父、解決策を思いつく
「勝てない、はずですわね……」
ニックの口から語られた、あまりに凄絶な半生。その内容をようやく自分の中で咀嚼し終えたモディールが、寂しげな表情でぽつりとそんな言葉を漏らす。
「それだけの経験が詰まっている体であれば、イワホリ様が惹きつけられるのはむしろ当然……私のような小娘が及ぶはずがありませんでしたわ」
ついさっきまで、モディールは「自分は努力した」と胸を張って言えるだけの日々を送ってきたと思っていた。だがあんな話を聞いてしまえば、自分の努力など息を吸って吐く程度のものだったのだと理解してしまう。
自分の言動は小さな子供が初めて庭先に出たのを「大冒険だった!」とはしゃいでいるようなものだと思い知らされて、モディールは暗い羞恥に身を焦がす。
「はっはっは、確かに儂の経験はそれなりのものだと思うが、だからといってお主の努力が劣っているということではあるまい?」
「慰めは必要ありませんわ。私これでも身の程を弁える程度の思慮は――」
「待て待て! そうではなくてだな……今更ではあるが、お主歳は幾つだ?」
「私ですか? 一七ですが、それが何か?」
ニックに問われ、モディールが小首を傾げつつそう答える。
「うむ、大体予想通りだな。ちなみにだが、儂はもうすぐ四二になる。それを踏まえて言わせてもらえば、自分の倍以上生きている大人が自分より多くの人生経験を積んでいるなどあまりにも当たり前すぎるではないか。
そもそも儂が努力を始めた歳にすらお主はまだなっていないのだぞ? そんな段階で『将来積むかも知れない経験』を全部無視して悲嘆に暮れるなど気が早いにも程がある……というか、そんなことをされては儂の立つ瀬がない。産まれたばかりの赤ん坊に『お前の人生経験など儂の足下にも及ばん!』と説教する老人など、みっともないを通り越して悲しくなってしまうではないか」
「フフッ、それは確かに……」
猛烈にしょぼくれた表情をとるニックに、モディールは思わず小さな笑みをこぼす。客観的にそんな姿を想像してしまえば、確かにそれは苦笑するしかない。
「それに、お主が努力し勝利しようと目指しているのは、理想のお主自身なのだろう? ならば儂と比べること自体に意味がない。時が等しく流れる以上儂とお主の生きた時間差が埋まることはないが、努力すればしただけ理想のお主自身には近づけるのだからな」
「…………そう言われると、そうですわね。申し訳ありませんニック様。どうも話が衝撃的すぎて、自分を見失っていたようですわ」
「謝られるようなことではないが……だが、そうだな。今のお主に絶対的に必要だと思うことを、一つだけ助言しよう」
「何でしょう?」
姿勢を正して問うモディールに、ニックは真剣な表情で告げる。
「うむ……そろそろお互い服を着た方がいいのではないか?」
「あっ……」
その言葉に、二人はようやく文明人らしくその身を衣服で覆い隠した。
「ふわぁ……よく寝たのぅ」
「あ、お師匠様!」
その後しばらくすると、大きなあくびをしながら休憩室にイワホリがやってきた。まだ眠そうではあるものの、その足はふらつくことなく体を支えている。
「お体の調子はいかがですかな、イワホリ殿」
「おお、肉の御仁か。おかげでもうすっかり元気いっぱいじゃ! 今すぐにでも掘り始められるぞい!」
「それはよかった……っと、そう言えば聞いていなかったのですが、石像といういのはどのくらいの期間で完成するものなのですかな?」
「ん? そうさのぅ。ワシの場合だと、大体二月から三月くらいかの?」
ニックの問いに、イワホリが顎に手を当て考えてから答える。彫る対象によって違いは出るが、人の等身大の石像を彫るならばそのくらいが基本だ。
「二月ですか……となると、儂はその間ずっとここに?」
しかし、それを聞いたニックの表情はやや渋い。流石に二月もの間この町に拘束されるのはちょっと長いと感じられる。
もっとも、それはイワホリにしても想定された答えだ。顔の前で手を横に振り、朗らかに笑いながら言葉を続ける。
