切られているというわけではないのだが、それぞれの区画はなんとなく空気が違う。雰囲気で東区に入ったと感じたニックに声をかけてきたのは、昨日も最初に出会った女性であった。
「なーにー? 今日も来たってことは、今回は遊びに来たわけ?」
「ははは、まあそんなところだな」
ニヤニヤと笑みを浮かべる女性に、ニックもまた笑って答える。互いの「遊び」の意味は多少違う気はしたが、そこはあえて気にしない。
「へー! なら私でどう? 結構人気あるんだよ?」
「そうなのか?」
「そーそー! みーんな私の魅力にメロメロになっちゃうんだから! 一日たったの銅貨五枚で、楽しく遊んであげちゃいます!」
「ほほぅ? 自分でそこまで言うのであれば、今日の共連れはお主に頼むか」
「やったー!」
一日中町の案内を頼むのであれば、その程度の金額は決して高くない。ならばと頼んだニックの言葉に、女性は諸手を挙げてその喜びを表現する。それからすぐにニックの隣にやってくると、無邪気な笑みを浮かべてニックの顔を見上げながら自己紹介をした。
「私パパカツイナって言うの! 長いからツイナって呼んでね」
「儂はニックだ。宜しくな」
「ニックさんね! あー、でも、もしよかったらオジーって呼んでもいい? いっつも違う人と会ってるから、割と名前とか間違えちゃったりするからさ」
「うむん? 儂は別に構わんが、それを正直に言ってもいいものなのか?」
「よくはないけど、嘘ついても仕方ないじゃない? 後から気づいて変に怒ったりされるよりも、最初っから言っちゃった方がお互いいいかなって。
勿論ちゃんと名前を呼んだ方がいいならそうするけど、その場合はもし間違えちゃっても怒らないでね?」
「わかったわかった。なら好きに呼ぶといい」
ペロリと舌を出して言うパパカツイナに、ニックは苦笑しながらも許可を出す。ここまで悪びれずに言われてしまえば、却って嫌悪感が湧くこともない。
というか、それで駄目ならここで別れればいいということなのだろう。それは正しく「気軽な出会い」そのものであった。
「おおぅ、オジーったらやっさしー! えらーい感じの如何にも貴族って人にこれ言うと大抵すっごい嫌な顔されるんだけど、その点冒険者とかの人は気軽でいいよね!
さ、それじゃツイナちゃんが今日一日、オジーの好きなところに付き合っちゃうよ? オジーは何がしたいの?」
「ふむ、そうだな……ならば問うのだが、お主達のような若者は普段どうやってここで遊んでいるのだ?」
「へ? 私達がしてること?」
「そうだ。昨日も言ったが、儂はこの町は初めてでな。そもそも何があるのかすら知らんのだ。ならばここに住んでいるお主達が普段しているようなことの方が楽しめるのではないかと思ってな」
「あー、そっか! そうだなぁ……」
ニックの要望に、パパカツイナが腕を組んで考え始める。そのまま軽く周囲を見回し、すぐにパッと表情を輝かせて通りの先を指さした。
「よし、じゃあまずはカラオケに行こう!」
「からおけ? 何だそれは?」
「ふふーん。行けばわかるって! ほら、こっちこっち!」
ごく自然な動作でニックの手を取ると、パパカツイナが歩き出す。それにニックも追従すると、やってきたのは他の建物よりも倍以上分厚い壁で構成された、やや暗めの建物だ。
「ここでその……からあげ? をするのか?」
「それじゃ食べ物じゃーん! そうじゃなくて、カラオケ! ほらオジー、二人分で銅貨四枚だって!」
「お、おぅ」
催促されて、ニックは素直に銅貨四枚を払って建物の奥へと入っていく。そうして辿り着いたのは、フカフカとしたなかなか上等な長椅子と机、それにいくつかの簡単な楽器と謎の四角い箱の置かれた部屋だ。
「何だこの部屋は? 随分と狭っ苦しいが……」
「オジーって体おっきいもんね。見てて、これをこうして……っと」
少しだけ窮屈そうにニックが体をすぼめるなか、パパカツイナが謎の四角い箱を弄ると、不意にそこから音楽が聞こえてくる。
「音楽? 何だ、これを聞く部屋なのか?」
「ちっがーうの! 聞くんじゃなくて、歌うんだよ! 一番パパカツイナ、いっきまーす!」
元気よくそう言うと、パパカツイナが大きな声で歌い出す。それは素人のそれであったが、思いきり声を出して歌いきったパパカツイナはスッキリした表情で軽く息を吐いた。
「ハァ、気持ちよかった! ね、わかった? ここはこうやって大声で歌が歌える場所なの! はい、次はオジーの番ね!」
「わ、儂か!? 歌と言われても、何を歌えばいいのか……」
「難しいことは考えなくていーの! よくわかんなかったら曲に合わせて適当に叫んでるだけだって気分が晴れるし、なんか楽しくなるから! ほら、曲入れちゃうよ?」
「ま、待て! せめてどんな曲なのか……おおぅ!?」
慌てるニックの姿を楽しむようにパパカツイナが箱に触れ、やがて軽快な曲がそこから流れ始める。最初は勝手がわからず困るばかりだったニックも、パパカツイナに釣られて声を出し始めればやがて歌が楽しくなり……そうして二人は二時間ほど「カラオケ」を楽しむのだった。
※はみ出しお父さん カラオケの由来
カラオケの名の由来は「空桶」から来ており、「思いきり声が出したいけれど近所迷惑になるのでできない」という悩みを抱えていたとある町の娘に、通りすがりの旅人が「だったら空の桶に頭を突っ込んで歌えば歌声が響かなくなるのでは」と教えたことが始まりとされています。
なお、頭にすっぽり木製の桶を被って熱唱する娘の姿を見た近隣住民が「あの子は悪魔に憑かれている!」と大騒ぎして、やってきた神官と賛美歌で勝負することになる「歌の悪魔と桶憑き娘」という大衆詩は吟遊詩人が覚える定番の詩の一つであったりもします。