父、聞き届ける
「貴方はいつもの……どうしたの?」
「メァー! メァー!」
隊列を離れてケガリの足下までやってきたローリングシープーの子供が、鳴き声をあげながら何度もケガリに体当たりをしてくる。皆の進行方向とは逆側にケガリを押そうとするその行動に、ケガリは再び悲しそうな表情になる。
「何よ、貴方も私に帰れって言うの? そんなに私と一緒が嫌?」
「メァー!」
「あっ!?」
ケガリが縋り付くように小さなシープーを抱きしめようとするも、弾力の増した体毛によりシープーの体がボヨンとはじき出される。そうしてケガリの側を離れたシープーが、今度はニックの足下まで転がってきた。
「ん? 今度は儂か……っと、これは?」
「メァー! メァー!」
ケガリの時と同じように、小さなシープーはニックにも体当たりを繰り返す。だがその方向はケガリの時とは逆……つまり自分達の進む方へと押す動作だ。
「何で!? そりゃおじさんに懐いてたのは知ってるけど、私の方がずっと一緒にいたじゃない!? なのにどうして私じゃないの!?」
「まあ待て、落ち着くのだケガリ。ケガリを帰らせようとして、儂を連れていこうとする理由は何だ……?」
『気になるなら直接聞いてみればいいではないか』
顎に手を当て考え込もうとしたニックに、不意に腰の鞄からそんな言葉が伝わってくる。一瞬それが何を意味しているかわからず……だが次の瞬間には、ニックの瞳がキラリと輝いた。
「フッ、ハッハッハ! 流石儂の相棒は世界で一番頼りになるな!」
「……おじさん? 相棒って?」
「こっちの話だ。なあケガリよ、今から目にすることは儂とお主だけの秘密だぞ?」
「えっ?」
「『王能百式 王の万言』!」
ケガリの返事を待つことなく、ニックは高らかに言霊を唱える。するとニックの耳に細長い金属の耳が装着され、大分遠くまで離れてしまったシープー達の言葉が伝わってきた。
『王様! 王様!』
『王様呼んでる!』
『行かなきゃ。行かなきゃ』
「ふむん? 王様?」
「おじさん? どうしたんですか? 王様って?」
「ん? ああ、どうやらこのシープー達は王様とやらに呼ばれているようだな」
「えっ!? 何でそんなことわかるんですか!?」
「ふふふ、それはこの魔法道具の力だ。こいつを装着すると動物だとか魔物だとか、そういうものの言葉がわかるようになるという優れものなのだぞ」
「そんな凄いものがあるんですか!? えっと、じゃあこの子は何て?」
「うむ、そうだな……」
泣くことすら忘れて問いかけてくるケガリに、ニックは足下のシープーに意識を向ける。
『来て! 来て!』
「ふむーん? いや、来て欲しいのはわかるのだが、何故来て欲しいのだ?」
『来て! 来て!』
「むぅ……」
そんなニックの問い掛けに、しかしシープーの子供は同じ言葉を繰り返すのみ。流石にこれではどうにもならず、ニックは小声でオーゼンに話しかける。
(なあオーゼン。もうちょっと何とかならんか?)
