父、積み上げられる
愛らしい少女とモフモフ達に別れを告げ、パーリーピーポーへの旅を続けるニック。その途中で立ち寄ったこれといって特徴の無い町の大通りにて、不意にニックの背筋にピリリと悪寒のようなものが走った。
「む?」
時間は昼を少し過ぎた辺りということもあり、暢気に肉串を食べていたニックの表情が、その瞬間鋭く引き締まる。そのまま眼球だけを動かして素早く周囲の様子を探るが、辺りには自分に敵意を向けてくる存在が感じられない。
(誰だ? 儂に気配を感じさせないほどの強者? それとも……?)
不審に思いつつも、ニックは串に残った肉を豪快に食べ尽くし、ゆったりとした動作で改めて周囲を見回していく。突然足を止めたニックの巨体に軽く視線を向ける者こそいたが、ほとんどの者達はそれを気にすることなく己の目的の為に町を歩き続けており……だが人混みの向こう側に、たった一人だけ明らかに挙動不審な存在がいることに気づいた。
「ハァ……ハァ……す、素晴らしい……」
息を荒げ、半開きにした口元から涎すら垂らしながらニックの方を見つめていたのは、長い白髪を後ろで束ね、顔に深い皺を刻んだかなり高齢と思われる老人。そんな老人が熱に浮かされたような目つきをしながら、フラフラとニックの方に近づいてくる。
「……ご老人、儂に何か用ですかな?」
素人目に見ても明らかに怪しい動きだが、然りとてそれだけを理由に老人を殴り飛ばすことなどできるはずもない。警戒しつつも声をかけたニックに対し、しかし老人の答えはおぼつかない。
「わかる、わかるぞ。鎧越しであろうとも、ワシの目は誤魔化せん。ぷっくりと膨らんだ腕の筋肉の艶めきも、キュッと引き締まった太ももの奥ゆかしさも! あぁぁ、何もかもが素晴らしい……っ!」
「……ご、ご老人?」
ニックの態度が、警戒から困惑に変わる。ブツブツと呟きながら自分の周囲を歩き回り体中を舐めるように見つめてくる老人にどうしたものかと考えるニックだったが、その難解な答えが出るより前に老人がニックの正面でピタリとその動きを止めると、いきなりその場で膝をつき地面に頭を叩きつけた。
「オヌシの裸を、ワシに見せてくれぇ!」
「…………あー、いや、断る」
基本老人や子供には優しいニックだが、かといって理不尽な願いを何でも聞き届けるというわけではない。そっと視線を逸らしてその場を立ち去ろうとするニックだったが、その太い足に老人がガッシリとしがみついてきた。
「何でじゃあ! 何で見せてくれんのじゃあ!」
「何故と言われてもなぁ。普通は断ると思うが」
「何を馬鹿な! ワシが頼んどるんじゃから、見せるのが当然じゃろうがあ! むしろあれじゃぞ? ワシが裸を見てやると言ったら、相手の方から頼み込んで来るのが常識じゃぞ!?」
「いや、そんな常識は知らん。悪いが他を当たってくれ」
「嫌じゃあ! ワシはオヌシの裸が見たいんじゃあ!」
泣いて騒ぎながらも足を掴む手を離さない老人に、ニックはほとほと困り果てる。紛うことなき不審者ではあるが、それでも老人を力尽くで引き剥がすというのは今一つ気が引けたのだ。
ましてやこの騒ぎで周囲に人が集まってきていることもあり、下手なことをして怪我でもさせてしまえば自分が悪いと言われてしまう可能性すらある。
「ぬぅ、これはどうしたものか……」
『クックック、貴様の裸など好きに見せてやればよいではないか。どうせいつも脱いでいるであろう?』
腰の鞄から聞こえてきたからかうような声に無言でバシンと鞄を叩き、相棒が黙ったところでニックは改めて老人を見下ろす。すると突然老人が目を輝かせ、ニックの足を掴んだまま群衆に向けて大きな声で叫び始めた。
「そうか、金じゃな! 金が欲しいのか! ジョーッシュ! 今すぐ来るのじゃ! ジョーッシューッ!」
「お師匠様ぁー!」
