水女、目覚める
「ううーん…………」
微妙な居心地の悪さを感じて、ギャルフリアが寝返りを打つ。そのまま数度ゴロゴロと転がってから目を開くと、そこは薄暗い部屋の中であった。
「……あれ? ここどこ?」
見覚えがあるような無いような室内に、ギャルフリアは上半身を起こしてウーンと伸びをしつつ室内を見回す。幾つもの棚が雑多に立ち並んでいたり、普段は使わない銛や投網などが乱雑に積まれている光景は何処か郷愁を感じさせてくる。
「……あ、ここウチの町の地下倉庫じゃん。てか、何でアタシこんな所にいるわけ?」
ボーッとする頭を振りながら立ち上がってみれば、今まで自分が寝ていた場所もベッドではなく単なる板きれだ。道理で体が痛いはずだと腕やら足やらを動かしつつ、ギャルフリアは直前までの記憶を掘り起こしていく。
「えーっと……あー、そう言えばヤバスチャンを助けに行ったら、変な鎧を着た奴らにやられちゃったんだっけ? うわ、マジムカツク……いや、それはそれとして何でここ?」
しばし頭を捻ったところで、自分が大怪我を負っていたのは思い出した。ならば前線から離れたこの町に搬送されてきたというのはわかるが、それならば何故自分の家ではなく地下の倉庫に寝かされていたのか? 減った以上に増える疑問に面倒くささを感じていると、ふとベッドの脇に何かが置かれているのが目に入った。
「何これ? マチイモ?」
それは皿に盛られたマチイモの煮っ転がしであった。不審に思いつつちょっとだけ指でつついてみると、すっかり冷め切っていた料理の皿の下に手紙が挟まっていることに気づき、それを手に取り読んでみる。
「手紙……ママから? 起きたら食べてって、これめっちゃ冷たいんですけど!? えぇぇ、何その手抜き……」
言われてみれば、確かにお腹は空いている。が、こんなほこりっぽい場所に置かれたいつ作られたのかもわからない料理を食べるのは、いくら母親の手料理とはいえ気が進まない。
「大怪我した娘を倉庫に放り込んで、作った料理と一緒にほっぽらかすって、どういうことなわけ? 意味わかんないんだけど」
グチグチと文句を言いつつ、それでもギャルフリアはマチイモを一つ指で掴んで口に入れてみた。冷めているせいかいつもより若干味が濃く感じるが、間違いなくオカーンの味だ。不味いとまでは言わないが、やはり冷め切っているのはキツい。
「ハァ、もういいや。さっさと外に出よう……?」
ため息をつきつつ、ギャルフリアが一つしか無い倉庫の出入り口へと歩いて行く。だが扉に手を掛けてみるも、どういうわけか開かない。
「ウソ、鍵閉まってる!? 何それ!? ちょっとー! 誰かいないのー?」
ガンガンと扉を叩き大声を上げるギャルフリア。だが三分ほど待ってみても何の反応もなく、それどころか近くに人がいる気配すらない。
「アタシをこんなところに寝かせておいて、誰もいないってどういうことよー!? 今日の当番誰!?」
再び扉を叩きながら、大声で外に呼びかけてみる。だがやはり誰からも返事はなく、ギャルフリアは怒り心頭の顔で足を踏み鳴らす。
「アッタマきた! もういい! 壊す! 壊して出ちゃうからね! いい? 壊すよ? ホントに壊すからね!? ……ていっ!」
水の魔力を纏わせたギャルフリアの拳が扉の鍵の部分を破壊する。肉体派ではないとはいえ、腐っても四天王。特に強化されているわけでもない扉など簡単に破壊できたが……
「開かないんですけどーっ!?」
力一杯押し込んでも、扉は開かない。開けた穴から向こう側を見れば、どうやら大量の瓦礫が扉を塞いでいるようだった。
「何なのもー! こんなのあり得る!? これもうサボってるとかじゃないじゃん! アタシに対する嫌がらせじゃん!」
何があっても自分を外に出さないという強い意志を感じ、ギャルフリアは思いきり憤慨する。確かにちょっとだけ仕事をさぼったり自分の分だけ甘い物をマシマシにしてみたりしたことはあるが、それでもここまで嫌われるいわれは無いし、ここまでされて黙っている理由もない。
