父、取り戻す
「さて、では早速始めるか。最初は……ふむ、『揃え札』にしよう」
先程までとは別人のように自信に溢れた姿のニックが、のしのしと近くにあるテーブルに歩み寄っていく。そのあまりの変わりようにホシガルも黒服達もあんぐりと口を開けてまともに反応することができない。
「ほれ、どうした? 始めんのか?」
「あっ!? は、はい! ただいま!」
そのままストンと腰を下ろしたニックに言われ、『揃え札』を担当する係員が慌てて札を切り始める。そのいつもやっている行為に少しずつ落ち着きを取り戻した係員の男は、慣れた手つきでニックと自分の前に五枚の札を配り終えた。
「では、お客様からどうぞ」
「うむ!」
とりあえずのチップを一枚テーブルに置いてから、ニックは徐に伏せられていた手札を開く。すると見事に数字も絵柄もバラバラであり、ここから揃えて役にするのはかなり難しそうだ。
「ふーむ、とりあえず三枚ほど変えるか」
小さくそう呟くと、ニックは札をテーブルに置いてから山札の方に手を伸ばし……それをそのまま掴み取って、その中から欲しい札を選び始めた。
「これと、これと……あとこれか?」
「…………はっ!? ちょっ、お客様、何を!?」
あまりにも自然、かつ堂々とイカサマをしようとするニックに係の男の反応が一瞬遅れる。やっとそれに気づいて抗議の声をあげると、言われたニックの方は不思議そうな顔で首を傾げてみせた。
「む? 何だ?」
「いや、何だじゃないでしょう!? 何を堂々とイカサマしてるんですか!?」
「イカサマ? 一体何の話をしているのだ?」
「何って……ホシガル様!」
困り果てた係の男の声に、ホシガルがハッと我に返ってすぐにニック達のいるテーブルの側へやってくる。そこには一応笑顔が浮かんではいたが、大分無理がある感じに引きつっているのは否めない。
「お、お客様。これは一体どういうおつもりで?」
「どうと言われてもなぁ。儂がイカサマをしたなどと言いがかりをつけられてもな」
「言いがかりって! 俺だけじゃなく、ここにいるみんながアンタのやったことは見てたんだぞ!?」
とぼけた顔でそう口にするニックに、興奮で口調を崩した係の男が食ってかかる。だがそれを受けたニックはニヤリと笑って男の顔を睨み付ける。
「ほぅ? 儂が知る限り、賭場でのイカサマは現行犯、動かぬ証拠を相手に突きつけた時しか成立しないものだ。だがここでは『見た』と主張するだけでイカサマが成立するのか?」
「はぁ!?」
ニックの言葉に、男は素っ頓狂な声をあげる。言われて改めてテーブルの上を見れば既に山札は所定の位置に片付けられており、今この場だけを見ればイカサマの証拠は何処にもない。
「お客様、それは流石に……」
とは言え、そんな屁理屈が通るはずがない。口元をヒクヒクとひくつかせながら抗弁しようとするホシガルに対し、ニックはあえて馬鹿にするような視線を送って大きなため息をついてみせる。
「ハァ。察しが悪いのであれば、説明してやろう。儂が今まで散々見逃してやったお主達のイカサマを、これで帳消しにしてやろうというのだ。『見た』と主張するだけならばイカサマは成立しないだろう?」
「っ!? ふ、ふふふ……これはご冗談を。それこそ言いがかりではございませんか?」
「そうだな。ここ数日のイカサマなど今更証明する手段はない。だがこれから起きることであれば違う。
よく覚えておけ。お主の雇った者達の手並みは確かになかなかのものだった。だが儂が今まで出会ってきた強敵の中には、それより遙かに速いものも、巧いものもいた。そして……」
言いながら、ニックが机に伏せて並べていた自分の札をゆっくりとめくっていく。するとそこに並んだのは、絵柄も数字も揃いに揃った最高の役。
「儂はそういう者達を、全て倒してきたのだ」
「ば、馬鹿なっ!? あり得ない!?」
「ほぅ? 何故あり得ない? 揃わぬように儂の手札に細工をしていたからか?」
「ぐっ!? そ、それは……」
驚愕の声をあげた係の男も、余裕の笑みを浮かべるニックの返しに言葉を詰まらせてしまう。まさかその通りだなどと答えられるはずもなく、然りとて目の前の光景は確かに『あり得ない』ことなのだ。
(三枚しか変えてなかったのに、五枚全部入れ替わってる!? 周囲の視線があれだけ集中しているなかで山札を全部把握して任意の札に入れ替えた!?)
