父、決着をつける
「はぁ……はぁ……はぁ……」
五〇対一という圧倒的な戦力差から始まった勝負は、今ここに佳境を迎えていた。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
広場の中央に立つのは、最初にニックに絡んだ騎士。そしてそれに相対するのは、服こそ所々が焼け焦げたりしているものの、その体には傷ひとつ無いニック。
「さあどうする? これで終わりか?」
「馬鹿言うな……はぁ……終わりなわけないだろう……はぁ……」
肩で息をする騎士の周囲には、死屍累々たる同胞の山。四九もの動かぬ騎士が、辺り一面を埋め尽くしている……当然だが、本当に死んではいない。単に気絶しているか、動けないほど疲労しているかのどちらかだ。
「そうか? だがお主の仲間は皆倒れたぞ? この期に及んで如何にする?」
「フンッ……侮るな! 私とお前は一対一! ならばこれは対等な勝負で、仲間達がお前の体力を削ってくれた以上、勝利は私のすぐ側にある!」
「……そうか。ならばこれ以上言葉はいらぬか」
騎士の目から、未だ光は消えていない。ただ己の勝利を信じて疑わぬ強い光に、ニックはニヤリと笑って拳を握る。
「さあこい! お主の全てを儂が打ち砕いてくれよう!」
「ほざけ! イヤァァァァァァァ!!!」
裂帛の気合いと共に、騎士の男がニックに向かって切り込んでくる。上段からの打ち下ろしをニックは軽く左手で受け止めようとして……
「ぬっ!?」
「かかったな!」
不意に、カクンと剣閃がずれた。ニックが伸ばした左手の甲を撫でるように剣が走り、同時に切っ先がニックの体から離れていく。振り下ろしたはずの剣がいつの間にか腰だめに引き絞られ、繰り出されるのは渾身の突き。
「カッ!」
喉を鳴らし、破裂するような呼吸音と共に迫る必殺の一撃を前に、ニックは嬉しそうに目を細めると、自らの体に届く寸前の剣に左の肘を落として迎撃する。
「甘い!」
「ぐぅぅ!?」
刀身から伝わる強烈な衝撃に、騎士の男の手から剣がこぼれ落ちる。あっと声を漏らして落ちていく剣に思わず手を伸ばしたところで、その顔にニックの巨大な拳が迫り……当たる直前でその動きが止まる。
「……………………何故止めた?」
「その方が嫌だったであろう?」
笑うニックに、騎士の男は答えない。ただ殴り飛ばされて終わるならそれは自分が全力を尽くした結果であり、悔いはあっても受け入れられる。だが自分の意識がある状態でこうされれば、己の口から負けを認める発言をしなければならない。
それを受け入れられるほど騎士の男は大人ではなく、だからこそ次の言葉が口を突いて漏れる。
「……殺せ」
「落第点だ愚か者!」
誇りを胸に死を願った騎士の男に、ニックは強烈なデコピンを食らわせた。あまりの衝撃にその場で尻餅をついてしまう騎士の男だったが、その程度で意識を失ったりはしない。
「如何なる手段を用いても勝たねばならぬ局面というのも確かに存在する。絶対に譲れぬ何かの為に、敵はおろか味方からすら卑劣外道と罵られてなお負けられぬ戦いがな。
あるいは、続く者達の為に誇りを持って死を選ぶこともあるかも知れぬ。その死に様を以て皆を奮い立たせ、いつか必ず勝利するための礎となることを選んだ英雄も世にはいる。
だが、そういうものは儂等大人が背負うものだ。お主等の様な若者がもっとも優先すべきことは、生き残ること。
誇りなどかなぐり捨て、草を食み汚泥を啜ってでも絶対に生き残る。生き残ればこそ若さを用いて己を鍛え、次なる勝利に繋がるのだ。それを軽々しく『殺せ』とは……やはりまだまだ青いな」
「っ……」
騎士の男は、兜の下で唇を噛み無言を貫く。たった一人の男に五〇人でかかって負けたという屈辱。そんな相手の言葉に何も言い返せない無力さ。それでもなお、いつかこの男を超えたいと思う願い。あらゆる気持ちがない交ぜとなり、既に力の入らないはずだった拳がギュッと握られる。
「ま、若いうちはそのくらい元気があった方がいいかも知れんな。この敗北を胸に刻み、今後の糧とするがよい」
へたり込んだまま動かない騎士に、ニックが拳を向ける。
「最後にもう一度だけ……お主の名を教えてくれぬか?」
