蛙男、ばれる
謎の敵「黒騎士」の出現により、全体的にピリピリした空気の漂う人間の侵攻軍。かつてとはまた違う緊張感に包まれるなか、翡翠色の魔導鎧に身を包んだ魔族の戦士ゲコックが、新たな集落を前に手を上げて部下に一時停止を指示した。
「あれが報告にあった村だな?」
「はい。遠目で見た感じではただの田舎村だったんで、そんなに警戒する必要はなさそうですけど……」
「バッカお前、その油断が命取りなんだぞ!? やたら抵抗してくる魔族でも、強いのは大体ああいう場所の奴だったじゃんか!」
「確かに、力に頼る魔族ほど粗末……げふん、簡素な住居に住んでいる場合が多かったですね」
(そりゃまあ、力で言うことを聞かせられる奴なんて大した奴らじゃねーからなぁ……)
部下達の話を、ゲコックは微妙な顔で聞き流す。
当たり前の話だが、魔族領域でもきちんとした文化や経済は存在する。なのでちゃんとした家を建ててもらおうとすれば相応の対価が必要になるのだが、力が全ての奴らは当然のように腕力でそれを解決しようとする。
が、職人の方もそういう馬鹿の対処法は心得ているため、最初から相手にしなかったり用心棒を雇っていたり、あるいは体よくおだてて材料を調達させた挙げ句、新人に経験を積ませるための練習台にすることもある。
その結果できあがるのは当然にしてそれなりの物件なので、力だけで頭の足りない魔族の住んでいる場所は大抵「野宿よりはマシ」程度のボロ家なのだ。
(っと、いけねぇ。ちゃんと隊長しねーとな)
「静かに。よく見ろ、村の周りには防柵が張られてるし、建物の方も簡素だがしっかりした作りになってる。あの様子なら話が通じないってことはないはずだ。
なわけだから、いつも通り俺が最初に行って声をかける。お前達は背後で待機して、いざという時に備えろ。いいな?」
「了解です、隊長」
六人に増えた部下にそう指示を出すと、ゲコックは一人村に近づいていく。元魔王軍で魔族であるゲコックだが、所詮は一兵卒。ただの魔族に広大な魔族領域全ての知識などあるはずもなく、目の前に迫る村の情報はその頭にはない。
「この地に住む魔族の民に告げる! 我らは人の領域よりやってきた兵士である! 我々は貴殿等との話し合いを望んでいる! 是非とも村の代表の方とお会いしたい!」
相手を対等に扱うようなこの口上は、当初あまり評判がよくなかった。だが「交渉してやるから代表者を出せ!」という上から目線の言葉では、まとまる話もまとまらなくなってしまう。
もはや無理に魔族を殲滅する理由もなくなった今、双方共にできるだけ犠牲を出したくないと考えるゲコックの考え方と魔族としての知識や経験を合わせることで、ゲコックの部隊が平和的に関係を構築できた回数は他の部隊の倍近い数になっていた。
「繰り返す! 我々は……っ!?」
と、そこで近づき続けるゲコックの足下にストンと矢が落ちてくる。山なりに撃たれたそれは殺傷目的ではなく、明らかに「これ以上進むな」という警告だ。それを理解したゲコックは、その場で足を止めて再度声を張り上げる。
「待て! 我々に交戦の意思は……無いとは言わないが、襲ってこない相手に襲いかかるような真似はしない! 我らの身につける魔導鎧の力は既に聞き及んでいるはずだ! ならば無駄な戦いをするよりも、まずは話を――」
「今のでわからなかったのか? 話をするつもりが無いって言ってるんだよ」
「ひぃぃ!? く、黒騎士!?」
必死に声をかけるゲコックを嘲笑うかのように、村の門から一人の男がゆっくりと歩み出てきた。全身に漆黒の鎧を纏ったその男の出現に背後の部下達からは悲鳴があがるが、ゲコックだけは微妙に首を傾げる。
「黒騎士……? いや、でも、その声どっかで……?」
「フッ。わからないかゲコック? まあ、お互いこんな格好だもんな。ならこれでどうだ?」
言って、黒騎士は徐にその兜を脱ぐ。そこに現れたのはよく見知った蛙人族の顔だ。
「アーム!? お前、何でそんな……っ!?」
