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添い寝娘、見送る

「ぬおっ!? 何だいきなり!?」


「えっ!? あ、ご、ごめんなさい!」


 無防備な鼻先に綺麗な一撃を入れられて驚くニックに、我に返ったソイネが慌てて頭を下げる。当たり前の話ではあるが、そういう性癖のある相手に請われてでもなければ客を殴るなど言語道断だ。


「別に痛くも痒くもないから構わんが、本当にどうしたのだ?」


「え、えっと、その……オジサマの顔が、ちょっと父とそっくりに見えたというか……」


 軽く鼻先をさすりながら問うニックに、ソイネが言いづらそうに体をモジモジさせながら答える。


 ソイネの父は、あまりいい親、いい大人ではなかった。ろくに仕事もせずに好きな酒ばかり飲んでいたためにソイネの母からは早々に愛想を尽かされたようで、ソイネが物心ついた時には家にはいつも酔っ払った父と自分しかいなかった。


 救いだったのは、ソイネの父は別に暴力的だったりはしなかったということだ。むしろ酒を飲んで上機嫌の時はソイネとよく遊んでくれたりもしたし、あるいは酒代がなくてソイネに泣きつく時はどちらが大人かと思わせるくらいに情けない姿だった。


「それでまあ、アタシが一五になって独り立ちしてからは家に帰ってないんですけど、さっきのオジサマの顔が『いい酒が手に入った』って自慢げに酒瓶を見せびらかしてくる父と同じに見えちゃって……本当にごめんなさい」


 明日の食費にも困るのにドヤ顔で酒を自慢する父を、ソイネはよく怒っていた。家を出てからは一度も顔を見ていないが、あのどうしようもないろくでなしの顔が今は少しだけ懐かしく感じる。


「お父上にか……それだと儂も怒れんな」


「うぅぅ、ホントにホントにごめんなさい! どうか店長には秘密に……アタシのできることなら何でもサービスしますから!」


 ただでさえ謹慎を食らっている最中なのに、客に手を上げたことがばれれば今度は契約を切られてしまう可能性すらある。ひたすらに平謝りするソイネに、ニックはニヤリと嫌らしい笑みを浮かべる。


「ふふふ、いいぞ。だがそれには儂の頼みを聞いてもらわねばならんな」


「な、なに? ちょっとエグめの行為でも、この際頑張ってみるけど……?」


 ソイネがゴクリと唾を飲み、覚悟を決めてニックの顔をみる。まるで小動物のように小さく震える若い娘を前に、ニックはその大きな手で肩を掴んで……


「儂が如何にして賭博場で儲けたか、その自慢話に付き合ってもらうぞ!」


「だよねー。オジサマはそういう人よねー……」


 あまりにも拍子抜けな、そしてニックらしい提案にソイネは呆れた顔つきでそう口にする。とはいえ賭場で勝ってここにやってくる客というのはそれこそ日常的に接する程に多いわけで、上手い具合に相手が聞いて欲しいことを聞き出し、その自尊心をくすぐって満足させるのはお手の物だ。


 ようやく自分の得意なことでご奉仕できると張り切るソイネだったが、ニックの口からそれ(・・)を聞いたことでその表情がにわかに固まる。


「えっ、ホシガルさんに呼ばれたの?」


「うむ。よくわからんがどうやら儂を気に入ってくれたようでな。それで金貨一枚分のチップを渡されて、それを元手に勝負したところ、今日だけで銀貨二〇枚ほど勝ったというわけだ!」


「へ、へー、そうなんだ。凄いね…………」


 得意げに語るニックに対し、ソイネは何処かよそよそしい言葉を返してしまう。いつも通りの反応ができないほどに、その胸の中には動揺が広がっている。


 この店で働くようになって、ソイネはもう七年になる。その間には当然色々な客と出会ってきたし、同時にそういう客を相手にした同僚からも様々な話を聞いている。


 そしてその中に、「ホシガルに呼び出された客」の話があった。ホシガルに気に入られたとうそぶく客はその後しばらく金回りがよくなる反面、ある時を境にフッとその姿を消してしまう。この町にすっかり染まっているソイネには、それを単なる噂、偶然だと聞き流すことはとてもできなかった。


「あの、オジサマ……?」


「ん? 何だ?」


「その、オジサマはまたあの賭博場に行くの? そんなに儲かったんなら、もういいんじゃない?」


 故にソイネは本来ならば必要のないことを口にしてしまう。


(馬鹿! 何やってるのよアタシ! 噂が本当ならオジサマはこの後一杯お金を儲けて、それをアタシに使ってくれるのよ!? なら黙って甘い汁を吸わせてもらえばいいじゃない!)