「さあ、儂の手番は終わりだ。次はお主の番だ」
「は、はい…………」
ニックに促され、係の男は呻くような声で答えて震える指で己の前に並べられた札を手にしていく。そこには当然事前に仕込んだ役が並んでいるが、まさか露骨に最強の役など揃えているはずもないので、このままでは敗北は必至となる。
「どうする? 儂の目を盗んで全部入れ替えてみるか? 儂としては運否天賦に任せてみる方を進めるが。
なに、竜の巣穴に潜り込んで無傷で財宝を手に入れるくらいの剛運があれば引き分けくらいは狙えるぞ? もっとも、儂は竜よりも強いがな!」
「くっ、うぅぅ……………………っ!」
係の男が、チラチラとホシガルの方に視線を向ける。だがホシガルの引きつった笑みはどう控えめに見ても「負けたら殺す」と言っているとしか思えない。
「ぐっ……ご……五枚……変え、ます……」
こうなれば、もはやニックの言う通り運を天に任せるしかない。如何に己のイカサマ技術に自信があっても五枚全部を入れ替えることなどできないし、そこで腕を捕まれれば万に一つの可能性すら残らない。
「……………………」
「うむ、引いたな。では賭け金だが、儂はさっきホシガル殿から借り受けたチップを全額賭けよう。お主はどうする?」
「……………………」
泣きそうな顔をした係の男が、ホシガルの方に視線を向ける。仕込み無しで五枚全部を変えた男の手札はやはりというかバラバラであり、降りる以外の選択肢はない。だが客側が降りる場合は最初に支払った額を没収されるだけなのに対し、店側が降りる場合は客の賭けた金額の一割を賞金として支払わなければならない。
この取り決めはブラフによる賭け金の上乗せを助長させ、より効率よくチップを回収するためのこの店独自のルールなのだが、それが今回大きく足を引っ張っていた。
「…………チッ」
「っ!? お、降りる! 降りさせていただきます!」
そんな男の無言の訴えに、ホシガルはこれ以上無いほどの渋い表情を見せながら小さく頷く。それを見て係の男が大喜びでそう口にしたが、今日のニックはそれを通してやるほど甘くはなかった。
「馬鹿を言うな。お主、さっき儂がホシガル殿と交わした約束を忘れたのか?」
「や、約束?」
「そうだ。『儂の財が尽きない限り、儂からの勝負をずっと受け続ける』……つまりお主には降りるという選択肢はないのだ。受けるかそれともチップを上乗せするか、好きな方を選ぶがいい」
「そんなっ!?」
「さあ、どうする? まさかとは思うが、ここで『そんなつもりではなかった』などと口にはするまい?」
「……………………」
薄く笑って話しかけてくるニックに、ホシガルは怒りと興奮で顔を真っ赤にし、口をパクパクとさせているが……それでもそれを否定する言葉は出ない。
口に出せるわけがないのだ。交渉事において「解釈が違う」などと主張するのは己は無能だと叫ぶ行為に等しいし、何より相手がそれを受け入れるはずがない。よほどの無理筋ならば話は別だが、もしも立場が逆ならば自分だってそう主張するだろうと納得できる内容となれば尚更だ。
笑顔の下で必死に歯を食いしばるホシガルがそうして無言を貫いたことで、結局係の男は勝負を受けるしかなくなった。開かれた手札に奇跡は存在せず……ちなみにだが、本来ニックが手札を開示するのもここである……勝者はニック。
「ふっふっ、儂の勝ちだな。ではこいつは返してもらうぞ」
「あっ!?」
脂汗を流しながら重さに耐え、我が子のようにギュッと抱きしめていたホシガルの胸から、ニックはひょいと魔剣『流星宿りし精魔の剣』を取り上げる。
「うむ、やはり落ち着くな」
己の腰に戻った愛剣をポンポンと叩き、ニックは満足げに笑うのだった。