水女、事情を聞く
「やり過ぎでヤバス」
「イタッ!?」
陶酔する、あるいは逃避するように魔法の力を振るい続けたギャルフリアの脳天に、不意に背後から容赦の無いチョップが炸裂する。何事かとギャルフリアが振り返れば、そこに立っていたのは執事服に黒い外套をビシッと着込んだ、明らかにこの場にそぐわない格好の男……ヤバスチャンであった。
「ヤバスチャン!? 何? 何で!?」
「とりあえず話は後でヤバス。まずはそこにいる男を助けるのが先でヤバス」
激しく混乱するギャルフリアをそのままに、ヤバスチャンが地に横たわるホボウオの元へと歩み寄っていく。当然ながらギャルフリアもすぐそれに追従すると、ホボウオの側で膝をついたヤバスチャンがその状態の悪さに思わず顔をしかめた。
「随分と傷が深いでヤバス。でも、これならば……」
そう言ってヤバスチャンが懐から取り出したのは、明らかに怪しい暗紫色の液体の入った小瓶。ひいき目に見ても毒にしか見えないそれに、ギャルフリアがたまらず声をかける。
「ね、ねえヤバスチャン? それ何? アタシには毒にしか見えないんだけど?」
「ヤバスの力を濃縮したヤバエキスでヤバス。これを飲ませればどんな傷でもヤバい位に回復するでヤバス。まあ多少副作用はあるでヤバスが……」
ギャルフリアが「副作用って何!?」と抗議の声をあげるのを無視して、ヤバスチャンがホボウオの口にヤバエキスを流し込んでいく。するとホボウオの全身からヤバ目な煙が立ち上り始め、シュワシュワという音と共に傷口から泡が吹き出してくる。
「ちょっ、これホントに平気なの!?」
「大丈夫でヤバス」
不安そうな声を出すギャルフリアを制し、ヤバスチャンが状況を見守る。すると程なくして傷の癒えたホボウオの目に光が戻り……
ボフンッ!
怪しげな煙が爆発すると、ホボウオの目の上に突如として太い眉毛がフッサフサに生えそろった。
「眉毛ーっ!?」
「おぉぅ、今回はこうなったでヤバスか。フフフ、これはまたヤバくなったでヤバス」
「何これ!? ねえ、これどういうこと!? お父ちゃんの顔に眉毛が生えたんだけど!?」
「……………………」
「いや、だから何言ってるかわかんないし!」
どうやら意識を取り戻したらしいホボウオがパクパクと口を開くが、当然ギャルフリアには何を言っているかわからない。
「そうでヤバス。なかなかに凜々しい感じになっているでヤバス」
「……………………」
「ハッハッハ、お気になさらず。ギャルフリアには私も世話になっているでヤバス」
「えっ、ヤバスチャン、お父ちゃ……パパの言ってることわかるの?」
「そりゃわかるでヤバス。確かに聞き取り方にヤバいくらいにコツがいるでヤバスが……これはご謙遜を。お父上も実にヤバい戦いぶりだったでヤバス!」
「何でアタシだけわかんないのー!?」
「ウオーッホッホッホッホ! どうやら間に合ったようですわね!」
何故か父と親しげに話し始めたヤバスチャンにギャルフリアが激しく戸惑っていると、今度は遠くから聞き慣れた高笑いが聞こえてくる。慌てて振り返って見れば、そこには銛を手にした鱗魚族の戦士達と、それを率いるかのように先頭に立つタカビーシャの姿。
「ビーちゃん!?」
「だからビーシャお姉様とお呼びなさいと、何度も言っているでしょう? 全く貴方という方は」
驚きに固まるギャルフリアの方に、タカビーシャがゆっくりと近づいてくる。そうして触れ合える距離までくると、タカビーシャはそっとギャルフリアの体を抱きしめた。
「貴方が無事で、本当によかったですわ」
「ビーちゃん……アタシ……目が覚めたら誰もいなくて、町も滅茶苦茶で……みんな、みんなやられちゃったかもって思って……」
「フフッ、貴方のような出来の悪い妹を残して、私が先に逝くわけないじゃありませんか。大丈夫、他のみんなも無事ですわよ」
「うっ、うぁ……うわぁぁぁぁぁぁん!」
「あらあら、この子はもう……魔王軍四天王ともあろう者が、人前で泣くなんてみっともないですわよ?」
「だって、だってぇ!」
