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水女、嗤う

「……………………」


「まったく手こずらせやがって……」


 全身から血を流し、立っているのがやっとという様子のホボウオを前に、魔導鎧に身を包んだ兵士の一人がそんなことを口走る。その表情は実に忌々しげで、泰然自若としたホボウオの立ち姿とは対照的なものだ。


「隊長、コイツ一体何なんですか? 変な魚みたいな格好のくせに、五人もやられるなんて……」


「さあな。俺も初めて見るが……まあでも、それももう終わりだろう。さあ、詰めていくぞ!」


「おう!」


 かけ声と共に飛びかかってくる兵士達に対し、ホボウオは水を纏わせた右手で空を撫でる。するとそこに薄い水の帯が生まれ、宙に生まれた川はそこを切り裂く剣を強烈に横に押し流す。


「ぐおっ!? でも、もう慣れたぜ!」


 最初のうちは、どの兵士もそれで面白いように態勢を崩した。そうなれば反撃を決めることなど容易かったが、それも幾度も繰り返せば対応されてしまうのも仕方がない。


「さっさと死にやがれ!」


「……………………」


 口をパクパクさせながら、ホボウオは体の表面に流れる水の膜を纏う。それによって剣の刃筋をずらし致命傷を避ける技だが、これもまた対処され始めている。


「へっ、要は致命傷じゃなくても傷さえ残せばいいんだろ? なら力任せで十分だぜ!」


「……………………」


 深く斬られることこそなかったが、ホボウオの体を覆う鱗が幾枚もこそげ落とされ、その部分から血がにじみ出る。やむを得ず纏った水を全て開放することでまとわりつく敵兵達を周囲から弾き飛ばしたが、それは単なる時間稼ぎでしかない。


「チッ……だがそれが後何回使えるかな?」


「……………………」


 自身の周囲の水を操る魚人格闘術(ウオータルコンバット)。その力は水中でこそ最大となり、ギャルフリアが四天王に就任するまではこの町最強の戦士であったホボウオならば自分の数十倍はある水竜にすら対抗しうる力を発揮できる。


 だが、いくら海に近いとはいえここは陸上。周囲にある水を操るのとそもそも水を生み出すところから始めるのでは消費魔力に雲泥の差があり、既に満足な水を生み出す程の余力はない。


「にしても、何でコイツ逃げないですかね? あの場所から全然動かないですけど」


「さあな。魔族の考えていることなんか知らん……魔族だよな? 魔物じゃなく」


「あー、どうなんですかね? 正直ちょっと微妙というか……」


 これだけの傷を負いながら未だに構えを解かないホボウオを前に、兵士達はそんなことを口にする。手足の生えた巨大な魚という見たことの無い姿に加え、言葉を話さないホボウオが魔族か魔物かは彼らにとって判別に困るところであった。


「どっちだって殺しちゃえば同じですよ! 他の隊も気になりますし、さっさとやっちゃいましょう」


「そうだな。では……これで終わりだ!」


 その言葉と共に、隊長の男が掲げる剣に怪しげな光が宿る。初めて見る敵だけに用心して切らなかった切り札を、遂に発動させたのだ。


「切り裂け! 反魔剣(アンチ・ブレード)!」


 振り上げて、振り下ろす。その動作に一瞬遅れて剣の軌跡から真っ赤な魔力の刃が放たれた。そこから感じられる禍々しい力の大きさに、ホボウオは遂に覚悟を決める。


「……………………」


 正直なところ、回避だけならなんとかなる。全力で横に跳べば、縦に細長い攻撃範囲から逃れるのはそう難しくはないのだ。


 だが、ホボウオはよけない。よけるくらいなら最初からここに立ってなどいない。自分の背後にいる者のためにこそホボウオはここで戦い続け、それを放棄することなど死んでもできはしないのだ。


「……………………」


 パクパクと口を動かし、ホボウオは守るべき娘の名を口にする。残った全ての魔力で右半身の表面にだけ水を生み出し、体を斜めにして反魔剣を受け止め、受け流すことにだけ意識を集中させる。


「……………………っ」


 ゾリッと、反魔剣の刃がホボウオの体に食い込んだ。魔力で生み出した刃ならば魔力を宿した水で干渉できると考えたのだが、どうやら反魔剣に込められた力はホボウオに残された魔力では対抗できないほどに強かったらしい。


「……………………」


 痛みを堪えて身をよじってみたが、物理的な存在ではないためその進行方向を変えることも適わない。


「……………………」


 刹那の時で無力を悟り、刹那の後には自分の体は両断される。家族を残して逝く悲しみ、守れなかった不甲斐なさ。幾つもの想いが頭をよぎるなか、赤い刃がホボウオの魔石に食い込もうとしたその時。