「いやいや、そこまでは必要ないわい。出来れば最初の何日かは付き合って欲しいが、その後はオヌシがおらんでも彫れる。というか、ずっと本人がいなければならないなどとなったらお貴族様の石像など彫れるはずもあるまい?」
「あー、それはそうですな。ははは、安心しました」
ニヤリと笑って言うイワホリに、ニックはホッと胸を撫で下ろす。だがそうなれば今度は別の疑問が頭をもたげてきた。
「ふーむ……しかしそうなると、何故モディールはあんなに順番に拘っておったのだ? もうすぐ結婚するとは聞いているが、結婚してすぐに体型が崩れるわけでもないし、ましてや子供など更に先の話だ。何年もというのならともかく、三ヶ月程度であれば遅れたところで大した問題ではないのではないか?」
「それは……」
「それにはちと別の問題があってのぅ」
ニックの問い掛けにモディールが答えようとしたが、それを遮るようにイワホリが声をあげる。
「確かに石像の製作そのものには問題ないんじゃが、実はその材料となる石材が手に入らないんじゃ」
「石材というと?」
「ワシが石像を彫るときに使っている石は、ここからずーっと南にあるキリダスという町で産出されている石でな。硬度が高く、磨くことで柔らかい光沢が出る高級品なんじゃが、そこからの石の輸入が今は止まっておるんじゃよ。オヌシを彫ろうと思っているのが最後の一個なんじゃ」
「伝え聞いた話によると、どうやら石切場に強い魔物が大量に住み着いちゃったみたいなんです。普段なら国の軍隊が出てきて何とかしてくれるんですけど、今は魔族領域への遠征で兵士の数が足りないからって、なかなか対処してもらえないみたいで……」
イワホリの説明を、ジョッシュが更に補足する。モディールを含めた三人の表情は何とも苦々しいものだが、ただ一人ニックだけは違う。
「つまり、そのキリダスという町まで行って、魔物を駆除して石を調達できればモディールの問題は解決ということですかな?」
「そうじゃが……キリダスまでは馬車でも片道一月はかかるぞい? どんな魔物がどれほど巣くっているのかもわからんし、それらを完全に駆除して安全が確保されるまでは職人達も仕事の再開はしてくれんじゃろう。
そうなるとどんなに早くても次に石材が届くのは一年か二年先になる。適当な石材でいいのなら買い置きもあるし購入もできるんじゃが……」
「申し訳ありませんイワホリ様。ですがどうしてもキリダスの石材で彫って欲しいのです。我が儘だとはわかっているのですが、ここで妥協してしまってはそれこそ『今』に拘る意味がなくなってしまいますから」
「じゃろうのぅ。できあがりの美しさがまるで違うからのぅ」
もっとも理想的な自分と、今の自分を比較して勝利したい。それは正しく美を追究した自分自身との戦いなのだから、そこで安物の石材を使われては、それに勝っても真に勝利したとは思えない。その拘りこそがモディールを焦らせる要因であり、どうしてもニックに順番を譲れない原因でもあった。
「ふむふむ。次に手に入るのが何年も先になるであろう石、それが一つしかないから困っていたということか。なんだ、ならば簡単に解決できるではないか!」
「どういうことじゃ? まさかオヌシ、キリダスの石材の在庫に心当たりでもあるのか?」
「だ、だったら是非お売り下さい! お金は……その、できるだけ頑張らせていただきますから!」
明るい声でそう言ったニックに、イワホリを押しのける勢いでモディールが訴えかけてくる。
「在庫か……まあ在庫と言えば在庫だな。では三日ほど待ってもらえるか? そうすれば儂がその石材を調達してこよう」
「お願いします! どうか!」
「ワシからも頼む。この状況じゃから、多少高くても予備はいくつか欲しいからのぅ。一〇個くらいまでなら買うぞい」
「了解した。では早速動くとしようか」
自信満々の表情で席を立つと、ニックはイワホリ達の期待を一身に受けて工房を後に、まずは冒険者ギルドへと足を運んだ。