すると老人の声に応えるように、人混みの向こう側から一人の青年が姿を現す。火で焼け焦げたかのようなボサボサ頭の青年がやってきたのを確認すると、老人はすかさずその青年に指示を出した。
「ジョッシュ! 積み上げるのじゃあー!」
「わっかりましたお師匠様!」
その言葉に青年が肩に背負った袋を下ろし、ニックの足下に銅貨を置く。が、それを見た老人が青年のボサボサ頭にポカリと拳を振り下ろした。
「バッカモーン! 色が違うぞ、ジョッシュゥー!」
「ええっ!? ま、まさか銀貨ですか!?」
「当然じゃあ! この御仁の裸には、それだけの価値があるのじゃあー!」
「わっかりましたお師匠様!」
興奮する老人の言葉に、青年が袋から銀色の硬貨を取りだし、改めてニックの足下から立てに積み上げていく。
「ほれほれほれ、積み上がるぞ? どうじゃ、膝まで来たぞ?」
「どうと言われても……」
「何じゃ、まだ足りんのか!? むぅ、この欲張り筋肉めがぁ! ジョーッシュ! もっとじゃ! もっと積み上げるのじゃあ!」
「わっかりましたお師匠様!」
「おぉぅ……」
元気な老人の追加指示を受け、青年が作り出す銀色の塔が高さを増していく。
「腰じゃあ! 腰まで来たぞ! ここまで積めば満足じゃろう!?」
「いや、だからさっきも言ったが、金の問題では――」
「ぬぅぅ! まだか!? まだ満足せんのか!? オヌシの腰にはそれほどぶっとい欲の棒がブラブラとぶら下がっておるというのか!? ジョーッシュ!」
「あの、お師匠様? これ以上積むと明日からの食事が当分堅パンだけになっちゃいますけど……」
「バッカモーン! 食事を惜しんで芸術の道を究められるとでも思っておるのかー! そこはワシの分は普通にして、代わりにオヌシの分を塩水のみにすれば十分じゃろうがあー!」
「ハッ!? さっすがお師匠様です! では……」
「それに納得しては駄目であろうが!」
思いきり駄目な方向に丸め込まれた青年に、ニックは思わずツッコミの言葉を入れてしまう。目の前に積み上げられた銀貨を受け取るつもりはこれっぽっちもないが、それとこれとは話が別だ。
「お主、おそらくだがまだ二〇そこそこであろう? お主のような若者が飯をしっかり食わなくてどうするというのだ!」
「えっ、でもお師匠様の言葉は絶対ですし……」
「そうじゃあ! 全てはオヌシがワシに裸を見せてくれないのがいけないんじゃあ!」
「意味がわからん! というか、何故そこまでして儂の裸を見たいのだ!?」
「そりゃあ勿論、ワシの作品の手本になってもらうためじゃあ!」
「作品? そう言えばさっきから師匠だの何だのと言っておったが……お主達は結局何者なのだ?」
「なっ!? まさかオヌシ、このワシを知らぬのか!?」
問うニックに、老人が遂に足から手を離し、その場でワナワナと震え始める。するとそれを見た青年が素早く老人の側に駆け寄り、その体を支えながら言う。
「し、仕方ないですよお師匠様! 作品や名前はともかく、お師匠様のお顔までは一般の方には知られていないですよ!」
「あ、ああ、そうか。そう言われればそうじゃな……ならば改めて名乗ろう。石像一筋五〇年! ワシこそが世界最高の彫刻家、イワホリじゃあ!」
「ボクは弟子のジョッシュです! 宜しくお願いします!」
「そうか。儂は旅の鉄級冒険者のニックだ。宜しくな」
腰に手を当て胸を張り堂々と名乗るイワホリと、その隣で微妙に頼りなさそうな笑顔で頭を下げるジョッシュに対し、ニックは平然とそう挨拶を返す。だがその態度がどうしてもイワホリには納得がいかない。
「ぬぅ、何故ワシが名乗ったのに、オヌシは平然としておるんじゃあ!?」
「あー……儂は芸術などには疎くてな。申し訳ないのだが、お主等の名前に聞き覚えがないのだ」
「な、な、な、なんじゃとぉぉぉぉぉぉぉぉ!?!?!?」
申し訳なさそうな顔で頭を掻くニックに、イワホリは今度こそ驚愕のあまりその場で倒れ込んでしまった。