手本娘、想いを語る
「……ああ、体を見せ合ってたんですか? ボクは軽く何か料理しますんで、お二人はごゆっくり」
「ありがとうジョッシュ。でも私は朝食を食べてきたからいらないわ」
「わかりました。じゃ、ニックさんの分だけってことで」
思わず固まるニックを余所に、ジョッシュとモディールはごく普通にそんな会話を交わす。それにニックが呆気にとられている間にモディールはあっさりと上着を脱ぎ捨ててしまい、変わらぬ冷静さでニックに声をかけた。
「さ、貴方もどうぞ?」
「お、おぅ……」
(何だ、やはり儂がおかしいのか?)
己の中の常識がどうにも噛み合わず、ニックが首を傾げながらも着たばかりの服を脱いでいく。そうして上半身を晒すと、今度はモディールの方が身を乗り出してニックの体をまじまじと観察し始めた。
「うーん。ああは言いましたけれど、やっぱり私にはごく普通の鍛えた殿方の体にしか見えませんわね……ねえジョッシュ、貴方はどう? というか、貴方なら私とこの方と、どちらの石像を彫るかしら?」
「ボクですか? そうですね……」
モディールに問われ、出来上がった料理の皿をテーブルに置きつつジョッシュが真剣な表情でニックを見つめる。とは言えその表情は何とも渋く、出した結論も昨日と変わるものではない。
「これはあくまでも未熟なボクの腕と目で判断してのことですけれど、単純に売ってお金を稼ぎたいというのであれば、モディールさん一択ですね。世間の評価が高いのもきっとモディールさんを元にした石像を作った場合だと思います。
ボクがニックさんの石像を彫った場合、どんなによくても凡作の域は出られないかと」
「そうですか。つまりイワホリ様ほどの方でなければ引き出せない魅力があると……難しいですわね」
勝負の時と違って優劣を見極めているわけではないため、ジョッシュもモディールも必死に頭を捻ってニックの体の優れた部分を見極めようと努力する。だが二人の観点からではどうしてもニックの体がモディールの体より優れているという結論が導き出せない。
「……そうだ。ねえ貴方、貴方から見た私の体はどうなんですか? 何か意見を聞かせて欲しいのですけれど」
「儂か? そうだな……」
少し発想を変えてみようと、モディールがそう言ってその場で姿勢を正し、己の裸が見えやすいようにした。スッと背筋の伸びた美しいその裸体を、今度はニックがまじまじと見つめる。
「芸術的かどうかはわからんが、美しく磨かれた体だとは思うな。ただまあ、そうか……これは方向性の違いか?」
「方向性ですか?」
「うむ。お主の体は、こうして観賞されることを前提とした磨き方をしているのではないか? 年若い娘としての健康的な美しさこそ際立っているが、娼婦のような妖艶さがあるわけでもなければ、戦士のような引き締まった体というわけでもない。
さっき儂が話したことと同じだ。芸術品、美術品として己の姿を残すことに特化しているだけに、その他の観点からの魅力を犠牲にしていると言えなくもないな」
「ああっ、そうか! やっとわかりました!」
ニックの解説にモディールが驚きの表情を浮かべるより先に、ジョッシュが大きな声でそう叫ぶ。
「ジョッシュ? 何がわかったんですの?」
「観点ですよ! ボクもモディールさんも、ニックさんの体を石像にしたらどう見えるかってことしか考えてなかったでしょう? でもニックさんは現役の冒険者なんですから、その体は見た目より実践を重視した『戦士の体』であるに決まってるじゃないですか!
