父、苦労話をする
一部グロテスクな表現があります。苦手な方はご注意下さい。
「儂は元々木こりでな。力や体力はそれなりにある方だったが、本格的に強くなろうと努力を始めたのは、儂が二四の時だ。」
「え、それは意外ですね。てっきり一五歳から冒険者をやってるんだと思いましたけど」
ニックの言葉に、ジョッシュが軽く驚いて答える。自分の師が惚れ込む程の強さを身につけているなら、それこそ子供の頃から戦いに明け暮れているのが当然だと思っていたからだ。
「その歳で突然ということは、何かきっかけがあったのですか?」
「うむ。その少し前に娘が産まれてな。娘を守れる強い父親になりたいと思ったのだ」
少しだけ照れくさそうに言うニックに、ジョッシュとモディールが優しい笑顔を向ける。二人とも人の親になった経験はないが、娘のために頑張ろうとする父親に悪い印象を持つはずもない。
「でだ。そう決めたとしても、最初の頃はできることなどたかが知れておる。最初のうちは仕事や娘の世話の合間にひたすら走り回ったり筋トレをしたりと、とにかく体を作ることに注力した。休まず訓練できるようになれば、その分早く強くなれるからな。
そうして努力を重ねていった結果、気づけば儂は一日中全力で動き回っても疲労を感じないほどになっていた」
「……ん?」
「ん? どうかしたか?」
「あ、いえ、何でも。どうぞ続けて下さい」
世に体を鍛えている人物は幾らでもいるが、果たして彼らは全力で一日中動き回って疲れないものなのだろうか? そんな疑問がジョッシュの頭をよぎったが、まあいいかととりあえずジョッシュはそれを横に置いておくことにした。
「疲れなくなったからには、次は実戦訓練だ。儂の生まれが田舎の村だったこともあり、少し山に入れば危険な獣は割といたし、更に進めば魔物の姿もちらほらあって、戦う相手に事欠かぬ。
木こりの稼ぎではまともな武具は高くて買えぬから、そういう相手とひたすらに素手で戦い続ける日々は常に危険と隣り合わせであり、何度も何度も死にかけた。それでも儂が生き延びられたのは、儂がきちんと自分の力を自覚し、『逃げる』ことを常に選択肢として残していたからだな」
「逃げる、ですか?」
不思議そうに首を傾げるモディールに、ニックは軽く苦笑いを浮かべる。
「そうだ。さっきも言ったが、儂の目標は娘を守る為に強くなることであり、それは儂が死んだ時点で達成できなくなってしまうであろう? 丁度そのころとある剣の達人と出会ったこともあって、遙か高みを見たからこそ自身の目指す『最強』の遠さに気づき、謙虚に上を目指すことができたのだ。
重要なのは生き残ることだ。見栄えや名誉など関係ない。どれほどの窮地からでも必ず生きて娘の元に帰るためにこそ、儂は最初に体を鍛え上げたのだからな」
「なるほど。上辺だけの英雄を目指したわけではないということですね」
娘によく見られたいという欲求ではなく、本当に娘を守りたいのだというニックの真剣さが伝わり、モディールは深く頷いてみせる。確かにそれなら見栄えのいい体型を整えるより、実践的な筋肉を身につけていて当然だ。
「そういうことだ。その当時冒険者として登録しなかったのも、依頼という形に行動を縛られたくなかったからだしな。自分が生きて強くなることだけを追求するなら、そんな肩書きはむしろ邪魔だったのだ。
で、そんな戦いの日々を繰り返し、徐々に強い魔物が倒せるようになってくると、その素材を売り払うことで資金的な余裕が出てきた。その金で儂が買い集めたのが、毒薬と回復薬だ」
「えっ!? 回復薬はわかりますけど、毒薬ですか!?」
今の話の流れならてっきり武具を買いそろえたのかと思っただけに、ジョッシュが驚きをそのまま言葉にする。
「そうだ。毒というのは割と色々な種類があってな。その辺に生えているキノコや魔物などが持っているものもあるが、人が調合した毒というのもまた多い。そういうものを片っ端から手に入れて、それをひたすら自分の中に取り込んでいった」
「とりこんでいったって、そんなことしたら死んでしまうのではありませんか?」
