毛刈り娘、お世話をする
そうして待つこと、およそ一〇分。やっとケガリからお呼びのかかったニックは王を引き連れ厩舎の方へと歩いて行く。そうして案内されたのは、綺麗に掃除され新しい干し草の敷き詰められた厩舎の空き部屋の一つであった。
『これがお前達の言う素晴らしい隙間なのか?』
「えっと、おじさん。王様は何て?」
「ここがその場所なのかと言っている。というか、ここまで来たのだから何か言うよりもさっさと入ってみればいいではないか」
『それもそうだな。では……』
苦笑するニックにそう答えると、黒いローリングシープーの王が掃除されたばかりの部屋に転がって入っていく。が、その状態だと当然ながら顔は壁の方に向いてしまう。
『おい、これは何か違わないか? 本当にこれでいいのか?』
「いや、そうではなくその場で回転して、出入り口の側に顔を向けるのだ。こう、こんな感じで……できるか?」
『その場で回転? うーん……こう、か?』
ピョンピョンと跳びはねながら体を回転させるニックを見て、王もまたその場でもぞもぞと毛を動かして回り始める。すると最初こそ逆方向に回ってしまったり縦回転をしてしまったりと手こずっているようだったが、すぐにきちんと回転方向が制御できるようになり、出入り口の方に顔を向けることに成功した。
『ほぅ。これは確かになかなかの挟まり心地だな。だが我の作った隙間とて決してこれに劣るものではなかったぞ? これはどうも挟まり方が弱いというか……』
「ふっふっふ、その判断は早計だな。ケガリよ、お主の出番だぞ」
「わかりました。じゃ、丁度よくなるように調節しますね」
ニヤリと笑うニックの言葉に、ケガリが手慣れた様子で王の体毛と厩舎の壁の間に板や干し草を足して調節していく。
『おっ? おっ! おっ!? な、何だ? 何が起きている!?』
「うーん、ここかな? 次はこっちを少し厚くして、逆に下は少しだけ草を抜く感じで……」
『おい! そっちのでかい人間! この小さい人間は我の隙間に何をしているのだ!?』
「まあまあ、まずは黙って身を委ねてみよ。悪いようにはならんはずだ」
『そうなのか? 大丈夫なのか!? 何だかもぞもぞしているぞ!?』
「普通の子ならこのくらいだけど、この子は毛の弾力が強いみたいだから、もうちょっときつめがいいのかな? なら今度は……」
『うぉぉぉぉ!?』
「……ふぅ。こんなものかな? どう? きつくない?」
『……………………』
そうして作業を終えると、やりきった顔つきで軽く額の汗を拭いながらケガリが王に問う。だがついさっきまで喧しいほどに鳴き続けていた王はどういうわけか何も答えない。
「あ、あれ? 駄目だったのかな? えっと、おじさん?」
「いや、儂に聞かれてもな。おい、どうしたのだ?」
『……………………』
心配そうなケガリに見つめられ、ニックもまた王に声をかける。だが王は替わらず微動だにしない……と思った次の瞬間。
『メヒェェェェェェェェェェェェェェェェ!!!!!!』
「うおっ!? 何だいきなり!?」
突然の大声に、ニックは思わず耳を塞ぐ。その隣ではケガリもまたギュッと目を瞑って両耳を手で押さえていたが、王にとってはそんなことは関係ない。
『何というすっぽり感! 緩くもなくキツくもなく、適度な締め付けを感じさせる壁の存在が我の毛を柔らかく受け止め、押されているのにはじき出されないという絶妙な幅に調節されている! ここはあれか? 楽園か? 我らローリングシープーが最後に求める約束の地なのか!?』
「うぅぅ、うるさい……っ! お、おじさん、王様は何て……?」
「あー、何やら猛烈に喜んでいるようだな。と言うか落ち着け! もう少し静かにしろ!」
『素晴らしい! これは素晴らしい隙間だ! これはもう我のものだ! この隙間を我が国の王城とするのだ!』
「何を勝手な事を言っておるのだ! そんなに騒ぐなら引っ張り出すぞ?」
