父、子育てを語る
「よし、今日はここで昼食にしよう!」
少しずつ夏の匂いがし始めてきた、とある日の昼。快晴の青空の下で、ニックは不意に足を止めてそう宣言した。
『こんなところで休むのか? 貴様であれば町まですぐであろうに』
「ははは、まあいいではないか。せっかくこんなに天気がいいのだ。たまには外で飯を食うのも悪くあるまい」
『ふむ、確かに気分転換は重要だな。貴様に必要であるかは別だが』
「言っておれ!」
腰の鞄をパシンと一度叩くと、ニックは魔法の鞄から魔法の肉焼き器を取りだし、適当な肉をこんがりと焼く。その後は焼きたての肉を薄く切り、買い置きしてある焼きたてパンに野菜と一緒に挟んで豪快に齧りついた。
「うーん、美味い! こういう静かな場所もたまにはいいな」
広がる草原に腰を下ろし、手製のサンドイッチをかじりながらニックがのんびりと空を見上げる。何処までも高く澄み渡った青は吸い込まれそうな程に美しく、サワサワと草の揺れる音がなんとも耳に心地よい。
そんな心安まる環境の中であっという間に昼食を平らげたニックは、手早く後片付けをしてからごろんとその場に寝転がった。
「ふぁぁ……今日はこのまま少し昼寝でもするか」
『まったく貴様は……言っても無意味だろうが、風邪を引くなよ?』
「むぅ、何故無意味なのかは聞かずにおいてやろう」
そう言って横になるニックを、オーゼンは穏やかな気持ちで見守る。
本来、単独の冒険者が魔物のいる野外で無防備に昼寝など自殺行為でしかない。が、見通しのいい草原に魔物の影など何処にもないし、何よりニックに気取られずに近づいてきて傷を与えられる魔物がこんな所に存在するはずがない。もしいたならば、この周辺の命という命はとっくに狩り尽くされていることだろう。
(これほど無防備に見えて、実際には何か近づいてくればすぐにわかるのだろうな。たとえばそう、あんなものが近づいてくれば……?)
『……おい貴様よ、ちょっと起きるのだ』
「あふぅ……何だ?」
『アレは何だ?』
寝入りばなに声をかけられフガフガと口を動かすニックに、オーゼンがそんな言葉をかける。言われてニックが視線を向ければ、少し離れたところを何やら巨大な毛玉らしきものが転がっているのが見えた。
「あー……何だあれは?」
『我が貴様にそう聞いたのだぞ? 知らぬのか?』
「知らんな。危険な気配は全く無いが……にしてもでかいな」
ニックから三〇メートルほど離れた先で、直径二メートルはあるのではという大きな白いもじゃもじゃが、大人が軽く走る程度の速度でコロコロと転がっていく。その何とも不思議な光景は、世界中を旅してきたニックにも見覚えの無いものだった。
「気になるなら近づいてみるか?」
『うむ。いやしかし、わざわざ何だかわからぬものに近づくのもな……』
「好奇心というのはそういうものではないか? どれ――」
「待ってー!」
今一つ気後れしているオーゼンに苦笑いしつつ、ニックが腰をあげようとしたその時。毛玉が来た方向から子供の声が聞こえてきた。
「ンメェェェェェェェ!」
「待ってー! 待ってったらー!」
それなりの速度で転がる毛玉を、一二歳くらいの少女が必死に追いかけている。その様子は端から見る分には実に牧歌的だが、息を切らせて走っている少女の顔は真剣そのものだ。
「ははは、何とも微笑ましいな。だが、ふむ。そういうことなら少し見守るか」
『む? 困っている子供を放置するとは貴様らしくもないが、どういうつもりだ?』
「子供に限ったことではないが、人というのは失敗を重ねて成長していくものだ。だが大人が子供を見る場合、どうしてもその拙さや危なっかしさから早々に『そうではない』と口を出しがちであろう?