「仕方ないですわねぇ」
タカビーシャが優しく背を撫でてくれるなか、ギャルフリアは子供のように大声で泣きわめく。頬を伝う雫はさっきと同じもののはずなのに、今度の涙は何処までも何処までも温かかった。
「そろそろ落ち着きましたか?」
「ちょっ、やめて! 頭とか撫でないでよ!」
しばし大泣きしたギャルフリアが落ち着くと、ギャルフリアはタカビーシャやヤバスチャンと連れ立って海の方へと歩いていた。ことあるごとに頭を撫でようとしてくるタカビーシャの手を、ギャルフリアは心底嫌そうな顔で何度でも振りほどく。
「ふふふ、遠慮しないでもっと甘えてもいいんですのよ?」
「チョーウザイ! ビーちゃん嫌い!」
「あらあら……」
「お前達がヤバいくらいに仲良しなのはよくわかったでヤバスから、そろそろ話を進めるでヤバス」
「誰が仲良しなのよー!」
若干呆れ声を出すヤバスチャンにギャルフリアが抗議の声をあげたが、それを無視してヤバスチャンが視線を向けるとタカビーシャが軽く頷いてから話を始める。
「わかりましたヤバスチャン様。ではギャルフリアさんもいることですし、改めて最初から状況を整理致しましょう。
始まりは、出入りの行商人がこの町に向かって人間の軍隊が接近しているという情報をもたらしてくれたことでした。一〇〇人ほどが向かって来ているということで、私達は慌てて非戦闘員の避難を進めると共に、町の防衛を固めました。
ちなみに、ギャルフリアさんを地下の保管庫に運んだのはこの時ですわ。敵の狙いが貴方である可能性があったため、この町で一番守りの堅いあの場所に入れ、そのうえで通路を封鎖したわけです。
で、それからしばらくして人間の軍隊がこの町にやってきたのですが……敵の力はこちらの予想を遙かに上回っておりました。詰めていた防衛戦力があっさりと破られてしまい、籠城すらも許されない状況に私達はすぐに町を放棄して海へと逃げることに決めました。水の中に逃げ込んでしまえば、人間の軍隊では追ってこられないと判断したからです。
とは言え、それも容易ではありませんでした。短時間の足止めと引き換えに戦士達が次々と傷つき倒れていき、戦士ではない男性方や、最後には子供を逃がすためにご老人の方々すら敵に立ち向かって時間を稼ぎましたが、それでも避難は追いつかず……もう駄目かと思ったところで、ヤバスチャン様が部隊を率いて助けに来て下さったのです」
「そうなの?」
「そうでヤバス! 私がもう少し早く目覚めていれば、ヤバいくらいに犠牲を少なくできたのでヤバスが……」
「それは言っても仕方の無いことですわ。ギャルフリアさんが目覚めたのも先程なのでしょう?」
「だねー。ありがとうヤバスチャン。パパのこともそうだけど、マジ感謝してるから」
「ヤバスヤバス。森での戦いではギャルフリアに助けてもらったでヤバスから、このくらいはお互い様でヤバス」
口調こそ軽いものの心から感謝を告げるギャルフリアに、ヤバスチャンは笑って答える。
「てことは、パパはみんなが避難完了するまであそこで敵を引きつけてくれてたってこと?」
「そうですわ。他にもいくつかの場所で同じようなことをしておりましたが、あそこで最後でした。あれだけの数の敵をたった一人で足止めできるなんて、流石はホボウオのおじさまです」
「うーん、パパってば本当に強かったんだなぁ」
タカビーシャの言葉に、ギャルフリアはなんとなく照れくさい感じを覚えながら後ろを振り返る。その視線の先では未だ本調子ではないホボウオを即席の担架で運んでくれている知り合いの男達の姿があり、ギャルフリアの視線に気づいた彼らが「任せてくれ!」とでも言いたげに笑顔で力こぶを作ってみせてきた。
「あれ? そう言えばママは?」
「おばさまは…………あ、ほら、見えてきましたよ! あそこが皆の避難している場所です」
「ん? おおーっ!?」
若干焦るような態度をみせたタカビーシャが、そう言って海の方を指さす。ギャルフリアがそちらに視線を向ければ、そこには見上げるほどに巨大な船が悠然と波間に浮かんでいた。