父、建築する
四日目以降の無人島生活は、ニックにとって何とも平和……あるいは退屈とすら言えるようなものであった。朝起きて水場で身支度を調えたら、その日に湧いた魔物を残さず狩り……実験の結果、残した魔物は消えてしまううえに翌日新たな魔物が出現しないことが判明した……後は適当に果物を収穫したりするだけで、一日のやるべき事が終わってしまうからだ。
と言っても、これは別に試練の難易度がおかしいというわけではなく、単にニックの能力の問題である。
本来、この試練は王候補者とその従者一〇人程度が受けることを前提として設計されていた。であればあくまでも最初の数日分でしかない果物以外の食料の調達に頭を悩ませたり、毎日繰り返される襲撃で出る負傷者の手当や島の探索、人数分の拠点の設営など、するべきこと、考えるべき事が幾らでもあったのだ。
だがニックは一人のため、最初からある果物だけで相当な日数がしのげてしまうし、拠点も自分の分だけあればいい。無論それだけ魔物の襲撃の対処は困難になるわけだが、そこは無敵の筋肉親父のためどれほど強敵を出そうとも鼻歌交じりで撃退してしまう。
負傷者を出すか食料を確保するかを悩むことなく通常より強い魔物を肉と素材に替え、病気も怪我もはねのけるため稀少な薬草などを必要とせず、既に島全体を探索し終えているために「一定日数が経過すると一番使用頻度の高い水場が一つ使えなくなる」という追加課題も何の問題もなく乗り越えてしまった。
必死に頭を捻り、絶妙な難易度を設定した試練の制作者がこの有様を見れば、頭を抱えて「勘弁してくれ」と泣くのではないか? オーゼンがそんな心配をしてしまうくらいに平穏無事に日数が経過し……そして一〇日目。最近のニックが力を入れているのは、拠点の改築計画であった。
「どうだオーゼン! 今度はいい具合ではないか?」
『うむ、確かに今度はよさそうだ』
ドヤ顔で胸を張るニックの前には、それなりによくできた小屋が建っていた。それは遠目に見ても近くに寄っても間違いなく「小屋」だと認識されるくらいには小屋であり、初日に作った三角の木組みからは想像も付かないほどに進化している。
「やはり木の杭を打ち込んで土台を作ったのは正解だったな。安定感がまるで違う」
『最初貴様が「木材を圧縮して丈夫にするのはどうだろうか?」と言って木片を握りつぶし始めた時はどうしようかと思ったが、結果としてあれが鉄より丈夫な資材となるとはな……これならば拠点として必要十分であろう』
「ふふふ、では早速中に入ってみようではないか」
ニックが作り、その腰には常にオーゼンもいたのだから、別に目新しい何かがあるわけではない。それでもやっと完成したということで、ニックはニヤニヤと楽しげな笑みを浮かべながら小屋の中へ入っていく。
扉というには些か微妙な板きれをギギッと動かし一歩足を踏み入れれば、目の前にあるのは白木の床と壁に、いくつかの柱。内壁で部屋を仕切るほどの技量はなかったのでそれは単一の空間であるが、それでも雨も風も防げるというだけで野宿とは雲泥の差だ。
部屋の中央付近に設置した簡易ベッドにはずっと愛用しているヒョウの魔物の毛皮が敷いてあり、その枕元には元の素材を使って小さく作り直したあの三角の小屋もどきもある。匠の遊び心が生み出したそれは初心を忘れるべからずという戒めであると同時に、せっかくだからととっておいた思い出の品だ。
壁の方に目をやれば、きちんと窓もある。が、勿論硝子などあるはずもないので、そこは単にくりぬいただけだ。それでも外が見えるのは違うし、雨が降った場合はパタンと倒れる板で塞ぐことができる。
勿論ピッタリとは塞がらないので少し強く降れば雨が入ってきたりするのだが、そこは壁際なので気にしないことにした。所詮は素人作業、拘り抜いて未完で終わるより、妥協を知って完成させることの方が重要なのだ。
他にも据え付けの棚には木をくりぬいて作った桶が置かれており、中には海水と一緒に肉が入っている。海にそのまま肉を入れると謎の魚が現れて一瞬にして食い散らかされてしまうが、こうして汲み置けば大丈夫だと言うことを貴い犠牲と引き換えに学んだのだ。
これぞ家。まさに家。所々歪だったり力業で無理矢理押し込んだりしているが、それでも遂に手に入れた、汗と努力の結晶たる夢の拠点であった。
