父、手を突っ込む
「ほう! 転がる程に毛並みがよくなるのか!?」
「そうなんです。だからローリングシープーのお世話で一番大切なのは、適度に転がしてあげることなんですよ。大抵の子は放っておいても勝手に転がるんですけど、中にはひなたぼっこが好きであんまり転がらない子とか、後はこの子みたいに好き放題転がっちゃう子もいるので」
「メェェェェェェェェ!」
「もーっ! ちょっとは反省しなさい!」
「メェェェェェェェェ!」
他愛も無い雑談をしながら、ニックと少女……ケガリは草原を歩いて行く。二人が連れ立って歩いているのはニックがローリングシープーという未知の魔物に興味を持ったことで、ならばとケガリが放牧している様子を見せてくれることになったのだ。
ちなみに、二人の横では先程ケガリを巻き込んで転がっていたローリングシープーが素知らぬ顔でコロコロと転がっている。ぱっと見では動物の羊と変わらない顔が巨大な毛玉の横から突き出ており、それがクルクルと横に回りながら移動している様は何とも言えず不思議な光景だ。
「……これは目が回ったりしないのだろうか? というか、これで正面……正面? 転がる先に何があるかわかっているのか?」
ローリングシープーの顔は、転がる方向を正面とすると右側にある。稀に反対方向に転がることもあるが、あくまでも横に転がるだけで正面方向、即ち顔が地面や空を向くような転がり方はしない。
何故これで普通に移動できるのか不思議で仕方が無いニックだったが、それを問われたケガリもまた軽く首を傾げてみせる。
「さあ? ぶつかったりはしないので見えてるんだとは思いますけど……あ、でも、生まれてすぐだったり毛を刈った後だったりで転がれない時は、普通の動物と同じように足を使って正面に歩きますよ?」
「それはまた……謎だな」
「ですね」
「メェェェェェェェェ!」
顔を見合わせる二人に答えるように、シープーが間延びした鳴き声をあげる。その声は何かを訴えかけている……ということもなく、なんとなくそんな気分だっただけだ。
「あ、ほら、見えてきましたよ! おーい、みんなー!」
と、そこでケガリが声をあげて大きく手を振る。草原の先には大小幾つもの毛玉が転がっており、ケガリの声に反応した数匹がコロコロとこちらに転がってきた。
「ンメェェェ!」
「ふふ、ただいま。いい子にしてた?」
「ンメェェェ!」
「よしよし。後でまた毛を揉み込んであげるからね」
「ンメェェェ!」
近寄ってきたシープーの毛に手を突っ込み、モフモフと揉むような動作をするとそのシープーが嬉しそうに声をあげる。その光景は実に平和だが、そのやりとりには若干の疑問が生まれる。
「毛を揉む? 普通こう言う場合は毛を梳くのではないのか?」
「ああ、はい。ローリングシープーは地面を転がって移動するので、綺麗に毛を梳いてしまうと弾力がなくなってうまく転がれなくなっちゃうんです。なのでこうやって空気を含ませながら毛を絡ませてあげるんですよ」
言いながら、ケガリがシープーの体毛に両手を突っ込みワシャワシャと掻き混ぜる。すると若干へたって見えた体毛がふっくらと盛り上がり、それをされたシープーは気持ちよさそうに体を揺らしてみせた。
「勿論放っておいても転がってさえいればきちんと絡まるんですけど、場合によっては絡まりすぎてしまうこともあるんで、こうして時々揉み込んであげるのがいい毛を育てるのに大事だって、お祖父ちゃんが言ってました!」
「そうなのか。ちょっとやってみたい気はするのだが、そういうことならやめておこう」
モフモフの毛の中に手を入れる感触は気になったが、大事な家畜に怪我でもさせてしまえば目も当てられない。それでも少々残念そうな顔をするニックの足下に、不意に一メートルに満たないであろう小さな毛玉がコロコロと転がってきた。
「メァー」
「ん? 何だ?」
