父、喪失する
雨にも風にも大嵐にも津波にも負けない堅牢な拠点を作り上げたニック。満足のいく結果を得られたことでひとまず建築熱も冷め、そうして過ぎゆく日々に身を任せながらの無人島生活、二〇日目。ニックを襲う新たな難敵、それは……退屈であった。
「むぅ、暇だな……」
あまりにもやることがなくて、軽く三時間ほど砂浜で走り込んだニックがふとそんな呟きを漏らす。周囲への影響に配慮して音の壁すら越えない控えめな速度で走っていたためか、その額には汗の一滴すら浮いていない。
「なあオーゼン。順調なのはいいのだが、この試練は何と言うか……こんな感じでいいものなのか? もっとこう色々あるのだとばかり思っていたのだが」
『そんな事を我に言われてもな』
本来ならば、二〇日目というのは厳しい決断を幾つも強いられるような頃合いだ。最初からある果物を食べ尽くすことで森に配置されるようになる様々な魔物や動植物もこの頃になるとかなり凶悪なものが混じるようになるし、二つ目の水場が駄目になるのもおおよそこのぐらいの時期となる。
ニックが一〇日目で経験した「大嵐」で拠点を潰されるのも通常だとこのくらいで、備蓄した水や食料を安全な拠点と共に失い、ある程度周囲の安全の確保されたこの場に拠点を築き直すのか、あるいは危険な森を抜けて新たな水場の側に拠点を移すのか、王候補者はその難しい判断を迫られているはずなのだ。
が、その悉くがニックには関係ない。単独活動なうえに危険で凶悪なはずの「追加された強敵」を毎回あっさりと仕留めて肉を手に入れている関係上、最初からある果物がまだ三割近く残っているため、それ以後に発生するはずの試練が一切発動していないのだ。
(まあ、仮に森に魔物が溢れかえろうとも、この男ならば関係ないのだろうが)
オーゼンの意識の中では、一呼吸で命を奪う猛毒の花粉を「臭い!」と言って手で払い、飛びかかってくる魔物を雑な感じに殴り飛ばし、遠方の水場まで鼻歌交じりで到着して帰りには土産とばかりに強大な魔物の肉を担いで難攻不落の石拠点に戻ってくるニックの姿がありありと思い浮かんでくる。
最序盤こそ常識外れな行動力で一気に試練の難易度をあげたニックだったが、その後は生活が安定し同じ事ばかりを繰り返す……つまりはこの試練における最高の攻略法「余計なことをしない」を高い次元で成り立たせてしまったことが、ニックを襲う退屈の正体であった。
『そんなに暇なのであれば、また岩塩でも探してみればいいのではないか?』
「岩塩か……正直今更手に入れてもなぁ」
通常なら阿鼻叫喚の地獄絵図が繰り返されるこの試練を退屈と言ってのけるような相棒に対し、オーゼンはこれ以上無い程に無難な提案をし、だがニックは微妙に顔をしかめてそれに答える。
結局今日に至っても、ニックは岩塩を発見することができていなかった。石を切り出す最中にきっちりと岩塩の鉱床を見たというのに、「随分と脆い岩だな」という感想を持っただけで、最後まで岩塩だとは気づかなかったのだ。
もっとも、今は肉を海水に浸してから焼くという手法を確立させているため、特に塩分に飢えているということもない。そのためニックの中では岩塩の確保はかなり優先順位が下がっており、散歩中に見つかったらちょっと嬉しいかな、程度の存在になっていた。
『だが、他にやることもないのであろう? それともまた適当に木で小物でも作るか? あるいは貴様ならば石を彫ってもいいだろうが……』
「それもこれ以上増やしてもなぁ」
暗く冷たい石の部屋のなかには、一〇を超える小物が転がっている。様々な動物の形をいい具合に再現しているそれらは如何にも「親が子に手作りした玩具」という感じの出来であり、素人であるニックが手慰みに作ったものとしてはなかなかの完成度だ。
「魔法の鞄があれば持って帰れるが、今のところこれはここに捨て置くしかないのだろう? 大した物ではないと言われればそうなのだが、確実に塵になるとわかっているものを手を掛けて作り続けるのは、どうにも忍びなくてなぁ」
『あー、まあ気持ちはわかるが……』