「……お前に名乗る名は無い」
ニックの問いかけに、騎士の男の答えは変わらなかった。だがキッとニックを睨み付け、男の言葉はまだ続く。
「今は無様に破れたとて、私も、私の仲間達も、こんなことで膝を折ったりはしない! いつか必ず国中に、世界中にその名を轟かせる存在になってみせよう! だから私の名は、その時に知れ! お前が倒した男の名は、世界一の騎士の名だ!」
「クッ……ハッハッハ! そうかそうか! 楽しみにしておこう!」
若者特有の大言壮語を、ニックは高笑いで受け止めた。身を低くし地を這うようなニックの拳が、しゃがんだままの騎士の男の腹に突き刺さる。
「ぐほっ!?」
「故に、今は眠るがいい。待っておるぞ、未来の英雄よ」
最後までニックから視線を外すことのなかった騎士の男が、苦痛の呻きと共にその意識を失う。グッタリした体を丁寧に地面に横たえると、ニックはその場で天高く両手を掲げる。
「此度の戦、まったくいい勝負であった!」
『あっ……え、あ!? せ、戦闘終了! 今回の模擬戦闘は、ニック氏の勝利です!』
僅かに遅れて、広場に審判の男の声が響く。五〇の騎士の横たわるなか、ただひとり立ち続けるニックに送られるのは、僅かな賞賛の声と大量の沈黙。
「凄い凄い! ニック様が勝ちました! お父様、お母様! ニック様が!」
「あ、ああ、うむ。そうだなキレーナ。あの男が勝ったな」
「え、ええ。そうね……」
無邪気にはしゃぐキレーナに対し、ジョバンノ王とブナンナ王妃は決着がついてなお軽い混乱に見舞われたままだった。あまりにも現実離れした戦い、あり得ない結末に、心と体が追いついてこないのだ。
「……………………」
「……………………」
そして、この場でもっとも動揺しているのがマックローニ父娘だ。二人とも顔面は蒼白のまま、無言でボーッと前を見ている。どうやら彼らが祈っていた神は、ニックに殴り倒されていたらしい。
「さてと。では大臣よ! これで儂の……ひいてはキレーナ王女殿下の嫌疑は晴れたと考えてよいのだな?」
「は、はひっ!? そ、それは、その……」
ニックに話しかけられたことで、その場にいた全員の注目がハラガ大臣に集まる。そして――
「ハラガ!? お主、その体は一体……!?」
ジョバンノ王が思わず驚きの声をあげる。何故ならそこには、すっかり変わり果てたハラガの姿があったからだ。
「体ですか? 私の体に何か……?」
「何かというか……お主、平気なのか?」
「は、はい? 平気と言われましても……何だか少し腰回りが軽い気がしますが」
そう答えるハラガ大臣の体は、痩せていた。服の腹回りはダブダブになっており、もうその腹がタプタプすることはない。
「あっ!? ココロ様も……ココロ様?」
「へ? わ、私がどうかしましたか?」
そして、その隣にいたココロも変わっていた。すっかり化粧が剥げ落ち、高慢な貴族然とした佇まいが田舎で芋農家をやっていそうな素朴かつ平凡な容姿に変わっている。その変わり様は一見してキレーナが名前に疑問符をつけるほどであった。
「おーい! 儂への返答がまだなのだが?」
と、そこに広場のニックから声がかかった。ビクッと体を震わせたハラガ大臣が、その唇を震わせながらもしっかりと言葉を発する。
「そ、そうですな。これほどの武勇を見せられて……いえ、見せていただいたのですから、もはや疑う余地はありますまい。ワイバーンの群れの討伐は真であったということで……」
「そうか。ならば……っ!」
笑顔で頷いたニックが小さく息を吐くと、次の瞬間その巨体がキレーナ王女のすぐ前に現れる。
「きゃっ!? に、ニック様!?」
「キレーナ王女殿下。私の戦いはいかがでしたかな?」
「え、ええ! とても凄かったです!」
「それは良かった。では今後も何かありましたら、気軽にお声がけください。旅の者故いつでも……とは申せませんが、貴方のために力になることを約束致しましょう」
そう言ってニックはチラリと大臣達の方に視線を向けてから跪き、キレーナの手を取りその甲に口づけをする。
「ニック様……ありがとうございます」
少しだけ頬を赤くしつつ、満面の笑みで答えるキレーナ。マックローニ父娘はその様子をただ黙って見つめることしかできなかった。





