父、通訳する
ケガリであれば全力で走っても容易に追いつけないであろう距離も、ニックの足であればあっという間だ。すぐに先行していたローリングシープー達に追いつくと、彼らの転がる方向にニック達も一緒に歩いて行く。
だが、そこからがなかなかに長かった。気づけば周囲は草原から森に変わっており、シープー達は器用に体毛を縮めたり膨らませたりを繰り返して木々の合間を進んでいく。この辺になると足下も悪いので、一度は自分の足で歩きたいと言ったケガリも再びニックに抱きかかえられている。
「……ふむ? どうやらこの先に何かいるようだな」
「えっ、わかるんですか?」
「まあな」
驚くケガリに、ニックは何てことのない様子で答える。前方にかなりの数の気配があることも、その中心に一際大きな存在感を放つ何かがいることも、感覚を研ぎ澄ませている今のニックには丸わかりだ。
「儂の側にいれば問題ないが、それでも一応気をつけるのだぞ。何があるかわからんからな」
「わかりました。大人しくしてます」
ニックの忠告を聞き、ケガリが真剣な表情で頷く。そうしてそのまま進んでいくと不意に森が開け、目の前に円形の広場のような空間が現れた。
「メェー!」「メェー!」「メェェェェ!」
そこではケガリの所から逃げてきた以外にも無数のローリングシープー達の姿があり、彼らの作り出す円陣にケガリのシープー達もコロコロと転がり加わっていく。そうして全てが集まりきると、広場の中央、巨大な岩を鋭い刃物で切り飛ばして作ったかのような台座の上にいたそれが、一際大きな鳴き声を放つ。
「メヒェェェェェェェェ!!!」
「「「メェー!」」」
それは、黒く輝く毛の大河を纏った生き物だった。それの周囲には縮れひとつないまっすぐな黒い体毛が大量に横たわっており、その一本一本が太陽の光を浴びて宝石のように輝いている。
「あれがシープー達の言う『王』という奴か?」
「黒いローリングシープー?」
「ん? あれもローリングシープーなのか?」
「あ、はい。白くない子は初めて見ましたけど、刈った後の毛を梳くとあんな感じになりますから、体に生えている状態でそうしたらあんな感じになるんじゃないかなって」
「そうか。丸くなっていないというだけで随分と印象が違うな」
最上級のシルクのような光沢を持つ黒い体毛が敷き詰められた場所で悠然と立つその姿には、確かに王の風格のようなものが感じられる。丸い毛の体でコロコロと転がっている普通のシープーの愛らしさからは大分遠いが、だからこその「王」なのであろう。
「メヒェェェェェェェェ!!!」
「っと、これではわからんな。切り替えていこう」
『わかった。では翻訳を再開するぞ』
ニックの言葉に従い、オーゼンが一時的に無効化していた「王の万言」の効果を再発動させる。そうして再びシープー達の声がわかるようになったニックの耳に届いたのは、何と明確な「言葉」であった。
『よくぞ集まった、我が同胞達よ! 今これより、お前達は皆我の臣下となる!』
『王様ー!』
『黒い王様ー!』
『丸くない王様ー!』
『我が偉大なる力を以て、これよりこの地に我らの国を建国する!』
『縄張りー!』
『家ー!』
『挟まるー!』
「あの、ニックさん? あの子……王様? は何て言ってるんですか?」
「ん? ああ、どうやら国を作るということを言っているな」
シープーの王が単語ではなく言語を喋っていることに驚きつつも、ニックはケガリの問いに答える。
「国? 大きな縄張りを支配するのに、仲間を集めたという感じでしょうか?」
「さあな。ま、それは続きを聞けばわかるだろう」
『我らが国を作るに辺り、絶対に譲れぬ大事なものがある。それは……』
『大切ー!』
『大事ー!』
『重要ー!』
『いい感じの隙間である!』
『挟まる!』
『挟まる!?』
『挟まるー!』
「おぉぅ……」
