父、世話をする
「緑の原を駆け抜けてー!」
「メェ!」
「白く転がる丸い玉ー!」
「メェ!」
気持ちよい風の吹き抜ける草原に、ケガリとローリングシープー達の楽しげな歌が響き渡る。その軽快な旋律は思わず踊り出したくなるほどであり、ニックの巨体も自然と弾んでしまう。
「メァー! メァー!」
「お、何だ? お主も楽しいのか?」
「メァー!」
そんなニックのすぐ側では、子供のシープーもまた楽しげに鳴き声をあげている。大人達とは少しずれてしまっているのだが、それがまた何とも言えず愛らしい。
「我らはシープー! 毛玉の王者! 世界丸ごとモフりこめ、オー!」
「「「メェェェェェェェェ!!!」」」
そんな楽しい歌が丁度終わったところで、ケガリが軽く周囲を見回してから足を止めてその場で振り返った。
「はーい、それじゃ今日はこの辺ね! みんな一杯ご飯を食べて、一杯転がること! いーい? じゃ、かいさーん!」
「「「メェェェェェェェェ!」」」
ケガリがパンと手を打ち鳴らせば、シープー達が思い思いに草原を転がり始める。そうして丁度いいところを見つけると、丸かったシープー達の下半分が突然ぺしゃりと潰れた。
「ぬおっ!? お、おいケガリ、あれはどうしたのだ!?」
「大丈夫。あれは下半身の毛を潰しただけです。ああしないと口が草に届きませんから」
「あ、ああ。それはそうだが……?」
「私は魔力とかほとんど無いのであくまで聞いた話ですけど、シープーの毛は魔力の入り具合ですっごく丈夫になったり、逆にへにゃっとしたりするみたいなんです。なのでご飯を食べるときは体の下を覆っている毛の魔力を抜いて、ぺったりとさせるんじゃないかって」
「ほぅ。確かに理に適ってはいるが……ならば普段からあの状態でいて、外的に襲われた時にだけ毛を膨らませるとかの方がよいのではないか?」
「それを私に言われても……」
ニックの問いに、ケガリが困った顔をする。堂々と彼らを先導していたとはいえ、ケガリはあくまで牧場の娘でしかないのだから、ローリングシープーの生態について問われたところで答えなどあるはずもない。
「それはそうだな、すまぬ。しかし知れば知るほど不思議な生き物だ……いや、ひょっとして儂が知ろうとしなかっただけで、実は不思議な生態を持つ魔物は他にも沢山いるのか?」
ニックの頭の中に、ふとこれまで屠ってきた様々な魔物の事が思い浮かぶ。
たとえば自らの発する毒で地面も空気も腐らせる巨大な亀。全てを腐らせてしまうというのなら、一体何を食べていたのか?
たとえば空にフヨフヨと漂う綿毛のような魔物。触れた相手の生命力を吸い取ることで生きていたようだが、あれは果たしてどのように増えていたのか?