「あ、でも、確か薄めた毒を長い時間かけて取り込み続けると毒に耐性ができるって話を、何かで聞いたことがあるような……」
モディールの疑問にジョッシュが答えると、ニックはそれを肯定するように大きく頷いてみせる。
「よく知っているな。そうだ。もっともそのやり方では一つの毒の耐性を身につけるのに何年もかかってしまうから、儂の場合はちょいと工夫をしたがな」
「工夫ですか? どんな?」
「うむ。普通に致死量の毒を取り込んだうえで、回復薬を使って無理矢理に死なないようにするのだ!」
「するのだって……ええぇ!?」
ドヤ顔で語るニックに、ジョッシュは激しい困惑の表情を浮かべる。解毒薬ですぐに消すというのならまだわかるが、回復薬で無理矢理保たせるなどという方法は聞いたことがない。
「それ、大丈夫なんですの?」
「ああ、割と平気だぞ。その当時はかなり資金に余裕も出来ていたから、その殆どをつぎ込んで高級な回復薬を買いあさっておいたからな。
とはいえ、楽な訓練でなかったのは事実だ。臓腑を焼く毒を飲んだときなどは腐り落ちた内臓が止めどなく尻から溢れてきてな、普通に回復薬を飲んだのではとても追いつかず、やむなく自分の手で腹を切って腐れた肉を掻き出し、回復薬を直接かけたりもしたものだ。いやぁ、あれはキツかった」
「オエッ!」
笑いながら言うニックに対し、その場面を想像してしまったジョッシュは真っ青な表情で口を押さえてえずく。隣に座るモディールも同じような顔色だったが、こちらは気丈にも薄い微笑みを浮かべている……ただしピクリとも動かないが。
「でまあ、ここから先の訓練はあまり聞かない方がいいような内容がどんどん増えてくる感じだな。幻覚系の毒を食らった時は気づいたら全身血まみれで倒れたりしておったし、それ以外にも竜の吐息にあえて焼かれてみるとか、飢えや渇きへの耐性をつけるために木を囓ったり泥を啜ったりしたこともあったな。
何なら自分の腕に噛みついて、その肉を食ったこともあるぞ。回復薬で治せるとはいえその後の消耗を考えれば一時しのぎとしても厳しかったがな。他には……」
「も、もう十分ですわ!」
懐かしそうに語るニックを前に、モディールが限界とばかりにその話を遮る。震える声には恐怖と嫌悪が混じっており、その体が自然とのけぞってニックから距離をとろうとしてしまう。
「す、凄まじい体験をなさってきたんですのね……正直、その……」
「ははは、怖いか?」
「…………はい」
自分から聞いたことではあるが、それでもモディールは軽く顔を背けながら首肯する。ニックの語った内容は控えめに言っても狂気の沙汰であり、まともな人間が耐えられるものだとは思えなかった。
「訓練っていうか、拷問ですよね。同じ事をするって言われたら、ボクなら一秒だってもたない……というより、誰かがやっているのを見せられるだけでも耐えられないと思います」
「そこまでして守りたい娘さんというのは、一体どのような方なんですか?」
「儂の娘か……今となっては隠す理由も無いだろうから教えるが、勇者だ」
「勇者……? え、勇者って、あの勇者ですか!? 魔族との共存を打ち出して、ちょっと前に勇者を辞めちゃった、勇者フレイ!?」
「ええっ!? 貴方、いえ、ニック様は勇者様のお父様だったのですか!?」
さっきまでの経験談と同じくらい衝撃的なニックの発言に、二人は更なる驚きの声をあげる。
「今更改まった言葉などいらんぞ? お主も言っている通り、娘は少し前に勇者を辞めておるからな。今の儂は勇者の父ではなく、ただの冒険者だ」
「はぁ、そうだったんですか。うわぁ、貴族の方くらいなら会ったことありますけど、まさか勇者様のお父さんだとは……有名人っているところにはいるんですねぇ」
「ということは、貴方は勇者である娘さんを守る為に、それほどの狂気に身を浸したと……?」
「そういうことだな。儂は娘を守りたい。娘を守る為の力が欲しかった。その娘がたまたま勇者であったから、それを守る為にはこのくらいの覚悟が必要だった……言ってしまえばそれだけのことだ」
ただの木こりが勇者を守る。そんな夢物語を現実にしたであろうニックを前に、モディールは言葉を忘れてその姿をジッと目に焼き付けるのだった。