岩彫職人、完成させる
見事石材を入手したその日、結局ニックはキリダスの町にもう一泊することにした。『鍵』を使うなら夜であろうと町中に転移することはできるし、イワホリならば夜であろうとも起きていて「一秒でも早く持ってくるんじゃあ!」と言いそうな気もしたが、そこは常識に配慮した結果である。
ということで、約束の三日目。元の町へと戻ってきたニックは、早速イワホリの工房へと足を運んだ。
「おーい、誰かいるかー?」
「はーい! 今いきまーす!」
建物に入ってすぐのところでニックが声をあげると、幸いにして工房には人がいるようだった。バタバタと足音をさせてやってきたのは、言わずと知れたジョッシュである。
「あっ、ニックさん! おはようございます!」
「おはようジョッシュ。石材を調達してきたのだが、イワホリ殿はおられるかな?」
「えっ、手に入ったんですか!? すぐお師匠様を呼んできますから、ちょっと待っててください! お師匠様ー!」
何でもない顔でとんでもない事を言うニックに、ジョッシュが驚きの声をあげてその場を走り去っていく。そうしてしばし待つと、ふんわりとした桃色の寝間着に身を包んだイワホリが息せき切ってニックの方へやってきた。
「ぜはぁ、ぜはぁ……せ、石材が手に入ったというのは本当か!?」
「勿論ですぞ。ほれ」
言って、ニックは魔法の鞄から石材を一つ取りだしてみせる。肩掛けの小さな鞄からニックの体よりも大きな石材がニュルンと出現する様は何とも不可思議であったが、イワホリの意識はすぐに石材の方へと向く。
「おおお、間違いなくキリダスの石材! 凄い! 凄いんじゃあ!」
「魔法の鞄!? うわ、ボク実物は初めてみました!」
「私としてはあの大きさの石材を片手で持っていることが気になるんですけど……」
「む? 何だ、お主もいたのか」
イワホリ達に少し遅れて聞こえてきた呆れ声は、モディールのものだ。寝間着姿のイワホリと違い、モディールはきちんと服を着ている。
「ええ。貴方が三日で石材を用意すると言っておりましたから、一応来てみたんです。にしても本当に手に入れてくるとは……一体何処で?」
「フッフッフ、キリダスの町に出向いて直接仕入れてきたのだ! 石切場に巣くった魔物も片付けておいたから、早晩普通に入手できるようになるはずだぞ」
「……そうですか」
自慢げに笑って言うニックに、モディールは少しだけ考えてから努めて冷静に言葉を受け流す。馬車で片道一ヶ月かかる距離を三日で往復したなど子供でも言わない嘘を言うのであれば、それは秘密にしたい何かがあるということだろう。
「重要なのは、今ここに間違いなく石材が存在しているということですものね。この借りはしっかりとお父様にもお伝えしておきますわ」
「ははは、そう気にするな。これはせっかくの人生の門出を暗い顔で過ごさせたくないという、儂の我が儘のようなものだからな」
「っ……それでもです。ありがとうございますニック様。貴方に心から感謝を」
「ほれ、そんなことより早くこの石材を運ぶのじゃあ!」
深く頭を下げるモディールを横目に、イワホリが待ちきれないとばかりに声をあげる。その様子に残る三人は思わず苦笑いで顔を見合わせてから、ニックはジョッシュの指示に従い石材の一つを工房中央にある台座の上に、残りを工房の隅に纏めて置いた。その間に着替えて準備を整えていたイワホリが、早速とばかりにノミを振り上げる。
「では、掘り始めるぞい! ほれ、さっさと脱ぐのじゃあ!」
「あー、やはり脱ぐのか……」
「頑張ってくださいまし、ニック様」
「どうぞ、ズバッと脱いじゃってください!」
軽くあきらめ顔になったニックが、三人の視線が集中するなかまたも服を脱いでいく。その後はこの工房に寝泊まりしつつ全裸の日々を一〇日ほど過ごしてから、ニックは町を旅立った。もはや自分の姿に目もくれず一心不乱に石を彫るイワホリと、その手伝いに走り回るジョッシュに別れを告げたニックに対し、腰の鞄からオーゼンが語りかけてくる。
『完成まで待たずともよかったのか?』
「興味がないわけではないが、流石に三ヶ月は長すぎるからな。ま、完成した頃にまた見に来ればいいではないか」
