父、設営する
遙か遠い地で、勇者の娘が新たな強敵に対する心構えを決めていた頃。その父親である筋肉親父は、絶海の孤島にて大自然を満喫していた。
「ふっふっふ、どうだオーゼン? なかなかの出来ではないか?」
『まあ、うむ。そうだな』
周囲全てを海に囲まれた小さな無人島。その砂浜と森の境目辺りにニックが作り上げたのは、斜めに倒した丸太を組み合わせた小屋の屋根の部分のみのような何か。その名状しがたいおんぼろ具合は、オーゼンをして何を言っていいのかわからない。
「何だお主、反応がいまいちだな? これだって頑張って作ったのだぞ?」
『それはわかっているのだが……我としてはもうちょっと何とかなるのではないかと思えてな』
「確かにもっと手を掛ければ立派な物も作れるだろうが、今必要なのは急場を凌ぐ拠点だからな。この島の気候がどうなってるのかわからん以上、急に雨が降り出したり朝には霧が出たりするかも知れん。さしあたってそれを防げれば十分なのだから、このくらいでいいのだ」
別に雨や朝霧に濡れたところでニックは体調を崩したりはしないし、羽虫の類いがニックの鋼の筋肉を貫いて血を吸ったりできるはずもない。
だが、そうは言っても全身がじっとりと湿ったり鬱陶しく羽虫にたかられたりすれば不快なのは間違いないわけで、それを防ぐためには簡易とはいえ拠点の設営は必須であった。
『そうか。ま、そういうことならばよいのではないか? 後は葉っぱでも被せればよりそれっぽくなるであろう』
「だな。では仕上げといこう!」
オーゼンの言葉に笑顔で答えながら、ニックは近くで草や葉をかき集め、組み上げた丸太の上に被せていく。その結果ニックの巨体がギリギリ収まるくらいの小さな三角形は、かろうじて野営小屋と呼べるような存在に昇華した。
「よし、完成だ! 武具と一緒に魔法の鞄を奪われた時はどうしようかと思ったが、なかなかどうして何とかなるものだな」
『それはそうだろう。その「何とかする」ことこそがこの試練なのだからな』
旅の途中で偶然見つけた『百練の迷宮』への転移陣。久しぶりのそれに意気揚々とニックが飛び込むと、そこで課された試練は「あらゆる魔導具を使用することなく、この地にて一ヶ月の間生き延びよ」というものであった。
魔導具と見なされたため鎧と魔剣も奪われたのだが、それは大した問題ではない。試練達成後に跳ばされるいつもの台座部屋に置かれているということだから、その時に取り戻せばいいだけだ。
だが、魔法の鞄が持って行かれてしまったのはいただけない。何しろ野営に使う上等な天幕は勿論、食料や着替えなど生活に必要な物のほとんどは魔法の鞄にしまっていたからだ。
手元に残されたのは、腰の鞄に入れている僅かな常用品のみ。もしも並の人間であればこの時点で相当に厳しい生活が待っていたであろうが……この試練を作った者にとっては不幸なことに、ニックは並の人間ではなかった。
「拠点も決まったことだし、まずは水を確保するか。水場は……あっちだな」
軽く耳を澄ませたニックが、そう言って迷うことなく森へと分け入り、一直線に進んでいく。すると程なくして綺麗な湧き水のある場所を発見し、流石にこれは携帯していた水筒に水を汲んでいく。
「よしよし。では次は食料だな。初日は果物か山菜か、その辺にしておくか」
そう呟くと、今度はフラフラと森の中を散策していく。そうして緑色の果物がなっているのを発見すると、自分の拳ほどの大きさのそれを五つもぎ取る。
『それは食えるのか?』
「さあ? わからんが、食ってみる以外に判別法がないからなぁ。野性の獣に食わせるという調べ方もなくはないが、獣は平気でも人が食うと毒になるというのが割とあるので正直当てにならん。それに……」
『ん? まだ何かあるのか?』
怪訝な表情で周囲を見回すニックに、オーゼンがそう問い掛ける。だがニックは軽く首を横に振ってから言葉を続けた。
「いや、それは帰ってからにしよう。よっ!」
軽いかけ声と共に、大地を蹴ったニックの巨体が宙を舞う。そうして森の木々を悠々と見下ろす高さで現在位置を確認すると、そのまま空を蹴って横移動することであっさりと拠点の位置まで戻ることができた。
『相変わらず非常識な行動力だな。人を迷わす深い森も、貴様からすれば膝丈の草むらと変わらぬか』
「ハッハッハ、儂は儂の力を最大限活用しているだけだ」
何処か諦めたようなオーゼンの声に、ニックは笑ってそう答える。その後は近場から適当に木切れを集めると、その中から指二本分ほどの太さのある棒を選び、手を筒状に丸めるとその表面を軽く擦り上げる。するとあっという間に太い棒に火がつき、ニックはそれをたき火にくべた。
「うむ、着いたな」