『無茶を言うな。前も言ったが、これは結局の所鳴き声などに込められた意思や感情と言ったものを無理矢理言語化しているに過ぎないのだ。あの蟻達のように喋れないだけで高度な知能を持っている相手ならばともかく、ただの動物や魔物であればこれが限界だ』
「うーん……」
せっかく王の万言を用いても得られた情報が増えないことにニックが悩んでいると、何度体当たりしても動かないニックに痺れを切らしたのか、再びシープーの子がケガリの方に体当たりをし始める。
『帰れ! 帰れ!』
「あの、この子は何て……?」
「む……その、あれだ。『帰れ』と言っているようだな」
「……………………」
行動だけでなく言葉としても伝えられ、ケガリの瞳から大粒の涙がこぼれる。どうにかしてそれを慰めたいと思うニックだったが、それより前にシープーの子から聞こえる単語が増えた事に気づく。
『危ない! 帰れ!』
「む? 危ない?」
『危ない! 来るな! 帰れ! 帰れ!』
「……ああ、そういうことか。なあケガリよ。その子はお主が嫌いなわけではないようだぞ」
仲間達が先に行ってしまうのも構わず必死に体当たりをしてくるシープーの真意に気づき、ニックは穏やかな笑みを浮かべてケガリにそう声をかける。
「……そうなんですか? でも帰れって言ってるんですよね?」
「そうだな。だが『嫌いだから来るな』ではなく、どうやら『危ないから帰れ』と行っているようだ。つまるところ、この子はお主を守りたいのではないか?」
「…………そう、なの?」
涙で濡れる目をパチパチと瞬いてから、ケガリは自分に体当たりをしてくるシープーの子をまじまじと見つめる。その必死さが嫌いな相手を遠ざけるためではなく、大好きな人を危険から逃がすためだとすれば……
「そっか。貴方は私のために、こんなに必死になってくれてたんだね……気づかなくてごめんね。信じてあげられなくてごめんね。ありがとう、おちびちゃん」
「メァー!」
さっきまでとは正反対の温かい涙を流すケガリに、小さなシープーは今も必死に体当たりを繰り返してる。そんな様子を目の当たりにしてしまえば、ニックの次の行動はもはや決まったも同然だ。
「さて、ではそういうことなら、儂は行かねばならんな」
「行く? おじさん、何処かに行くんですか?」
「無論だ! この子が必死に逃がそうとしているというのなら、あのシープー達の進む先には何か危険なもの……王様とやらがいるのだろう? それを何とかせねば無理矢理に連れ戻しても意味が無いのであろうし、であればやることは決まっているではないか!」
ニックの瞳がギラリと輝き、大分離れてしまった毛玉達の進む先を見据える。その先に待っているのがどれほど強大な相手だろうとも、やる気の漲るニックの拳に粉砕できないはずがない。
「ということでケガリよ。この先は危険だということなら、お主は家に――」
「私も連れて行ってください!」
ニックの言葉を遮るように、ケガリがお腹の底から力を込めて渾身の大声を出す。敢然と立ち上がり泥を払って涙を拭えば、そこにいるのは決意と覚悟を秘めた一人の人間だ。
「私は子供で、ついていったら足手纏いになるのはわかってます! でも、あの子達は私の、私達の家族なんです! だからお願いします! どうか私も連れて行ってください!」
自分が無茶を言っていることを、ケガリは子供ながらきちんと理解していた。それでも必死に食い下がるのは、信じ切れなかった後悔を二度と繰り返したくないという想いがあるから。
そんな姿を目の当たりにし、しかしそれでもニックが並の冒険者であれば、ケガリを説得して家に帰らせただろう。何人かでパーティを組んでいるならまだしも、自分一人しかいないのであればケガリを守るだけで他には何もできなくなってしまう可能性が高く、その結果目的が達成できないとなれば本末転倒になってしまう。
だが――
「怖い思いをすることになるかも知れんし、見たくない光景を見ることになるかも知れん。それでも来るか?」
「はい! 悲しいのも苦しいのも、感じるなら全部あの子達と一緒に!」
「……そうか、わかった。ならばお主の願い、この儂が聞き届けよう!」
右手にケガリを、左手にシープーの子をひょいと担ぎ上げ、離れてしまった毛玉の跡を追ってニックが走り出す。
そう、ニックは並などという存在ではない。特に子供の願いを聞くときは、娘のために戦う時の次くらいの力を発揮する。ならばシープー達の言う『王』が何者であろうとも、ニックの目の前でケガリやシープー達が傷つくことなど万に一つもあり得ない。
「さあ征くぞ! お主達を引き離そうとする無粋な輩など、軽く殴り飛ばしてくれるわ!」
「はい!」
「メァー!」
種族の違う二人の子供の声援を受け、ニックの巨体は今ひとたび風となって、瞬く間に先行していたローリングシープー達に追いついていくのだった。