「あー…………素晴らしいな」
ベッドに横になり、天井を見上げながらニックがそんな呟きを漏らす。幾つもの試作品が瓦礫の山に成り果て、何度となく生き埋めになりながらも作り上げた家だけに、その感動もひとしおだ。
『ふふ、見事な努力であったぞ。褒めてやろう』
この努力が必要か否かで言うならば、全く必要ではなかった。完全に趣味の産物であり、極限状態の無人島生活でこんな遊びに興じていたとなれば、声高に非難されても仕方の無いくらい愚かな行為である。
が、人生には楽しみが必要だ。余裕のある者がその余裕を楽しみに使って悪い事などあるはずもない。己の狭い正義でそれを責めるような輩など、鼻で笑ってやればいい。
「これだけの拠点が完成したならば、残り二〇日くらいは余裕で持つであろう。ふふふ、次はこの中に飾る小物でも作ろうか?」
『お、貴様が芸術に目覚めたか? 貴様のことだ、力を入れすぎた結果名状しがたい歪な木片ができるだけではないか? 何でもかんでも「これはこれで味があるな」と言っておけばいいと思ってはいかんぞ?』
「フッフッフ、甘いなオーゼン。こう見えて儂は娘のためにちょっとした玩具などを手作りしたこともあるのだぞ? 確かにイワホリ殿やメーショウ殿のような優れた芸術家、職人の作品とは比べるべくもないだろうが、子供が喜ぶくらいのものはできるのだ!」
『ほぅ! それならば楽しみにさせてもらおう』
そんな会話を交わしつつ、二人はその日を盛り上がったまま終える。そうして夜中、いつも通りに本日の試練の達成状況がオーゼンにのみ伝わってきて……
『拠点ポイントが規定値を超えたため、追加イベント「大嵐」が発生します』
『何だとっ!?』
「むぅ……どうしたオーゼン?」
その内容に思わず声をあげてしまい、それに反応したニックがゆっくりと目を開ける。
『いや、その…………』
「むーん? …………いや、待て。何だこの空気は?」
問われても、試練に関わる内容だけにオーゼンには答えることができない。それを訝しく思うニックだったが、すぐに周囲の環境の変化に敏感に反応して一気に意識が覚醒する。
「これは……嵐か!?」
小屋を跳びだし空を見上げると、美しい星空があっという間に暗雲に飲まれ、周囲に猛烈な風が吹き荒れ始める。
『お、おい貴様よ、外に出ては危ないぞ!』
「そうは言うが……ああっ!?」
瞬間、ニックの巨体すら吹き飛ばしそうな勢いの風がニックの周囲に襲いかかってくる。その風圧にニックは大地を踏みしめ腰を落として耐えたが、そうはできないモノがそこにはある。
「小屋がっ!」
苦心してニックが作り上げた小屋が、あっという間に風に吹かれてバラバラになっていく。流石のニックも吹き散る数百の木片をどうにかする手段はなく、ただ壊れていく小屋を見守ることしかできない。
「くっ、せめてこれだけは!」
跳び上がったニックが掴んだのは、最初の毛皮と三角の小物。思い出の詰まったその二つだけを手に着地すると、程なくして嵐は過ぎ去り、後には見るも無惨な残骸のみがその場に残された。
「……………………」
『貴様よ…………』
その光景を呆然と見つめるニックに、オーゼンは何と言っていいのかわからない。相棒の気持ちを慮るが故に声を詰まらせるオーゼンだったが、不意にその身にニックの笑い声が届く。
「クッ、ハッハッハ……そういうことか」
『お、おい貴様よ? どうしたのだ?』
「いや、なに。要はこれこそが試練なのだろう? あの嵐に打ち勝てるほどの家を作り上げよということか! いいだろう、やってやるぞ!」
『お、おぅ……そうか……』
落ち込むどころか、やる気に満ちた凶悪な笑みを浮かべるニックに、オーゼンは微妙に引いた声を出してしまう。勿論、これの意図はそうではなく、ある程度出来上がった拠点が破壊されることで、その後の魔物の襲撃をどう捌くかを見るためのものである。
「明日は朝から早速資材の調達と加工だ! 今度は更に立派な家を建ててやるぞ!」
『まあ、うむ。そうだな。頑張るといいと思うぞ』
変な方向に気合いの入ってしまったニックに、オーゼンは少しだけ投げやりに、そして大きく安堵して言葉を投げる。
(そうだな。我の相棒はこの程度で落ち込む男ではなかったな)
月に向かって吼えるニックに、オーゼンは一体どんな拠点を作り上げるのかと密かに胸を躍らせるのだった。