「マジキレるんだけど!? もういい! 魔法で全部ぶっ飛ばして……っ!?」
町に被害が出ることなど構わず、得意の魔法で瓦礫を全部押し流す。そう心に決めたギャルフリアが意識を集中しようとしたところで、ふと開いた穴から入ってきた空気に血の匂いが混じっていることに気づいた。
「……事故?」
真っ先に思い浮かんだのは、この瓦礫が不慮の事故で崩れたもので、誰かが巻き込まれたという可能性だ。その割には周囲が静かすぎるが、そんなことを考えるより先にギャルフリアは自分の前方に水を満たし、ゆっくりと全てを押し出していく。この町に水で溺れる者などいないからこそできる芸当だ。
「ん……もうちょい……うぅぅー……えいっ!」
ゆっくりゆっくり、階段を塞いでいた瓦礫全てを水の力で押し出していく。やがてそれらが地上に到達しバシャンという水音とガシャンという瓦礫の崩れる音が重なったところで、ギャルフリアは魔法を解除して己もまた階段をあがり地上へと出て……目の前の光景に絶句する。
「……………………何、これ?」
ギャルフリアは、今自分が何処に立っているのかわからない。知っている場所から出てきたはずなのに、目の前にあるのは知らない景色だけだ。
「町が……………………」
いや、違う。正確には半分だけ知っている。荒れ果てた町並み、その残骸がここは自分の生まれた町なのだと教えてくれる。
「待って待って。意味わかんない……………………ん?」
到底受け入れられない現実に、ギャルフリアの頭が激しく混乱する。そんな彼女の足下に消える直前だった魔法の水が小さな貝殻を押し流してきた。コツンという感触にギャルフリアが足下を見ると、そこで再び思考が停止する。
「………え?」
それはただの貝殻。何の価値も無い、海辺に行けば幾らでも落ちているものだ。
だが、それは特別な貝殻。幼い頃にギャルフリアがオカーンに贈ったもので、無数に刻まれた傷に混じって覚えたての魔法で彫り込んだ「お母ちゃんへ」の歪な文字が見て取れる。
ギャルフリアが四天王という危険のある仕事に就いて以来、オカーンはそれを肌身離さず持つようになっていたのだが……
「……何で?」
何故これがここにあるのか? そして何故この貝殻に赤黒い色が付いているのか? 考えたくもない嫌な妄想が次から次に湧き上がってきて、ギャルフリアは思わず思いきり顔を横に振る。
「な、無い無い! お母ちゃ……ママに何かあるとか、一番無いから! あの人は絶対、いつだって元気で……ウザいくらい絡んできて…………」
震える手が貝殻を取り落としそうになり、咄嗟に力を入れて握ってしまった。すると貝殻はあっさりと手の中で砕け、その破片がギャルフリアの細く白い指にグサリと突き刺さった。
「痛った……って、あぁぁぁぁ……」
慌てて手を広げるも、砕けた貝殻が元に戻ることはない。泣きそうになりながら指から破片を抜けば、傷口から真っ赤な血が滴り落ちる。
「超さがるんですけど……ハァ。とにかくまずは確認しなくちゃ。広がれ、エモいすちゃー・ヴェール!」
こぼれる血をそのままにギャルフリアが手を一振りすれば、そこから薄い水の膜が全周に向かって放たれる。触れたものの情報を伝えてくれるその魔法は瞬く間に町中に広がっていき、程なくして町の入り口付近に多数の人の気配を感じ取った。
「うん? あっちだけ凄い人がいる……この感じ、戦ってる!?」
中央の一人に対して、それを取り囲む多数。ほぼ間違いなく誰かが戦っているのだと判断したギャルフリアは即座に魔法を解除し、代わりに自らの足に水を纏わせ滑るように町中を駆けていく。
「いた! あれは……っ!?」
変わり果てた町、されど慣れた道。あっという間に目的地近くまで辿り着くと、ギャルフリアの目に件の集団が映る。町の外側から半円状に取り囲んでいるのは、予想通りあの変な鎧を着た人間の戦士達。そしてその中心で町を背に敵の進軍を阻んでいるのは……
「お父ちゃん!?」
全身に傷を負ったギャルフリアの父、ホボウオであった。