父、強引に話を進められる
「アワ、アワ、アワワワワ…………」
「うわーっ、お師匠様!?」
「ちょっ、突然どうしたのだ!?」
目の前でいきなり倒れ込んだイワホリに、ジョッシュのみならずニックも慌てた声を出す。理由は全くわからないが、目の前で突然老人に倒れられれば慌てるなと言う方が無理だろう。
「と、とりあえず場所を変えましょう! って、ああ! まずは銀貨を回収しないと! ボクがお師匠様を背負いますから、ニックさんは銀貨をお願いします!」
「お、おぅ……?」
イワホリを背負ったジョッシュが、そう言って人混みを抜けていく。流れとは言え頼まれてしまったニックもまた積まれた銀貨を素早く回収してからその後を着いていくと、程なくしてジョッシュは近くの食堂へと入っていった。
「なあ、お主……ジョッシュだったか? こんなところよりきちんと休める場所に行った方がいいのではないか?」
「ああ、それは大丈夫です。たまにあることですから。ほらお師匠様、起きて下さい!」
果実水を人数分注文した後、気絶したままのイワホリを無理矢理椅子に座らせたジョッシュが、そういってイワホリの体を雑に揺する。するとすぐにイワホリは意識を取り戻し、つぶらな瞳を潤ませてジョッシュの方をまっすぐに見つめた。
「おお、ジョッシュ! ワシは今怖い夢を見たのじゃあ! ワシのことを知らぬという男が目の前に……ほげぇぇぇ!?」
振り返ったすぐ先にニックの姿を見つけてしまい、イワホリが再び声を上げて気絶しそうになる。だがそれより先にジョッシュがイワホリの肩を掴み、ガクガクと揺らしながら声をかけていく。
「違うんです! この人がお師匠様のことを知らないのは、きっと田舎の方から出てきたからですよ! ですよね? ね!?」
「お、おう、そうだな。確かに儂の生まれた村はここから大分離れた山奥の田舎だが……」
「ほら! だからですよ!」
「そ、そうなのか? 本当は自分が有名だって思っているだけで、本当はワシ、その辺の石ころに溝を刻んで遊んどる子供と大差ない存在ではないのか?」
「そんなことありませんって! ネーブル美術館にだってお師匠様の作品は沢山あるじゃないですか!」
「そうか。そうじゃよな……ワシ、凄いよな?」
「凄いです! そりゃあもう最高ですよ! たまたま辺境のド田舎出身の冒険者が知らなかっただけで、お師匠様の名声は国内どころか世界中に轟いてますよ!」
「そ、そうかそうか! 何だ、やっぱりワシ、凄かったんじゃな!」
「はい、お師匠様は凄いです!」
「カッカッカ! そう褒めるなジョッシュ! どれ、じゃあその者を知らない田舎者にワシの凄さを説明してやりなさい!」
「わっかりましたお師匠様! ということで改めてお話させていただきますね!」
「むぅ……」
微妙に腑に落ちないものを感じつつも、ニックは黙ってジョッシュの言葉を待つ。へそを曲げて帰るのは簡単だが、ここまで巻き込まれてしまったからにはきちんと詳細が知りたい。
「お師匠様は、このイッケメーン王国では知らない者がいないというほどに有名な石像彫刻の大家です。その実力は王家の方にも認められており、かのネーブル美術館ではお師匠様の作品が一番多く展示されているんです!」
「ほほぅ。というか、ネーブル美術館というのか?」
「え、それも知らないんですか!?」
「ぐぅぅ……す、すまぬ」
馬鹿にするというよりは本気で驚いている様子のジョッシュに、ニックは軽く顔をしかめて答える。どうやら本当に有名らしいとなると、別に自分が悪いわけではなくてもなんとなく申し訳ない気持ちになってしまう。
「ネーブル美術館は、王都パーリーピーポーにある巨大な美術館です。世界中から選りすぐった芸術品が集められていて、そりゃあもう凄いんですよ!