「何で、か……それはこっちの台詞だゲコック。お前こそ何でそんなことをしてるんだ?」
「それは……っ」
「た、隊長! 逃げましょう! 黒騎士ですよ!? 俺等全員殺されちまう!」
話をするゲコックの元に、部下の一人が大慌てで駆け寄ってくる。黒騎士によって為す術も無く兵士達が殺されているという事実は既に全部隊に知れ渡っており、その混乱もひとしおだ。
「チッ。コイツの相手は俺がするから、お前達は全員昨日の野営地まで撤退しろ。で、三時間経っても俺が戻らなかったら、そのまま本隊まで戻れ。いいな?」
「そんな、隊長!?」
「これは命令だ! さっさと走れ!」
「おっと、そうはいかない」
何てことのない口調でそう言うと、黒騎士アームの姿がゲコック達の前から掻き消える。慌てて周囲を見回せばその異形は部隊の背後に回り込んでおり、腰から抜いた剣が閃く度に血煙と共に部下達の悲鳴が生まれていく。
「ぎゃああ!」
「そ、そんな!? 魔導鎧がこんなに簡単に斬られるなんて!?」
「う、腕! 俺の腕がぁ!」
「テメェ、アーム!」
激高したゲコックが、魔導鎧の力を全開にしてアームに向かって斬りかかる。だがアームはその剣を悠々と受け止め小揺るぎもしない。
「クソッ! お前がそんなに強い訳がねぇ! その鎧の力か!?」
「そうとも。お前と同じだよゲコック。お前が人間に媚びを売ってその力を手に入れたように、俺はボルボーン様からこの鎧を下賜されたんだ」
「俺は! 媚びなんて売ってねぇ!」
「なら何でそっち側にいるんだい? どうして魔族のお前が人間の部下を率いて魔族と戦っている? どうして……っ!」
アームの剣が、不意に鋭く閃く。その一刀はゲコックの兜を真っ二つに切り飛ばし、その下からずっと隠していた魔物の頭が白日の下に晒される。
「どうして魔族のお前が、この俺に剣を向けているんだ!」
「た、隊長!? そんな、隊長が魔族……っ!?」
「なんてこった! 隊長も黒騎士も同じ蛙頭だなんて……」
「…………チッ」
ゲコックの頭部を見て、部下達の間に激しい動揺が走る。それを見てこれ以上は誤魔化せないと悟ったゲコックはなんとかこの場を収めようと、できるだけ優しい声で部下達に話しかける。
「なあ、お前達。俺は確かに魔族だが、それでもお前達と一緒に戦って――」
「ま、まさか最近こっちの軍が押されてるのは、隊長が裏切ったからなのか!?」
「そうか! 魔族のお仲間にこの魔導鎧の秘密を引き渡して……それを元に作ったのがその黒騎士の鎧!?」
「糞っ! 騙されて死ぬなんて御免だ! 俺は逃げるぜ!」
「お前達…………」
あるいは罵倒、あるいは恨みを叫びながら一目散に逃げていく部下達の背を見て、ゲコックの剣を握る手から急速に力が抜けていった。これまで確かに感じていたはずの絆が、あっさりと自分の手をすり抜けていく。
そしてそんな人間の兵士をあえて見逃したアームが、聞き分けの無い子供を諭すような口調でゲコックに言葉を投げかける。
「まさかとは思うが、期待したのか? 『魔族でも関係ない。アンタは俺達の隊長だ!』なんて言ってもらえるとでも?」
「う、うるせぇ! 元はと言えばお前が……っ!」
自棄のように振るわれるゲコックの剣に、先程までの鋭さはない。それを淡々と受け止めながら、アームの言葉は止まらない。
「俺はお前に言ったはずだ。世の中はそんな単純じゃない。もっとずっと無情なものなんだって。これがその結果だ。お前が信じてきたものは、お前が信じたかっただけの幻でしかない」
「違う! そんなことはねぇ!」
「違わないさ!」
「ぐあっ!?」
キィンと高い音を立てて、ゲコックの剣が弾き飛ばされる。それに目を取られてしまったゲコックのむき出しの頭をアームの拳が殴りつけ、その場に倒れ込んだゲコックに対してアームが剣を突きつける。
「大人になれゲコック。これが……この無情な世界が現実なんだ」
燃えるような瞳で睨み付けるゲコックの顔を冷めた目で見つめ返し、何処か寂しげな声でアームが呟いた。