せっかく作ったのだから、それに価値や使い道があるかどうかはともかくとして、捨てていくのは勿体ない。その心理はオーゼンにも理解できるので、そうなるとこれ以上作れとは言いづらい。
「……っと、また来たか」
ふとそんな会話を途中で打ち切り、ニックが徐に立ち上がって拠点の外に向かって歩き出した。澄んだ空気と広い空の下に出たニックが目にしたのは、こちらに向かってくる数十の巨大な魔物の群れだ。
「おお、あれはワイバーン……ではないな。まさかドラゴンか?」
目をこらすニックの姿を見つけて、竜と思わしき集団が一斉に体を水平にして高速飛行の体勢をとる。そのまま一直線にニックの方へと飛翔すると、不意にその口がカパリと開いた。
「むっ!? やらせんぞ!」
吐息の前兆を見て、ニックは素早く大地を蹴って宙へと跳び、口を開いたドラゴンの頭を殴り飛ばしていく。それを見て他の竜達はバッと周囲に散開していくが、それよりもニックが宙を蹴る方が速い。
「ほっ! はっ! とうっ!」
「グギャッ!?」
「グルァァァ!?」
「ゴバァ!?」
吹き荒れる風の鎧を纏い、空を舞う破綻槌と呼ばれることすらある暴風竜。一匹がただ通り過ぎるだけですら周囲に大きな破壊を生み出し、数十となればよほど周到に準備でもしていない限り大国の王都すら壊滅するであろう圧倒的な脅威が、ニック一人の前に為す術もなく潰えていく。
「お主で最後だ!」
「ギャフゥゥゥ!」
そうして最後の一匹が撃墜され、結局破滅の使者達はニック本人にもその周囲にも何一つ被害を及ぼすことなく全滅してしまった。そしてその瞬間、オーゼンすら知らないところでとあるカウントが一つ進む。
そしてそれは、その日だけに留まらない。その後も日に一度何らかの竜種が襲ってくるようになり、その度にニックは無傷でそれを撃退して……無人島生活、二九日目の夜。
『全参加者の意識喪失により、二九日目の終了を確認。達成された実績は――』
(これを聞くのも今日が最後か。無事に辿り着いたのは予想通りだが、思ったよりもずっと騒動が少なかったのは意外だったな。この分なら最終日も――)
『――枯渇を回避
・襲撃を撃退 二九日連続
追加実績 「全ての襲撃を撃退」
追加実績EX 「連続する全ての襲撃を無傷で撃退」
追加実績EX 「全種類の竜種を撃退」
追加実績EX 「全種類の竜種を無傷で撃退」
追加実績の達成により、最終試練「終焉の獣」が発動します。「百練の迷宮」が崩壊する可能性を含むため、緊急措置として「王選のメダリオン」を一時的に保護します』
『何っ!?』
基本的に、オーゼンには侵入した「百練の迷宮」の試練内容は全て開示される。だが情報が与えられていることと、その全てを理解していることは別だ。特にこの試練はやたらと細かい設定が多く、そのなかで作成以来一度として発動したことのない試練の内容までは流石のオーゼンでも意識の外であった。
『しまっ!? ニッ――――――――』
一声を発する間すらなく、オーゼンの体がニックの腰の鞄から消失する。横になって眠っているニックが、それに気づく道理はない。
「…………オーゼン?」
だというのに、ニックは気づいた。ほんの僅かな重量の変化、そして何より相棒の気配の喪失に目を覚まし、寝ぼけた声でその名を呼ぶ。
「オーゼン? おいオーゼン? ……むぅ!?」
返事のない相棒を不審に思い鞄に手を突っ込むも、そこにあるはずの感触が存在しない。慌てて飛び起きてベルトを外し腰の鞄をひっくり返すも、転がり落ちてくるのは常用している小物のみ。
「どういうことだ!? オーゼン!? どうした!? 何処に行った!?」
珍しく本気で焦り、ニックが思わず大声を出す。だがそれに応える者はどこにもなく、石造りの拠点の外からは禍々しい気配が漂ってくる。
「……………………」
その様子に、ニックはぶちまけてしまった鞄の中身を素早く片付けるとそのまま拠点の外へと出て、それを見る。
天頂には紅い月。その光を受け血のようにどす黒く輝く海の果てから迫ってきているのは、正しく「世界の終焉」であった。