『それはそうだな。クククッ、エルフの国に続き、この国でも貴様の像が飾られることになるのか……いや、そう言えば雪山と火山の町の入り口にも貴様の像が建っていなかったか?』
「あー、そんなこともあったな……」
愉快そうに言うオーゼンに、ニックは軽く頭を捻りながらかつてのことを思い出す。名前こそ出さないようにしてもらったが、イーネンの町の入り口にもニックの像が建っていることは否定のできない現実である。
『ひょっとしてだが、貴様の娘より貴様の方が有名になっていたりしないか?』
「それは……っ!? ない、はずだ……?」
世界的な知名度は、勿論娘の方が高い。が、像が建つというのは基本的に偉業を達成してからなので、未だ魔王を倒していない勇者の像はニックの知る限り何処にも存在しない。
なのでそういう意味では自分の方が一歩どころか数歩抜きん出てしまっている可能性が否定しきれず、ニックは思わず頭を抱えそうになる。
「まあ、うむ。今回も儂の名前が出るわけではないだろうし……大丈夫であろう」
『フッ。まあ貴様がそう思いたいのであれば、我は構わんがな』
「ぐぬぅ……」
思わせぶりなオーゼンの言葉に微妙に苦い顔になりつつも、ニックは振り返ることなくパーリーピーポーへの道を歩き続けるのだった。
そしてこれは、未だ訪れぬ少しだけ先の未来。
「完成じゃあ……………………」
「……………………」
体中の全ての力を使い果たし、イワホリがその場にへたり込む。手にしたノミがカランと音を立てて床に転がったが、それを拾うべきジョッシュの体は動かない。
それは、紛うことなく筋肉親父の石像だった。下半身にはゆったりとした布が巻き付けられており、その隙間から覗く足は大地に根付いているかのように太く逞しい。なお通常の石像と違い布の下にはちゃんと股間が彫り込まれていたりするが、よほど覗き込まなければそれが見えることはない。
対して上半身はそのまま裸であり、命の息吹すら感じさせる厚い胸板は石像であるにも関わらず呼吸で僅かに上下しているような錯覚を覚えさせる。
だが、この像の神髄はそこではない。垂れ下がった左腕が見るだけで背筋が震えるほどの狂気と破壊の力を訴えかけてくるのに対し、守るという強い意志に満ちた右腕には布にくるまれた赤ん坊が抱かれているのだ。
その違いは石像の表情にも表れており、赤ん坊が目に入る角度だと子を守る親の慈愛に満ちた顔つきに見えるのに対し、赤ん坊が見えない位置から覗くのは野獣の如き戦士の顔。この二面性の表現こそ、世界最高峰の芸術家であるイワホリの腕があって初めて実現した奇跡の産物であった。
「完璧じゃ……おそらくワシの生涯で、これを超える作品はもう作れんじゃろうなあ……」
感無量とばかりにそう言葉をこぼし、イワホリは己が作った石像を見上げる。
最初こそ普通に戦士の像を彫っていたイワホリだったが、すぐにそれでは駄目だと気づき、新たな石像を彫った。
そうして繰り返すこと、四体目。遂に完成したそれは、正しくイワホリがこれまでの人生全てを注ぎ込んだと胸を張って言える最高の出来映えになった。
「ずっと疑問だったんじゃ。あの御仁の体を彫れば彫るほど、まるで全く関係ない他人を彫っているかのような違和感がまとわりついておった。完璧なはずの肉体が、まるっきり不完全にしか思えなかった。
そうか。あの筋肉の向こう側に見えた赤子こそが、あの御仁の真にして芯であったか……」
「お疲れ様です、お師匠様。勉強になりました!」
「うむうむ。はぁー、疲れた! 疲れたから、ワシは寝るぞい。オヌシはいつも通りに石像の完成を報告しておいてくれ。この出来なら間違いなくネーブル美術館に送ることになるじゃろうからな。
ああ、あの御仁がネーブル美術館に入れるようにする手配も忘れずにな」
「わっかりました!」
師の指示を受け、ジョッシュがその場を走り去る。その若く元気な後ろ姿は、否が応でもイワホリに己の歳を感じさせてしまう。
「もうちょっと成長を見守ったならば、ワシもそろそろ引退かのう……って、ワシは生涯現役なんじゃあ! ジョーッシュ! すぐにモディールのお嬢さんの石像に取りかかるぞぃ! さっさと準備をするんじゃあ!」
「わ、わっかりましたー!?」
自分で自分にツッコミを入れ、走り去ったばかりの弟子を大声で呼び戻すイワホリ。偉大な芸術家の未来は、まだまだ先に続いていくのだった。