「うーむ、奥が深い……」
『かつてアトラガルドの時代において、世にある未知のほとんどは狩り尽くされたなどと言っていた者がいた。だが実際には神秘などそれこそ掃いて捨てるほどにあり、日常にある光景すら我らは完全に解き明かすことなどできておらぬのだ。
ふふふ、楽しいな。貴様と共に旅をして、こうして未知に出会うことを、我は心から幸せだと感じているぞ』
腕組みをして感慨に浸るニックの腰から、オーゼンもまた自分の気持ちを伝えてくる。そっと鞄に手を添えながら二人でそんなことを思っていると、程なくしてぺたんと大地に足を着いていたシープー達が再びモフッと丸くなり始めた。
「もうお腹いっぱい? なら今度はしっかり転がらないとね。でもあんまり遠くに行っちゃ駄目よ?」
「メェェェェェェェェ!」
ケガリの言葉に暢気な鳴き声で答えると、シープー達がのんびりとした動きでコロコロと草原を転がり始める。が、そんな中にもやはり問題児はいるようで、一匹のシープーが丸くなったにも関わらずその場から一切動こうとしない。
「あー、また貴方! もーっ、ちゃんと転がらないと駄目よ?」
「メファァァァ……」
「ちょっ、寝たら駄目! お日様が気持ちいいのはわかるけど、お昼寝は厩舎に帰ってからだよ?」
「メファァァァ……フガッ……」
「駄目なの! ほら、転がって!」
ウーンウーンと力を込めて寝ぼすけシープーの体を押すケガリだったが、シープーの丸い体は微動だにしない。
「ははは、苦労しているようだな」
「おじさん。ええ、この子はいっつもこうなんです。一回押してあげればその後は転がってくれるんですけど……」
「うむ、ならば儂がやってみよう」
「いいんですか? あ、でも、あんまり強く押しすぎないでくださいね?」
「わかっておる。そっとやるとも」
若干心配そうな顔をするケガリに笑顔でそう言うと、ニックは不動のシープーに自らの手をかける。警戒されているからなのかその手は毛の中に埋まることなく、表面でモフりと受け止められている。
「なるほど、確かに硬さが違うな。ならば……よっ!」
人で言うならば動かされないように踏ん張っているという感じの抵抗を感じたため、ニックは少しだけ手のひらに力を込めてシープーを押す。するとほんの僅かに感じていた引っかかりがあっさりと外れ、シープーがかなりの勢いで転がり始めてしまった。
「メファァァァァァァァ!?」
「きゃーっ!? な、何やってるんですか!」
「いやいやいや、そんなに強くは押してないぞ!?」
「でも、すっごい勢いで転がってるじゃないですか! は、早く止めないと!」
「お、おう!」
焦るケガリに指摘され、ニックは慌てて転がっていくシープーの正面に立ち受け止める。そうしてすぐに停止させることはできたのだが……
「メファ! メファァァァ!」
『貴様という奴は! 貴様という奴は! 何故貴様は! 本当に貴様は! いつもいつも貴様という男は!』
「ぬぅぅ……」
明らかに怒っているシープーが、ニックに向かって何度も何度も転がっては体当たりを繰り返してくる。物理的には痛くも痒くもないが、オーゼンからの責め苦も加わることで精神的には大ダメージだ。
「すまぬ。許してくれ。まさかあの程度でそこまで転がるとは思わなかったのだ」
「メファ! ブスブスブス……」
「ふふ、もう許してあげたら? おじさんもこんなションボリしちゃってるんだし」
鼻を鳴らして不機嫌を露わにするシープーに、ケガリがなだめるような声をかける。だが今度はそんな彼女の背後に不穏な影が迫り来る。
「ンメェェェェェェェ!」
「わぷっ、何!?」
突如現れたシープーが、怒るシープーと自分の毛並みの間にケガリの体を挟み込む。モフモフに包まれて身動きできなくなったケガリがもがいていると、背後から来たシープーはその状態のまま器用に体を回転させていき……
「ンメェ!」
「ちょっ、ヤダ!? 何で噛みつくのーっ!?」
ぱっくりと開いたシープーの口がケガリの頭に噛みつき、モゴモゴと動いてからすぐに離れた。自由になったケガリがすかさず自分の頭に触れると、母親譲りの栗色の髪がシープーの涎でべちゃべちゃになっている。
「また貴方ね! ほんっとうに悪戯ばっかりして! もーっ!」
「ンメェェェェェェェ!」
今度は自分が怒る側になったケガリが、拳を振り上げ噛みついてきたシープーを追いかけ始める。だがシープーは嘲笑うかのように間延びした鳴き声をあげつつ、追いつけそうで追いつけない絶妙な速度で転がって逃げていく。
「もう許さないんだから! 貴方の毛、全部綺麗に梳いてさらっさらにしちゃうんだからね!」
「ンメェェェェェェェ!」
「うーむ、動物の世話というのは本当に大変なのだなぁ」
「メファァァァ……」
そんな一人と一匹の追いかけっこを眺めながら、ニックは機嫌を直してくれたシープーを撫でつつしみじみとそんなことを思うのだった。
なお、ケガリの歌うローリングシープーの歌にはちゃんとメロディが存在します……が、公開する予定はないので色々と想像して歌っていただければと思います(笑)