父、怪しまれる
「着きました! ここが私の村です!」
元気よくそう言ったケガリが、足を止めニックの方を振り返る。そこにあったのは周囲を簡単な木柵で囲まれた小さな村だ。門番すら立っていないのは人が足りないのか周辺に脅威がないのか、あるいはその両方だろう。
「で、私の家はこっちです!」
「うむん? 村の外を進むのか?」
「はい。あ、別に嫌がらせをされてるとか、そういうのじゃないですよ? 見てもらえばわかるというか……とにかくこっちです!」
そう言って柵の外を歩くケガリに、暗い様子は全く無い。ならばこそニックは黙ってその後を着いていき……そしてすぐにその原因を目の当たりにした。
「これは確かに村には入らんな」
そこに立ち並んでいたのは、相当に大きな厩舎。考えてみれば直径二メートルの丸い毛玉が一〇匹以上暮らしている場所なのだから当然だ。
「ですよね。それでも昔はここも木の柵で囲おうかって話もあったみたいなんですけど、この子達が出入りする時に壊しちゃうことが多くて、結局はこうなったみたいです。
ほーら、みんなおうちに入ってー!」
「「「メェェェェェェェェ!」」」
ケガリの言葉に従うように、ローリングシープー達が一斉に厩舎に向かって転がっていく。そうして四角く区切られた部屋の中に横向きですっぽりとはまり込むと、ぷるぷると全身を震わせその場で体の向きを回転させ、顔が正面にきたところで満足そうに鳴き声をあげた。
「メヘェェェ……」
「おぉぅ、こうなるのか」
またしても見た不思議な光景に、ニックは今日何度目かわからない感嘆の声をあげる。だが周囲を見回してみれば、うまく体を回転させられず壁に向かって不満げに鳴いているシープーが一匹だけいた。
「むぅ? ケガリよ、あれはどうしたのだ?」
「ああ、あの子の厩舎は調整が必要みたいですね」
そんなシープーの姿を見たケガリが、厩舎の隅に置かれていた板きれを抱え、そのシープーの部屋へと運んでいく。
「はーい、ちょっとごめんね。この辺……かな? よっと」
そんな事を呟きながら、ケガリが部屋の壁とシープーの毛の間にその板きれを挟んでいく。それを何度か繰り返すと、やがてシープーがクルリと部屋の中で回転し、顔を正面に向けたことで落ち着いたように鳴き声をあげた。
「メヘェェェ……」
「今のがさっき言っていた、厩舎の調節という奴か?」
「そうです。この子達ってこういう狭い場所にすっぽりと収まるのが好きなんですけど、その幅が狭すぎても広すぎても気に入らないみたいで。なんでその日の毛の調子に合わせてこうやって微調整してあげるんです。
一応やらなくても最終的には我慢してくれるんですけど、居心地の悪い場所だと毛並みが悪くなったり最悪逃げ出したりしてしまうんで、ここはお散歩と同じくらい気を使うところですね」
「ほぅ。餌などはどうしているのだ?」
「雨で出かけられない時は干し草をあげますけど、基本的にはお散歩の時に柔らかい草をお腹いっぱい食べてくるんで、それだけで十分ですね。その辺はやっぱり魔物ってことなんでしょうか?」
「日に一食で体を保てるというのは、そうなのかも知れんな」
大抵の魔物は見た目から想像できるほどには食事を必要としない。これは魔石にため込んだ魔力が食事と同じく体を保つために消費されているからだとされているが、詳しいことは現代でも判明していない。
とはいえモコモコの毛の中にあるのが普通の羊くらいの体だったとしても、日に一食で済むのはきっとそういうことなのだろう。
「ふーむ、手間がかかるのかかからんのか、よくわからんな」
「私はこの子達の面倒しかみたことないんでわかりませんけど、大人の人が言うには『手のかかる部分が普通の家畜と全然違う』って話してるのを聞いたことがありますね」
「おーいケガリー? 帰ってるのかー?」
と、そんな話をしていると厩舎の外からケガリを呼ぶ声が聞こえてくる。それと同時に顔を覗かせたのは、ごく普通の村人の中年男性だ。
「あっ、キンジョーさん! はい、ちょっと前に帰ってきました!」
「そうかそうか……ん? ケガリ、その人は?」
キンジョーと呼ばれた男性は親しげにケガリと挨拶をしてから、訝しげな視線をニックに向けてくる。顔見知りの子供が見知らぬ筋肉親父と一緒にいれば、大人として当然の反応だ。
「初めまして。儂は旅の鉄級冒険者で、ニックという者です。ケガリとはこの子がシープーの毛に巻き込まれているのを助けた縁で知り合いましてな」
「巻き込まれ……? ケガリ、また悪戯されたのか?」
「しーっ! おじさん、それ言っちゃ駄目!」
ニックの言葉に苦笑いを浮かべるキンジョーを見て、ケガリがピンと立てた人差し指を唇につけてニックに抗議してくる。だが既に口から出てしまった言葉が消えることはなく、キンジョーは少し乱暴にケガリの頭をガシガシと撫でた。
「まったく、気をつけろよ? お前に何かあったらホーボクの爺さんに顔向け出来なくなっちまうぜ」
「大丈夫だよ! あの子はいっつも悪戯するけど、私が目を回す前には解放してくれるし!