完全に予想外の王の発言に、ニックは思わず微妙な声を出してしまう。その隣ではケガリが不思議そうに首を傾げていたが、ニックはそのまま話の続きを聞いていく。
『故に、我はお前達全員のために、いい感じの隙間を提供しよう! さあ、我が力を見るがいい!』
高らかに王がそう宣言すると、王の周囲を埋め尽くすように伸びていた毛がまるで生きているかのように持ち上がる。それに危険を感じたニックは、素早くケガリを抱き上げてその場を飛び退いた。
「きゃっ!? な、何が!?」
「大丈夫だ、安心しろ」
『メフェェェェェェェェ!!!』
翻訳されて尚鳴き声としか認識できない王の雄叫びと共に、伸びた王の毛が触手のようにうねって周囲の木々に巻き付き、締め上げていく。そうしてへし折った木が王の側であれよあれよと組み上がっていき……
『どうだ! これぞ王の力だ!』
出来上がったのは木を適当に組み合わせた、かなり無理をすれば小屋と言えないこともなくもないような何かであった。
『さあ、入ってみるがいい!』
『わーい!』
だが、そんな奇妙な何かであっても、野性のローリングシープー達は嬉しそうにその中に入ってはピッチリ具合を堪能していく。一匹につき一分ほどその挟まり具合を堪能しては行儀よく交代していくシープー達だったが、それがケガリのところから逃げ出したシープーの番になると、風向きが変わる。
『びみょー』
『いまいちー』
『すかすかー』
『何だと!? 我の作ったいい感じの隙間が気に入らんというのか!?』
『ウチのがいいー!』
『ウチはよかった』
『ウチに帰る?』
『ちょっ、待つのだお前等!』
ケガリの家から逃げてきたシープー達が、王の下を離れてニック達の方へと転がってくる。そこには当然あの小さいシープーの子も含まれており、元気にコロコロ転がるとケガリに向かって体当たりをしてきた。
「メァー!」
「きゃっ!? おじさん、この子は何て?」
「うむ、どうやら『帰ろう』と言っているようだな。それに、ほれ」
「わっ、わっ!? みんな!?」
小さなシープーがその場を離れると、他のシープー達も次々とケガリの側にやってきてはその体をモフッと体毛に埋めていく。その柔らかさこそがシープー達がケガリを受け入れているという何よりの証拠。
「メェー!」
「メファー!」
「ンメェェェ!」
「ハッハッハ。どうやら皆家に……お主が精魂込めて手入れをしてくれている厩舎に帰りたいようだぞ?」
「そうなんだ……」
ケガリの胸にとても抑えきれない喜びが満ちあふれ、その顔には輝くばかりの笑顔が浮かんでいる。そこには少し前までの悲しみの色などこれっぽっちも感じられない。
「うん。じゃ、帰ろう! みんなのために、私もっともっと頑張るからね!」
「「「メェェェェェェェェ!」」」
『ま、待て! 何を勝手に帰ろうとしているのだ!』
そんなシープー達の態度に焦ったのは、当然ながら王だ。まさかの同胞の裏切りに声を荒げるが、そんなことでシープー達の意思は変わらない。彼らにとって王とは「呼び出されたら一回くらいは顔を出すけど?」という程度の存在なのだ。
『帰ろう!』
『おうちー!』
『歌ってー!』
「ふふっ、何? どうしたの?」
「お主の歌が聞きたいようだぞ?」
「歌? なら一緒に歌いながら帰ろうか?」
「メェェェェ!」
「よーし、それじゃ――」
『待てと言っておろうがぁぁぁぁ!!!』
けたたましい叫び声と共に、王の体から伸びた黒い体毛が帰ろうとするシープー達……ひいてはケガリの体にも巻き付こうと伸びてくる。先程木をへし折っていたことを鑑みれば、これに捕まればケガリの細い体など簡単に折れてしまうだろうが……
「おいおい、王を名乗る割りには随分と往生際が悪いではないか」
「メヒェェェェェェェェ!!!」
その太い腕に黒い毛を巻き付けて笑う筋肉親父に、ローリングシープーの王は苛立たしげに鳴き声をあげた。