父、見抜く
「ほう、ここが?」
「はい! お師匠様の工房です!」
ニックが連れてこられたのは、町外れにある巨大な倉庫のような建物だった。まるで我が屋であるかのように誇らしげな顔で言うジョッシュに、ニックも軽く微笑みながら言葉を繋げる。
「ふむ。有名な芸術家というから、てっきりもっと町中に居を構えているかと思ったが」
「ですよね。ボクも最初はそう思って、お師匠様の家を探すのにちょっと苦労とかしましたから、よくわかります!」
「ハッ! 町の中なぞ喧しくてかなわん! それに材料や完成した石像を出し入れするにも馬車が横付けできる方が便利だからの!」
「ふむ、言われてみればそうか」
芸術家の知り合いなどいないニックだったが、作業に集中するなら静かな方がいいだろうことは予想できるし、逆に石を彫るならそれなりの音も出るだろう。更に工房のみならずその前に大きな道があった方がいいとなれば、確かに町外れの方が色々と都合がいいのがすぐに理解できた。
「ほれ、そんなところに突っ立ってないで、さっさと入るのじゃあ!」
「うむ、邪魔するぞ」
鍵を開けて中に入っていくイワホリに続いて、ニック達も建物の中に入る。するとそこは外見通りの広い空間が広がっており、壁際には完成品と思わしき石像が何体か布を被せて置かれており、部屋の中央には切り出したままの形の石が置かれている。
「これはまた、完全な作業場だな。食事や睡眠は何処で取るのだ?」
「ああ、それはあっちの奥の方にある仕切りの向こうですね。普通の家に比べれば居心地はよくないですけど、ボクもお師匠様も基本的には仕事ばっかりですから」
「ジョーッシュ! 何をくだらないことをくっちゃべっておるんじゃあ! ほれ、さっさとこっちに肉の御仁を連れてくるんじゃあ!」
「はーい! 行きましょうニックさん」
「うむ……肉の御仁……」
『クッ、クックッ……クハッ!? 駄目だ、我慢できん! 肉の、肉の御仁と来たか!』
本日二度目の笑い声をあげるオーゼンを今度もバシンと鞄の上から叩きつつ、ニックはイワホリの方へと歩いて行く。そうして招かれたのは、件の布を被った石像の前であった。
「では、オヌシにはこの三体を見てもらうことにするぞい。まずはこれじゃ!」
イワホリの手が一番手前にあった石像の布を勢いよく取り払うと、そこから現れたのはニックのような……無論ニックほどではないが……見事な肉体美を誇る筋肉質の男性の像。当然のように全裸であり、何処とは言わないが微妙な部分までかなり精緻に彫り込まれている。
「ほう、これはなかなか見事な体つき……いや、それを再現している石像の出来を褒めるべきなのか?」
単純な体つきで言うならば、かつてマチョピチュで出会ったゴリオシよりも肉体の完成度は一段落ちる。だがここで重要なのは石像としての出来なので、芸術に疎いニックとしてはその評価にやや迷う。
もっとも、それはイワホリとしても予想出来たことなのだろう。先程のように衝撃で気絶したりするどころかむしろニヤリと笑みを浮かべ、次の石像の布にその手をかける。
「フッフッフ、わかっておるぞい? ならば次は……これじゃ!」
「おおぅ!?」
次に姿を現したのは、美しい立ち姿をした全裸の貴婦人像であった。当然ながらこちらも余すことなくその全身が表現されており、そのできばえにニックは思わず息を呑む。
「これは……凄いな」
元となった女性の艶めきを完全に再現したそれは、石という固い素材でありながら肌の柔らかさすら想像させる。無垢な少年が触れでもすれば、その冷たく固い感触に頭が混乱することだろう。
それは正しく生き写し。イワホリの技術の高さを改めて実感したニックだったが……だがそれでは終わらない。
「どうやらコイツはお気に召したようじゃな。ならば最後は……これじゃ!」
挑発するような笑みを浮かべて、イワホリが最後の石像の布を取り払う。その下から現れたのは……手にした槍を今まさに投擲せんとする、全裸の男戦士の像であった。
「…………むぅ?」
今にも動き出しそうな躍動感に溢れた石像。それは素人目に見ても一級品であり、前の二体と同じく最高峰の芸術品であるとわかるが……だがニックはここにきて顎に手を当て首を傾げる。
「これは……何と言うか、前の二つに比べて作りが雑ではないか?」