『落ち葉ならばまだ理解できたが、乾燥させてすらいない太い生木が擦るだけで燃えるのか…………』
「どちらかと言うのなら、落ち葉に着火する方が難しいと思うぞ? 火打ち石などで火花を飛ばすならともかく、本体を直接擦って加熱するならこちらの方が太くて丈夫な分力を入れやすいからな」
抑揚の無い声で語るオーゼンに、ニックは笑いながらそう答えつつたき火に当たり、一応毒を警戒してゆっくりと果物を食べていく。幸いにして果物に毒は含まれていなかったらしく……仮に猛毒があったとしても、今となってはニックの腹を下すことすら難しかっただろうが……久方ぶりのわびしい夕食を終えて、食休みをすることしばし。
「む、来たか」
ゆっくりと立ち上がったニックの背後には、月明かりに白銀の毛皮を輝かせる狼のような魔物の群れ。自分達の存在に気づかれたことに一瞬驚いたように足を止めた狼たちだったが、それで怯むこともなく一斉にニックに向かって飛びかかってくる。
「ふーむ……普通だな」
もっとも、それでニックを脅かすことができるかと言われれば話は別だ。繰り出される拳は容易く狼の頭を砕き、死を覚悟して噛みついても自慢の牙はニックの皮膚にへこみをつけることすらできない。
「いや、訂正しよう。やはり特別製ということか」
戦闘力という意味ではそれほどでも無い。一〇匹の狼は銀級冒険者が三人もいれば余裕で対処できる程度の強さだ。
だが、仲間が目の前でやられても一切怯むこともなく、最後の一匹になってすら逃げるどころかがむしゃらに襲ってくるのは明らかに異常だ。飢えや狂気に支配された魔物というのも存在するが、群れを成して狩りをする理性とは相反する。
つまり、これはそういう風に創られた魔物なのだ。
『一応聞いておくが、大丈夫か?』
「ああ、何の問題もない。問題があるとすれば、これからだ」
『……………………』
ニックが言わんとしている答えを先に知っているが故に、オーゼンはただ沈黙を貫く。そうして物言わぬ骸となった狼たちをニックがジッと見つめていると、程なくして狼たちの死体が光の粒子となって空に溶けていってしまった。
「やはり『試練の塔』と同じか」
『あらかじめこれを予想していたのか?』
「まあな。さっき森で言いかけたことだが、この森には儂以外の命の気配がまるでなかった。が、これだけ広く豊かな森に生き物がいないなどということは自然ではあり得ん。
つまり、ここの生き物は試練が必要とした時に、必要としただけ生み出されるのではないかと考えたのだ。そしてそういうものであれば、きっと倒されれば消えてしまうのだろうともな」
『ふむ、貴様にしては……いや、貴様だからこそ気づけたこと、か』
普通の人間に森全体の命の気配など探ることができるはずもない。仮に自分の近くに何の気配もなくても、それは警戒心の強い獣が近づいてこないだけだと判断したことだろう。
本来ならば気づかれることなく終わるはずの試練の仕掛けの一端を看破され、オーゼンは知らず感嘆の言葉を漏らしてしまった。
「しかし、これは困ったな。獲物を狩って肉を食うのが一番簡単な食料調達の方法だったのだが、それを全て封じられるとは……明日は島中を回って果物の全数を把握しておかねば」
『……いや、その必要はない、かも知れんぞ』
「む? どういうことだオーゼン?」
『明日になればわかる。ほれ、そんなわけだからさっさと寝るのだ』
「むぅ……まあ確かに、起きていても仕方ないしな」
オーゼンに促され、ニックは昼間のうちに組み立てて置いた簡易拠点の中へゴソゴソと潜り込んでいく。単独で眠る際に周囲の視界を遮るような場所で寝るのは最低の悪手だが、ニックであれば近づいてくる気配は寝ていても全て察知できるので問題ない。
「ふぅ……おやすみ、オーゼン」
『ああ、ゆっくり寝るといい……』
目を閉じたニックから、しばらくして安らかな寝息が聞こえてくる。そうして試練の参加者全員が眠ったことで、オーゼンの中に試練を管理するモノからの声が聞こえてくる。
『全参加者の意識喪失により、一日目の終了を確認。達成された実績は以下の通りです。
・拠点設置
追加実績EX 「初日の午前中に設営完了」
・水源の発見
・食料調達 一日目
・襲撃を撃退 一日目
追加実績 「初めての勝利」
追加実績EX 「無傷で勝利」
追加実績の達成報酬としてボーナスオブジェクトを配置。評価点加算により二日目の難易度を上方修正します』
(試練を受ける者が優秀であればあるほど難易度の上がる試練か……最終的には何処まであがることやら……)
警戒するべき情報を何処かワクワクする気持ちで聞きながら、オーゼンは眠るニックをそっと見つめ続けるのだった。