「あっ! 自分から転がってきたってことは、その子なら触っても大丈夫ですよ」
「そうなのか!?」
「はい。シープーは警戒心が強いので、自分の毛の中には信頼する相手しか入れないんです。で、自分から転がってきたってことは、触ってもいいよってことですから。
フフッ、この子はまだ生まれてからそんなに経ってないんで、警戒心より好奇心が強いんでしょうね。あっ、でもまだ毛が柔らかいと思うんで、そっと手を入れるくらいにしてください」
「わかった。気をつけよう」
ケガリの言葉に従い、ニックはそっと足下のシープーを抱き上げるとふかふかの毛に手を沈めていく。ケガリの言う通り生まれてからそれほど経っていないシープーの体毛はそこまでの深さはなく、手首がすっぽりと埋まるくらいで中にある体に触れてしまったが、それでも手を覆う感触は実にフワモコで気持ちがいい。
「おぉぉ……何とも優しい手触りだな。それに暖かい……というよりも暑いくらいだ」
「シープーの毛は普通の羊よりもずっと暖かいですからね。特にこれから夏にかけての時期は凄くて、野性のローリングシープーの毛の中からは、干からびたゴブリンが見つかることもあるって……」
「それは凶悪だな。お主も気をつけねばならんぞ?」
「さ、さっきのはたまたまです! いつもはあんなことないですから!」
真面目な顔で注意するニックに、ケガリが顔を真っ赤にして答える。実のところこれまでも幾度かあの悪戯シープーに巻き込まれ、祖父や両親に助けて貰った事があったりするのだが、それは決して口にしない。
「っと、それじゃそろそろ村の方に戻りますね。よかったらおじさんも一緒にどうですか?」
「ん? そうだな……」
ケガリに問われ、ニックはしばし考える。ニックの足であればここから町に一人で戻ることに何の問題も無いが、然りとて町に戻らなければならない理由があるわけではない。
「村には宿があるだろうか?」
「宿ですか? そういうのは無かったかと……お客様が来た場合は、村長さんの家に泊まることになると思います。
あ、それともうちに泊まりますか? 今なら部屋も空いてますし」
「ふむん? それは流石に迷惑ではないか?」
「大丈夫です! ……多分」
「多分か!? ふふっ、ならばまあ、とりあえず行くだけ行ってみるか」
家にいるであろうケガリの両親に話をして、駄目ならば金を払って村長宅を借りる、あるいは町まで走って戻るでも近くで野宿をするでも、ニックにとっては特別に苦労ということはない。そんな考えから了承すると、ケガリは嬉しそうにその場でぴょんと跳ねてからニックの手を取り歩き出した。
「じゃあ行きましょう! ほーら、みんな帰るよ-!」
「「「メェェェェェェェェ!」」」
ケガリの言葉を理解しているのか、ローリングシープー達が一斉に同じ方向に転がり始める。巨大な毛玉が自分達と並び転がる光景は、一種壮観ですらある。
「声をかけるだけで着いてくるとは、ローリングシープーとは随分頭がいいのだな」
「あははー。頭がいいというか、居心地のいい『家』があると勝手に戻ってくるって感じですね。その家を調節しているのが私なので、私が声をかけると一緒に帰るって感じでしょうか?」
「家を調整……? 何かするのか?」
「はい。厩舎の壁の幅を」
「壁の幅……」
さっきの「毛を揉む」という行為もそうだったが、厩舎の壁の幅とは一体何を調整するのか? 世界でも屈指のレベルで未知に触れていると自負するニックだったが、ローリングシープーに関することはまるきり予想が付かない。
『何と言うか……まだまだ世界には未知が溢れているのだな』
「うむ、世界は広いな……」
「? 何か言いましたか?」
「いや、その厩舎とやらにも興味が湧いただけだ」
「あはっ、ならそれもお見せしますね」
ニックの言葉に可愛く笑いながら答えると、ケガリは大量の毛玉と筋肉親父を引き連れ、一路自分の村へと戻っていった。