ボク達には評価できない『戦士の体』の価値とか完成度を、お師匠様は一目で見抜いて惚れ込んだんだと思います!」
「えーっと……それはつまり、イワホリ様は戦士としてのニックさんの体に惚れ込んだのだから、石像にした場合の見栄えは二の次ということ? それってどうなのかしら?」
足の速さを競っていたはずなのに、突然横からやってきた人物が凄く力持ちだったので優勝になった。そんな意味のわからない答えに辿り着き、モディールは綺麗に整えられた眉根を寄せて首を傾げる。
「それは何とも……ただお師匠様はそう考えたんじゃないかって思っただけですから」
「やっぱりどうにも納得がいきませんわ。いえ、別に貴方を否定しているわけではないのだけれど」
「ははは、儂のことを気にする必要はない。儂とてよくわからないうちに連れてこられて、気づいたら裸にされていただけだからな」
「それもどうなのかと思いますけど……」
ジョッシュが持ってきてくれた料理を口にしつつ笑うニックを、モディールは腑に落ちないという表情で見つめる。落ちた視線の先にあるのは、この日のために努力を重ねてきた己の腕だ。
「そう言えばお主は、今回が四度目ということだったな。であればイワホリ殿とは随分と長い付き合いなのか?」
「え? ええ。私の家は商売を営んでいるんですけれど、父がイワホリ様の作品に惚れ込んで、幾つか購入したのがお付き合いの始まりでしたの。私が初めてイワホリ様にお会いしたのは、七歳の頃でしたわ……」
ニックの問いに答えながら、モディールは甘く苦いかつての自分の思い出に浸る。瞼の奥に浮かんでくるのは、今とは似ても似つかない自分の姿だ。
「当時、私は今よりずっと太っておりましたの。家は割と裕福だったので色々と美味しいものが食べられましたし、安全のためにあまり外で遊び歩くということもできませんでしたから。
なのでその時に父の依頼でイワホリ様が彫ってくれた私の石像を見た時は、一体何の嫌がらせかと思いましたわ。だってそこに立っていたのは、丸くてぷよぷよした私ではなく、スラリと痩せた可愛らしい女の子だったんですもの」
「……そこまで違ったら、依頼主であるお父上が怒ったりしなかったのか?」
「勿論、そんな話もありましたわ。でもイワホリ様が仰ったんです。『これは決して夢や幻ではなく、貴方のお嬢さんがしっかりと努力すれば辿り着くことのできた姿なのだ』と。
その言葉が、私には悔しくてたまりませんでした。だってそうでしょう? まるで自分の怠惰を責め立てるように『理想の自分』の石像があるんですよ?
だから私は言ってやったのです。『なら次の石像は、本物の私自身と寸分違わぬ見た目を彫らせてみせますわ!』とね」
ニンマリと笑いながら言うモディールの顔は、何とも楽しげだ。さりげなくジョッシュが入れてくれたお茶のおかわりを堪能しながら、口元を緩めて言葉を続けていく。
「そこから先は、ひたすらに努力の日々でした。理想の自分に少しでも近づくために食事を制限したり体を鍛えたり……正しく美しい体型を作るためには知識も必要でしたから、勉強だってしましたのよ?
そうして三年後、一〇歳の時に彫っていただいた石像は隣に並べば同一人物だとわかる程度には近づけましたし、更に三年後、一三歳の時に彫っていただいた石像では、少し大げさに美化されたかな、くらいにまで迫ることができましたの。
ですが……」
そこで一旦言葉を切り、モディールの表情が僅かに沈む。
「実は私、もうすぐ結婚するんですの。ただそうなると今のように己の美のみを追究する生活などできるはずもありませんし、ましてや子供を産むとなれば体型の維持すら難しくなります。
なので、本来ならば一六歳の時に彫ってもらうはずだった石像を、今の今まで伸ばしたのです。ギリギリまで粘って、可能な限りの努力を重ねて……この最後の機会に、今度こそ自分と全く変わらない姿の石像を彫っていただけるように、努力に努力を重ねてこの日を迎えたのです。
だというのに、その機会は貴方に奪われてしまいましたわ。血の滲むような努力を重ねた私よりも、貴方の体の方が魅力的だとイワホリ様に目移りされてしまったのです」
「それは……」
モディールの言葉に、ニックは何も言うことができない。必死に努力した相手に横から来ただけの自分が勝ったという事実に対し、申し訳ないなどと口にするのはあまりにも酷い侮辱だ。
そしてそんなニックに、モディールは寂しげに微笑みながら小さく首を横に振る。
「いいんですわ。結局の所イワホリ様が決めることですもの。ですが、少しでも私を哀れと思うのであれば、教えていただけませんか? イワホリ様が私の存在を忘れてしまうほどの体を、貴方はどうやって手に入れたのか」
「如何にして今の儂になったか、か…………聞いて気持ちのいい話ではないぞ?」
「構いませんわ。私の努力を越えた苦労をしているというのであれば、それが生半な話であるはずがありませんもの」
「わかった。ならば語ろう。儂が今の力を身につけるために過ごした日々の話をな」
ジッと自分を見つめるモディールと、いつの間にやらその隣に座り込んだジョッシュの顔を交互に見てから、ニックはゆっくりと己の過去を語り始めた。