 己の内で、そんなことを囁く声が聞こえる。それはこの町で、この店で生きる者としてもっとも正しく賢い姿。


「あー、まあそうと言えばそうなのだが、実はまだ儲けた分を換金しておらんのだ。何やら特別な手続きが必要と言われてな。最低でも明日だけは出向かねば金が手に入らん」


「そう、なんだ。ならそこでお金を受け取って終わり?」


「それは何とも言えんな。せっかく出向くのであるし、勝ち分くらいは追加で遊んでこようかとも思っているが」


「ふ、ふーん……で、でもでも、そんなに運がいいときばっかりじゃないでしょ? 人には分相応ってものがあるんだから、オジサマも無理しちゃ駄目だからね?」


「はっはっは、わかっておるとも」


 だから、楽しげに笑うニックをこれ以上強くは引き留められない。そんな権利があるわけもないし、証拠も無いのに……むしろ確たる証拠があったとしてもこの町でホシガルを悪し様に言うことなどできるはずもない。


 結局その日の夜は、モヤモヤした気持ちを抱えたままソイネはニックの大きな背中に寄り添って眠った。そして次の日の朝、店を出るニックに向かってソイネはいつもの営業とは違う気持ちを込めて言葉をかける。


「ねえ、オジサマ? また……来てくれる?」


「おっと、今回も商売熱心だな。そうだな、自慢話になるか愚痴になるかはわからんが、また顔を出させてもらおう」


「うん! アタシ、待ってるね!」


 外見的には似ているところなど何処にも無いはずなのに、何処か父の面影を感じさせるニックに対し、ソイネはすがるような声でそう言った。





 そんなソイネの願いは、幸か不幸か叶えられることになる。その日の夜もまたニックは店にやってきて、大勝ちしたと自慢した。ソイネはそれを思いきり褒めそやし、二人で祝杯をあげた。


 次の日、やってきたニックは大きく負けたと言っていた。今までの勝ち分が全部吹き飛ぶ大敗北にソイネは心配の言葉をかけたが、ニックは「なに、明日で取り返すとも!」と豪語する。


 その言葉が不安で不安でたまらない。だがソイネに出来ることは、ニックの側で眠ることだけだ。


 更に次の日。またやってきたニックはやや困り顔をしていた。負けは更に大きくなり、金貨一〇〇枚にも及ぶという。自分が一生かかっても稼げないほどの額の借金を背負ったニックに、ソイネは「もうやめよう」と声をかけることもできない。そんな金額を返す手段など、それこそ賭博ぐらいしかないからだ。


「……………………」


 そしてその日の夜。ソイネは自分のすぐ横で寝息を立てるニックの背中を前に、一人眠れぬ時を過ごしていた。


(きっと、今日が最後……)


 理由などない。だがソイネの直感が明確にそれを告げている。明日ニックがこの宿を出て賭博場へと出向けば、おそらくもう二度と会う事はない。


(何でこんな気持ちになるんだろう……?)


 賭博で負けて身を持ち崩す男など、これまでも数え切れない程見てきた。だというのに何故今回に限って……と考え、ニックが自分を一度も抱かなかったからだと思い至る。


(そっか。そういう関係にならなかったからこそ、オジサマとお父さんが被るんだ)


 いつも酔っ払っていただらしない父親と、賭け事に熱中して破滅を迎えようとしているニック。体の関係がなかったからこそ、その駄目な大人の姿がくっきりと重なったのだとソイネはようやく自覚した。


(でも、もう引き留められない。実の父親だって見捨てて家を出たのに、行きずりの他人であるオジサマのために金貨一〇〇枚なんてとても払えないもの。


 だから割り切らなきゃ。アタシはこの宿と契約してる娼婦で、オジサマはただのお客様。見捨てるとかそんな大層な関係ですらない、お金だけ、この時だけの関係なんだし)


 ごろんと体を横に転がし、ニックの背にソイネもまた背を向ける。


(嫌だな……何でこんな気持ちになるのよ……)


 自分に悪いところなど何も無いのに、ソイネはただひたすらに重く垂れ込める心を抱えて目を閉じる。


(あっ、ひょっとしてお母さんもこういう「駄目な男の人」が好きだったのかな? うぅ、顔も知らないのにそんなところだけ似なくても……)


 背中に感じる確かな温もりにまるで生娘のように顔を赤くしてから、ソイネは母への恨み節を頭の中で繰り返している間に、いつの間にか眠ってしまい……そして翌日の朝。


「……今日も行くの?」


「おう! 今日こそ勝って全てを取り返してくるぞ!」


「そっか。頑張ってね」


 幾分笑顔に力の戻ったニックに対し、ソイネは気力を振り絞って愛想笑いで返す。


「ねえ、オジサマ?」


「何だ?」


「また……来てね」


「うむ!」


 泣き崩れそうになるのを必死に堪えて、ソイネはニックの背を見送った。

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[一言] ニックなら資産に困る事は無いだろうけど、貨幣はどれくらい持っているんだろ
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