ああ、またボクも見に行きたいなぁ。じっくりたっぷりねっとりと観賞して、芸術の海に浸りたい……」
「おぉぅ……芸術の海か……」
ウヘヘヘと怪しげな笑みを浮かべて妄想に浸るジョッシュに、ニックは若干引きながらもそう声を出す。なんとなく自分の知っている芸術の楽しみ方とは違うような気がしたが、そもそも芸術家ではない自分とは感性が違うのだろうと半ば無理矢理納得しておいた。
「なるほど、イワホリ殿が凄い芸術家だというのはわかった。だが、それならば何故最初からそう言わなかったのだ? 普通に交渉してくれればこんな面倒な事にはならなかったであろうに」
「それは……何と言うか、我慢できなかったのじゃあ! こんな、こんな見事な肉体を見せつけられては……ウヘヘヘヘ……」
弟子そっくりの怪しげな笑みを浮かべて、イワホリが再びニックの方にゆらゆらと手を伸ばしてくる。そのいかがわしい手つきと顔つきにニックはいつもとは違う危機感で思わず体をのけぞらせてしまう。
「イワホリ殿!?」
「あ、ああ。すまん。しかし本当に見事な……ということじゃから、今からワシの工房に行くぞい! すぐに創作に取りかかるのじゃあ!」
「待て待て待て。話がわかったとは言ったが、裸を見せるなどとは言っておらんぞ?」
「はぁ!? 何を言っておるのじゃこの御仁はぁ!? ジョーッシュ!」
「あの、ボクが言うのも何ですけど、これって凄く光栄なことなんですよ? 普通お師匠様に自分の石像を彫ってもらおうと思ったら、金貨何十枚も支払ったうえで、それでも何年も待たされたりしますから」
「自分の石像が欲しいのならばそういう者もいるのだろうが、儂は別にそうではないからなぁ。
っと、そうだ。忘れないうちに返しておこう」
ニックは先程拾い集めた銀貨をテーブルの上に置く。二〇〇枚近い数の銀貨はなかなかに圧巻だ。
「ぐぅぅ、これでも足りぬということか!? ジョッシュ! もっとじゃ! もっと積むのじゃあ!」
「いや、だからそうではないと散々言ったではないか! 儂は金になど困っておらんし、たとえこれが全て金貨になったとしてもその考えは変わらぬ」
「ぬがっ!? ならば何が気に入らんというのじゃあ!」
「何がって、そりゃあ…………うむん?」
町の大通りで突然「裸を見せろ」と言われたからこそ強い拒否反応を示していたニックだったが、改めて事情がわかったうえでの依頼と考えると、別段強く断る理由が思いつかない。
強いて言うなら長期間拘束されるようであれば嫌だということくらいだが、今すぐイワホリの工房に行って自分の体を見せることには特に問題を感じなかった。
「そうだ! お師匠様がどれほど素晴らしい芸術家かをわかってもらうために、まずはお師匠様の作品を見ていただくのはどうでしょう? あの素晴らしい石像の数々を見れば、ニックさんだってきっと自分の石像を彫って欲しくなると思いますよ!」
「おお、素晴らしい提案じゃあ! 流石ワシの弟子じゃあ!」
「作品、か……確かにそれは興味があるな」
断る理由が「最初にちょっと理不尽な思いをさせられたから」くらいになっていたニックの心が、その提案に好奇心を引かれて傾く。自分が知らないだけで真に優れた芸術家だというのであれば、その作品を見てみたいという気持ちは十分にある。
「決まりですね! それじゃお師匠様の工房までみんなで行きましょう!」
「行くのじゃあ! そしてワシに裸を見せるのじゃあ!」
「いや、それは……まあいいか」
意気揚々と席を立つイワホリとジョッシュ。相変わらず微妙に話を聞かない二人の背に苦笑しつつも、ニックは二人の後を着いて店を出て行った。