それよりほら、おじさん行こう? 今度はうちに案内しますね」
ポリポリと腹を掻きながら言うキンジョーに、ケガリは軽く口を尖らせてそう言ってからニックの手を引く。だがその言葉に一旦緩んだキンジョーの表情がにわかに険しくなる。
「おい待てケガリ。お前その人、家に入れるつもりか?」
「え? そうだけど、何か駄目だった?」
「駄目ってお前……」
無邪気に首を傾げるケガリにキンジョーが渋い顔つきになると、それを見たニックはすぐにケガリに声をかける。
「なあケガリ。別に無理をしてもてなしてくれなくてもいいのだぞ? 礼と言うのならここを見せてくれただけでも十分だし、何なら今から町の方に戻っても……」
「駄目! 今から町まで戻ったりしたら真っ暗になっちゃいますよ!? いくら冒険者だからって、私を助けてくれた人をそんな風にはできません!」
「いや、しかし……何か問題があるのではないか?」
自分の手をグイグイと引っ張ろうとするケガリを前に、ニックは困った表情でキンジョーの方に顔を向ける。
「問題ってかな。今ケガリの家にはこの子しかいねーんだよ」
「何と!? ご両親はどうかしたのか?」
「はい。父も母も家を空けているんで、もうしばらくは私一人です」
「おいおい、自分で言うのも何だが、そんなところに儂のような得体の知れない者を気軽に招いてはいかんぞ?」
「えっ!? でも、村ではみんな気軽にそれぞれの家を行き来してますけど?」
「それは村人同士だからであってだな……」
「あーっ、わかった! なら俺も夕食に招待してくれよ。どうだケガリ?」
困り顔のニックとひたすら首を傾げるケガリの会話に、キンジョーがそう言って割り込んでくる。
「キンジョーさんもですか? 私は別に構いませんけど。おじさんはどうですか?」
「儂か? 儂は……それでいいのか?」
「構わねーよ。確かにここで追い返すのは俺としても気分が悪いしな」
ケガリへの対応を見る限り、ニックが悪い人間でないことはわかる。だからこそそう切り出したキンジョーの言葉に、ニックは大きく頷いて了承の意を示した。
「わかった。そういうことならお招きにあずかるとしよう」
「はい! じゃあ早速家に行きましょー!」
それを受けてケガリが満面の笑みを浮かべつつ、家の方へと歩いて行く。それに少し遅れて着いていくキンジョーに、隣を歩くニックがこっそりと声をかける。
「何と言うか、申し訳ない。気を遣わせてしまったようだ」
「いいって。でもまあ、飯を食った後に少し話はさせてもらうぜ?」
「無論だ。お付き合いしよう」
「もーっ! 何を二人で話してるのー? 置いてっちゃうよー!」
「ハハハ、すまんすまん」
「元気なのはいいが、転ぶなよ!」
「転ばないよ! キンジョーさんったら、いつまでも子供扱いするんだから!」
プリプリと怒る素振りを見せつつ前を歩くケガリの姿に、二人の中年男は微笑ましい視線を向けながら村の中へと歩き進んでいった。