「はぁ!? 何言ってるんですかニックさん! お師匠様の作品にケチをつけるなんて、一体どれだけ見る目が――」
「カッカッカ! やっぱりわかるか!」
そんなニックにジョッシュが抗議の声をあげようとしたが、それを遮るようにイワホリの高笑いが工房に響く。
「え、え? お師匠様?」
「まーったく、それが見抜けんからオヌシはいつまで経っても半人前なんじゃ! もっとしっかり物事の本質を見る目を養わんか!」
「えぇぇぇぇ!?」
「む、ということは……」
「そうじゃ。これは確かに『芸術品』としては完成しておるが、ワシの目指す究極には届かん。その理由はただ一つ。ワシは彫刻家ではあっても、戦士ではないからなのじゃ」
「……ああ、そういうことか」
「えっ、わかっちゃうんですか!? じゃあこの場でわかってないのはボクだけなんですか!?」
悔しげに顔を歪めるイワホリと、納得の表情で頷くニック。そんな「わかっている」二人の姿に、一人だけ置いていかれたジョッシュがアタフタしながらわめき声をあげる。
「お師匠様! ボクには何が足りないんですかぁ!?」
「カーッ! 何でオヌシはそうすぐに人に聞くんじゃ! 少しは自分で考えるということをせんか!」
「だって、わかんないですよぉ! お師匠様の石像は、どれもこれもありのままを越えた素晴らしい出来じゃないですかぁ!」
「だからじゃよ。のう肉の御仁。ワシがこの世界に名を馳せたのは、本物を越える本物……その人物が求め、いつか辿り着くことができるかも知れない究極の姿を再現することができたからじゃ」
波紋一つ浮いていない水面のような静かな声で、イワホリがニックに語りかけてきた。その真摯な態度を前に、ニックもまた姿勢を正してその声に耳を傾ける。
「完全な想像の産物であれば誰にでも作れる。じゃが本人と似ても似つかぬ者の像を作り、それを自分だと言い張ったところで何の意味がある? そんなものは虚しいだけじゃ。
じゃが、ワシの作った石像は違う。たゆまぬ努力と奇跡の果てにその人物が届きうる理想にして夢想の自分。そういうものを作れるからこそワシは評価されてきたわけじゃが……戦士というのは、全てが理想的では駄目なんじゃろう?」
「そうだな。使う武器、倒すべき敵、目標を何処にすえるかで鍛えるべき場所とそうでない場所というのはあるからな」
筋肉というのは脂肪などよりずっと重く、必要以上に鍛えすぎれば動きが遅くなったり、あるいは膨らんだ筋肉のせいで動きが阻害されたりすることすらある。なので一流の戦士であればあるほど、体を鍛える部位というのは厳選しているのだ。
「じゃろうなあ。じゃがその辺がワシにはわからんのだ。じゃからこそこれは芸術品としては素晴らしくてもワシの作品としては失敗作だったんじゃが……まあそれはいいんじゃ。重要なのは、そんなことが出来るワシの目に、オヌシの体は何一つ変わる部分を見いだせなかったんじゃ!
わかるか、この感動が!? 想像するのではなく、現実に存在する究極の肉体! ワシなどが手を加える余地の無い、完全にして完璧な体! ああ、凄い! 素晴らしい! どうしても、どうしても! ワシはその体を石像にしてみたかったのじゃ!」
そこで一旦言葉を切ると、イワホリがスッとその場に膝をつき、床に頭を押しつける。最初の時と同じ姿勢でありながら、そこに込められた純粋な思いはニックやジョッシュにそれを止めることを許さない。
「ワシももうこの歳じゃ。この先どれほど生きるかわからん。じゃからこそワシは、オヌシの石像を作ることを人生の集大成としたいのじゃ! 頼む! ワシに裸を、その素晴らしい肉体を見せてくれ! この通りじゃ!」
「……あっ!? ぼ、ボクからもお願いします! どうかお師匠様の願いを叶えてあげてください!」
イワホリの強い覚悟に圧倒されていたジョッシュが、我に返ると同時にその隣で師匠と同じ姿勢を取る。荒い息をした怪しげな老人ではなく、本物の職人が通りすがりでしかないニックに頭を下げるという覚悟と決意を目の当たりにすれば、もはや最初の印象など何の障害にもならない。
「わかった。その依頼引き受けよう」
「おおお! やったぞ! では早速――」
「ちょっと待っていただけるかしらぁー!」
ニックが笑顔で差し伸べた手をガッシリ掴み、喜びの声を上げるイワホリに待ったをかけたのは、甲高い女性の声であった。