「お父ちゃん!」


 娘の声と娘の水が、ホボウオの体を包み込んだ。





「お父ちゃん! しっかりして! お父ちゃん!」


「……………………」


 父の体に食い込んだ魔力の刃を力尽くで消し飛ばし、ギャルフリアはぐったりと横たわる父を必死に揺する。するとその口がパクパクと開くが……


「……やっぱり何言ってるかわかんないよ」


 ガクッと体から力が抜け落ちる父を前に、ギャルフリアは涙声でそう呟く。この場に母がいてくれたならばと、そんな弱音が胸を突く。


「何だアイツ!? 人間!?」


「いや、あの魚野郎を助けたんだ、敵だろ!?」


「あっ!? アイツ確か、魔王軍の四天王ですよ! 俺森で見ました!」


「四天王!? ならば容赦は必要無い! 全員でかかれ!」


 地面に蹲るギャルフリアに、隊列から跳びだした五人が一斉に斬りかかってくる。だがその刃はギャルフリアの周囲に生まれた薄い水の膜にとらわれ、そこから髪の毛一本分すら彼女に近づくことはない。


「なんだこりゃ!? あの魚とは違う魔法なのか?」


「くっそ、全然刃が通らねーぞ!?」


「…………あー?」


 騒ぐ兵士達をそのままに、ギャルフリアが気怠そうに立ち上がる。振り返ったその顔に浮かんでいるのは、身の毛もよだつほどの純然たる殺意だ。


「ひぃぃ!? ば、化け物!」


「怯むな! 一度は撃退した相手なんだぞ。我らが力を合わせれば十分に勝てる!」


「で、でも、隊長! この膜みたいなの、全然剣が通らないんですけど!?」


「ハァ……ねえ、アンタ達何勘違いしてるわけ?」


 戸惑う兵士達の方に、ギャルフリアがフラフラと歩み寄っていく。何処か焦点の定まりきらない瞳には、狂気と怒りが満ち満ちている。


「そりゃ確かに? アタシはあの時やられちゃったよ? でもさ……ここ何処だと思ってるわけ?」


「聞くな! ソノバ! シノギー! 交差式を撃て!」


「了解! 反魔剣(アンチ・ブレード)交差式(クロスレイ)!」


 二人の部下が息を合わせて撃った反魔剣の刃が、十字に重なり水の膜に着弾する。交差地点の威力は通常の反魔剣の五倍以上となるこれは、部隊全員の魔力を集めて撃つ収束式の次ぐ威力を持つ技だったが……


「馬鹿な!? 何故消える!?」


「は? それ魔力の刃なんでしょ? なら込めた魔力が尽きたら消えるに決まってるじゃん」


「ふ、ふざけるな! こんな薄い膜で、反魔剣の力が相殺されるなど――」


「フッ、フッフッフ……」


 狼狽する隊長の男を前に、ギャルフリアが不意に笑い出す。最初は小さく、徐々に大きく、最後は腹を抱えて笑うギャルフリアに、周囲の兵士達は困惑の色を隠せない。


「アッハッハッハッハ……あー笑った。勘違いもここまでいくともう笑うしかないって言うか? アッハッハッハッハ!」


「何だコイツ、頭がおかしいのか?」


「おかしいのはアンタ達だってーの! だってさぁ……」


 ニヤリと笑ったギャルフリアが、両手の拳を握って天に突き上げる。


「森で勝った? だから勝てる? ここはアタシの生まれた町で、ここはアタシの育った海だよ? これだけ水のある場所で、これだけアタシの力が馴染んだ水が溢れかえってる場所で……」


 生まれ出ずるは大瀑布。ギャルフリアの背後に出現した滝から流れ落ちる水は、濁流となって兵士達に襲いかかる。


「お前等程度が、アタシに勝てるわけないだろーがぁぁぁぁぁ!!!」


「ギャァァァァァァァァ!?」


「た、たす、助け……っ!」


「お前達! モガ……グプッ……」


「アッハッハッハッハッハッハッハッハ! みんな流れて死んじゃえー!」


 ギャルフリアの心情を表すかのように渦巻く水は、大都市すら飲み込むほどの勢いと量がある。為す術も無く水に沈む兵士達を眺め、ギャルフリアはただひたすらに笑い声を上げる。


 その両目からは、彼女ですら操れない小さな雫が止めどなく流れ続けていた。

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― 新着の感想 ―
[一言] まぁ、水棲相手に陸で勝ったからって侮っちゃダメだよなぁ。 相手のホームグラウンドなら、攻城戦のつもりで行かないと。
[一言] どちらにも守るものがあるけど、メタ視点だとぐぬぬってなりますなぁ…
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