『ま、待て! 待ってくれ! もうちょっと! もうちょっとだけこのすっぽり感を堪能させてくれ! やだやだやだ! 出たくない!』
「ええい、知らん! ダダをこねるな!」
この楽園から追い出されまいと必死に抵抗する王だったが、ニックの腕力の前では為す術も無い。ギュムッと体毛を捕まれて引っ張り出されれば、勢い余って宙を舞った黒い毛玉がそのままポインポインと寂しげに地面の上で数度弾む。
「まったく……」
「お、おじさん!? いきなりどうしたんですか!?」
「ああ、気にするな。此奴がここは自分のものだとか、ずっと住みたいなどと言っていたから引っ張り出しただけだ」
「そうなんですか……じゃあ気に入ってくれたというか、認めてくれたのは間違いないんですか?」
「そうだな……その辺はどうなのだ?」
『むぅ。まあ、そうだな。確かに素晴らしい隙間であった』
ニックに視線を向けられ、コロコロと転がり戻ってきた王が微妙に不満そうな鳴き声をあげて答える。
「では、元からここに住んでいた者達がこのままここで暮らすことに文句はないな? これ以上無茶をするようであれば、こちらとしても考えがあるぞ?」
『……………………』
我が儘を言う王にニックがちょっとだけ凄んでみたが、予想に反して王の体を包んでいる毛玉がヘニャリと潰れてほどけてしまう。
『我はローリングシープーの王として、同胞の民に快適な住処を用意してやりたかった。その為に体毛の操作を練習し、木を組み合わせていい感じの隙間を作る技術も身につけた。
だが、我は未熟であった。まさかこのような奇跡の楽園が存在していたとは知らず……ならば我は何なのだ? 我は王なのに、民に何もしてやれないのか?』
「あー、それは……参ったな」
不遜な態度を取るならばもう少しきつめのお仕置きをしようかと思っていたニックだったが、こんな風にしょんぼりされてしまうとそれはそれで反応に困る。するとニックの横を通り抜け、ケガリが王の下へと歩み寄っていった。
「あの……王様?」
『素晴らしい隙間の人間……何だ? 我を笑いにでも来たのか?』
「何を言ってるのかはわからないですけど、でも私の手入れした厩舎を気に入ってくれたんですよね? あんな風にできるようになったのは、ウチの子達のおかげなんです。みんなの事が大好きで、少しでも気持ちよく過ごしてくれたらって思いながら頑張ったからできるようになったんです。
それを王様も凄く気に入ってくれたんですよね? だったらえっと、そんなにションボリしなくても、また入りに来てくれてもいいですから! だから元気を出してください!」
『いや、別に素晴らしい隙間を追い出されたからしょげているわけではないのだが……フフフ、そうだな。我らと人間の意思疎通とは、本来この程度のものであったな。
なあ、何故か我らの言葉が通じる、不思議なでかい人間よ。我の言葉をこの隙間の人間に伝えてはくれぬか?』
「ん? 何だ?」
『この勝負はお前達の勝ちだ。我は敗北を認め、お前達を無理矢理に連れていくことをしないと約束しよう。我が同胞達をこれからもどうか宜しく頼む、と』
「わかった。間違いなく伝えよう」
『そうか……では、我は去るとしよう。さらばだ、人間達よ。お前達の作った隙間は本当に素晴らしいものであった!』
最後に一声そう鳴くと、王がその場を転がり去って行く。何処か哀愁を漂わせるその姿に、しかし追従するはずの野性のシープー達は我関せずと動かない。
『おい、お前達! 帰るぞ!』
『えー?』
『もうちょっと挟まりたいー』
『ここに住もー?』
『我が儘を言うな! 我が約束したのだから帰るのだ!』
『いやー!』
慌てて戻ってきた王が、かわりばんこに厩舎のすっぽり感を堪能していた野性のシープー達を無理矢理黒毛で絡め取っては転がしていく。
「ははは、最後まで喧しい奴だったな」
「みんな、またねー!」
そんな白と黒の毛玉……お騒がせなシープーの王一行の姿をニックは柔らかな笑みで、ケガリは大きく手を振って見えなくなるまで見送るのだった。