だがそれでは駄目なのだ。どれだけやきもきしようとも、大人は子供の失敗を温かく見守り、失敗した後で『どうしてそうなったのか?』を一緒に考えるのがいい子育てのコツなのだと儂は考えておる。
ああ、勿論危険なことがある場合は別だぞ? あとは子供から助けを求められた場合だな」
『ほう、貴様なりの子育て論という奴か。危険はわかるが、助けを求められた場合というのは?』
「安易に答えを告げるのは子供の考える力を奪ってしまうが、助けを求められたのに手を貸さぬとなれば子供の信頼を失ってしまう。その辺はまあさじ加減だな。
たとえば今の場合だと、儂が助けるのは簡単だが、そうするとあの子は『転がっていく何か』を捕まえる経験を積めなくなってしまうわけだ。試行錯誤し失敗を重ね、駄目だった時に助けるのは当然だが、その前に手を貸してしまえば貴重な『失敗からの挽回』という経験を積む機会を奪ってしまうことになる。故に――」
「ひぁぁぁぁー!」
ニックの話を遮るように、何処か気の抜けた少女の声が草原に響く。ニックがそちらに視線を向けると、転がる方向が反転した毛玉に少女の体がすっぽりと埋まり込んでいるのが見えた。
「た、たすけてー! 目が回るぅ!」
『で、貴様の子育て論では、あれはどうするのだ?』
「むぅ、助けるに決まっておろうが!」
皮肉めいた声を出すオーゼンを鞄越しにひと叩きしてから、ニックは素早く毛玉の前に回り込む。そうしてグッと毛を掴み支えれば、すぐに毛玉の動きは止まった。
「おーい! お主、大丈夫か?」
「は、はいー! ありがとうごじゃいまひゅー!」
毛玉の中から引っ張り出された少女は、頭をフラフラさせながらもニックに礼の言葉を告げる。
「ふむ。怪我があるとも思えんが、まあ少し休むといい。ほれ、これでも飲め」
「ど、どうも……んぐっ、んぐっ……ぷはぁ!」
ニックが差し出した水筒の水を、少女が喉を鳴らして美味しそうに飲んでいく。一息に半分ほど飲み干したところで口を離すと、ようやくひとごこち着いた少女が改めてニックの方に顔を向け、ぺこりと頭を下げた。
「重ね重ねありがとうございます。もう大丈夫です」
「それはよかった。しかしこの……何だ?」
「ああ、この子ですか? この子はローリングシープーっていう魔物で、うちの家畜なんです」
「家畜? 魔物がか?」
やたらとモフモフする毛玉を見上げ、ニックが怪訝そうな声を出す。すると少女が慌てた様子でニックの問いに早口で答える。
「いや、その、確かに魔石があるので分類上は魔物なんですけど、でもこの子達は人を襲ったりしないですし、とっても素直ないい子なんですよ! 確かにこの子はちょっと悪戯好きなところもありますけど、人様に迷惑なんてかけません!
だからその……退治しないでください!」
「退治!?」
少女の口から出た予想外の言葉に、ニックは一瞬驚きの表情を浮かべる。もっともそれもすぐに収まり、次に湧き上がってきたのは笑いだ。
「クッ、ハッハッハ! 大丈夫だ。確かに儂は冒険者であり、魔物を倒すのを生業としておるが、人を襲うわけでもない魔物を無闇に倒したりせんよ」
「ほ、本当ですか!? うちの子達をやっつけて、毛を刈ったりお肉を食べたりしないですか?」
「ああ、しない。約束しよう」
必死に訴えかけてくる少女に対し、ニックは笑顔でそう言いながら少女の頭を優しく撫でた。すると少女はあからさまにホッとした様子でニックに向かって笑顔を向けてくる。
「よかったー! お祖父ちゃんが『冒険者なんて乱暴者ばっかりだから、気をつけるんだぞ!』って言ってたから、怖い人だったらどうしようって思ってたんです」
「ふーむ、確かに力に頼る面が大きい分、粗暴な者が多いことも否めんがな。危険かどうかわからん相手に近づけないようにするというのであれば、祖父殿の教えも間違ってはおらんだろう」
「むー、難しいです。世の中みんながこの子達くらい丸くてモフモフだったら、きっと平和で幸せだと思うのになぁ」
「ハッハッハ! 違いないな!」
「ンメェェェェェェェ!」
少女とニックが笑顔で見つめると、悪戯好きのローリングシープーは実に暢気に鳴き声をあげた。