欲しがり男、食い下がる
『クックック、実に見事な演技だったではないか? なあ貴様よ?』
ようやく全てが元に戻ったことで、ニックの腰からからかうようにそんな声が聞こえてくる。それに無言のままパシンと鞄を叩くことで答えると、ニックはこの数日のことを思い出していた。
初めて会った時のやりとりから、ホシガルが自分の持つ剣や鎧に並々ならぬ興味を示していることはニックにもわかっていた。ただ初日はイカサマを使ってまでニックを勝たせたこともあり、最初は「これで機嫌を取った上で、翌日以降に買い取りたいと交渉してくるのではないか?」とニックは考えていた。
だが、ホシガルを知っているような口ぶりだったソイネの反応と、以後のホシガルの指示を受けた部下の行動により、ニックはホシガルが自分の武具を買い取るのではなく、借金漬けにして奪い取ろうとしているのだと確信する。
勿論、その場でイカサマを指摘して騒動を終わらせることは簡単だった。あるいは面倒を嫌うならば支払うことなど想定していなかったであろう負け分を素直に支払ってさっさと立ち去ることも、ニックの財政事情からすれば何の問題もない。
にもかかわらずこんなまだるっこしい方法を選んだ理由はただ一つ。それは――
「ま、待っていただきたい!」
「ん? 何だ?」
と、そこでなんとなく「これで終わり」という気分に浸っていたニックにホシガルが必死の形相で声をかけてくる。その表情はとても「終わり」を受け入れた者の顔ではない。
「ふ、ふっふっふ。お客様も人が悪い。あのような約定を交わしたのですから、まさかこれで終わりというわけではないのでしょう?」
「むーん?」
ギラギラと輝くホシガルの瞳は、まだ己が勝つことを……ニックが取り戻した剣を再びその手にすることを諦めていない。だがそんなホシガルの態度に、ニックは微妙に困った顔で頭を掻いてみせる。
「儂としてはこれで終わりでもよかったのだが……お主は違うと?」
「ええ。『お客様の財が続く限り勝負を受け続ける』と取り決めましたからには、最後までお付き合いいただければと考えております」
そう言って薄く笑うホシガルだが、その言葉はニックが口にした言葉とは微妙に違う。ニックが口にしたのはあくまで勝ち逃げされないために「自分の手持ちがある限りは勝負を受けてもらう」であり、ホシガルの言う「手持ちがある限り勝負を続ける」というのでは意味が違ってしまうのだ。
これくらいなら勘違いで通せるであろう、微妙な言い回し。それでいてここでニックが迂闊にも頷けば、間違いなくホシガルの望む解釈を押しつけられるという罠。たった今痛い目を見たばかりの男が使うその手管に、ニックはニヤリと不敵な笑みを浮かべる。
「そうかそうか……つまりお主はまだやられ足りないということだな?」
「ご冗談を。まだお客様の借金が帳消しになっただけではありませんか。むしろ勝負はこれからなのでは?」
「確かにそれも一理ある。が、別に儂はお主の財産が欲しいわけではないからなぁ」
「…………何だと?」
あくまでも軽いニックの口調に対し、ホシガルの顔に青筋が走る。ここまでかろうじて保ってきた笑顔の仮面が遂に剥がれ、現れたのはむき出しの怒りだ。
「欲しくない? 大して欲しくもないのに、この私の財を奪っただと!? 許せん、許せん! お前だけは絶対に許さない!」
「ほぅ、それがお主の本性か? 取り繕った笑顔よりもよほど似合っているではないか」
「うるさい! 黙れ! 貴様に『奪われた』その剣共々、その財の全てを『取り戻して』やる!」
「フッ、いいだろう。その勝負受けて立つ!」
欲望と感情を想いのままに叩きつけてくるホシガルに対し、ニックは楽しげに笑って魔法の鞄から金貨の山を取り出した。
ホシガルは、とある商家の三男に産まれた。食うに困るような貧しさはないが、然りとて特に裕福というわけでもないごく一般的な……それよりもやや恵まれた側に属する家庭。
そんな家において、ホシガルは「自分のためのもの」を手にする機会がなかった。服だろうが何だろうが与えられるのは常に長男か次男のお下がりであり、自分の為に何か新品が用意されるということは一度もない。
もっとも、それは普通のことだ。どんな家でも長男が優遇されるのは当然で、次男くらいまでなら予備として色々教育されたり伝手のある相手にお披露目されることはあっても、三男までいくとそういう機会はなくなってしまう。そうなれば祝い事に着る服すら長男のお下がりで十分になってしまうのだ。
それは差別ではなく、純然たる区別。この世界における当たり前の常識として誰もが受け入れる事実だったが……ホシガル本人だけはそれを受け入れることができなかった。
何故自分には与えられないのか? どうして長兄にだけ選択肢があり、自分はいらなくなったそれを押しつけられるだけなのか? 欲しい。欲しい。自分だけのものが欲しい。その欲求は成長して「世間の常識」を知ってもなお消えることはなく、結果としてホシガルは一五で家を出て旅商人となった。
幸いにして、ホシガルには多少の商才があった。売って買って旅をして、少しずつその蓄えを増やしていくことに成功するが、しかし早々にホシガルは「これは自分の求めているものとは違う」と悟ってしまう。
確かに金を出せば商品を買える。それを売れば金が手に入る。だがそれでは駄目だ。何故なら商品を買うときに「自分の金が減ってしまう」から。そして商品を売るならば「自分の所有物が減ってしまう」から。そんな当たり前のことすら、ホシガルの内に渦巻く渇望が認めない。
金を減らさずに商品が欲しい。品物を渡さずに金が欲しい。かといって野盗に身をやつすのは違う。日々の平穏な暮らしも己の財産も、何も失わず全てを得るにはどうすればいいのか……その考えの行き着いた先が賭博。勝者が全てを得る賭け事の世界だった。
ホシガルは商人として稼いだ金を元手に、賭場を開いた。ごく初期を除いて自身が賭博を行わなかったのは、負けて失うという恐怖に耐えられなかったことと、真に勝者であり続けるには参加者ではなく管理者にならなければ駄目だということを、商売を通じて学んでいたからだ。
その思惑は成功し、ホシガルの周囲には金が集まってくる。特に現金ではなくチップを使わせる手法を馴染ませたことで、ホシガルは事実上無限に近い資金を手に入れた。負けた相手からはきっちりと現金を徴収し、勝った客にはのらりくらりとチップのまま保留させれば己が支払う金はほとんど無い。
失うことなく得る。己の夢を叶えたホシガルは、四〇を越えたところでスカンピンの町に遂に城を築き上げるに至った。その奥底には「欲しい」を満たす財宝の山が厳かに眠り、ホシガルの野望はここに帰結する。もはや減ることはないと思われる宝の山は、ホシガルの命そのものだ。
ああ、しかし。だがしかし。それだけ集めてもどれだけ集めてもホシガルの欲は満たされない。欲しい、欲しい、あれもこれも全てが欲しい。失いたくない、手放したくない。増えることだけが喜びであり、減ることは絶望でしかない。
子供の頃に芽生えた欲求はホシガルの本質となり、五〇を越えた今でもその熱は消えていない。抑えられないその猛りは今もまたホシガルを激しく突き動かしており……
「そろそろ決着のようだな」
尽きることなど考えられなかったその財産が、ここに燃え尽きようとしていた。