父、接待される
「いやいや、流石にこんな大金は受け取れんぞ!?」
渡された袋の中身を確認し、ニックが驚きの声をあげて袋を返そうとする。だがホシガルは笑顔を崩さないままに手のひらを前にかざして、それをやんわりと拒否する。
「ははは、お気になさらず。確かに金貨一枚ならば大金ですが、これはあくまで赤チップ一〇〇枚ですので」
「むぅ? それは同じことではないのか?」
思わず首を傾げるニックに、ホシガルは蕩々と言葉を続けていく。
「確かに、お客様の視点であれば同じですね。ですが私はこの賭博場の経営者ですから、お客様がこれを使い切ってしまったとしても銅貨一枚の損失すらないのです。
逆にこれを元手にお勝ちになった場合は損となりますが、それこそお客様との縁を繋ぐことのできたお礼と考えれば安いものです。ただその場合はこの一〇〇枚分を除いた純粋な勝ち分のみを換金する、とさせていただければありがたいのですが、如何でしょう?」
『ふむ、要はこの男は貴様に金貨一枚を渡すのではなく、金貨一枚分遊ぶ権利を渡すと言っているのだ。提供するのが遊戯となれば減るものでもないし、そう考えれば過剰な接待とまでは言えぬ。この男なかなかのやり手のようだな』
「なるほど、遊ぶ権利か……わかった、そういうことならありがたく受け取ろう」
オーゼンからの補足を受けて呟いたニックの言葉に、ホシガルは内心で小さく驚く。だがそんな感情をおくびにも出さず、嬉々としてどの遊戯に興じるか迷うニックをそのままに、ホシガルはそっと特別室を後にした。
「ふぅ」
「お疲れ様ですホシガル様。それでこの後の対応はどうしましょうか?」
「いつも通りで構いません。適当に勝たせ負けさせ、最後はそう……赤二〇枚くらい勝たせるようにして終わりなさい。ただし換金に関しては『特別な形でチップを貸し出した事務処理があるので、明日にして欲しい』とでも言って引き延ばすこと。いいですね?」
「わかりました。では、そのように」
指示を聞いた黒服が一礼してその場を去って行くと、ホシガルはそのまま歩いて近くの長椅子に腰を下ろす。あくまでも事務室なので最高級というわけではないが、革張りの長椅子は十分以上にフカフカとしてホシガルの体を優しく包み込んでくれる。
(冒険者というからどんな粗暴な相手かと警戒していましたが、あのニックという男、きちんと礼節を弁えていましたね。これならば普通に賓客を入れていても大丈夫だったでしょうか……)
今現在隣の貴賓室で遊んでいる客は、ニックを除けば全てホシガルが仕込んだ店の従業員だ。もしニックが下品な荒くれだった場合に備えて通常の賓客には機材の不備ということにして別室に移ってもらっていたが、どうやらいらぬ心配だったとホッと胸を撫で下ろす。
(ただ、あの佇まいと装備で鉄級冒険者とは……あえて目立たないように抑えている? となると何処かの大貴族、あるいは王族の護衛でしょうか? であれば礼節を弁えていることも金に困っていないことも説明がつきますね)
ホシガルに戦士や鍛冶屋としての目利きはないが、少なくともニックの見せた魔剣は芸術品としても超一級のものだった。仮に実用性の無い飾りだったとしても金貨一〇〇〇枚を下るものではなく、剣としての能力も高いのであればその金額は更に数倍になると予想できる。
それはつまり、鉄級冒険者が死ぬまで働いても……それどころか一〇回死んで生まれ変わってもまだ稼げないような金額の武具を身につけているということだ。適当に売るだけで遊んで暮らせるような剣を手にしていながら鉄級程度の冒険者をやっているということは、そうしなければならない理由があると考えるのが当然だろう。
(となると、少々難しいですね。明日会った時にはどのくらいこの町に滞在するのかを聞き出し、場合によっては少々強引でも高額のチップを掴ませるべきでしょうか? 確かウチの経営する連れ込み娼館を利用したとのことでしたし、客を装わせた高級娼婦を数人配置して上手くおねだりさせるとか……これは検討の余地がありますね)
地位や名誉のある相手は、強引な手段に出づらい反面、借金や女で弱みを握ることができれば一気に相手の優位に立てるようになる。が、同時にそういう相手は自分の意思だけで一つの町に留まり続けることが難しいことが往々にしてあり、あまり仕込みに時間をかけては肝心の獲物に逃げられてしまう公算が高い。
(狙うのは短期決戦。多少の出費は覚悟してでも大きな勝負に出るべきですか。そうすれば…………)
長椅子に座ったままのホシガルが、両手で顔を覆ってその場で俯く。手の下に隠れたその顔はグズグズに崩れそうなほどに笑っている。
(クフフフフ、手に入る。手に入るぞ……! あの素晴らしい剣が! それに今回はよく見られなかったですが、あの鎧も!
何処に飾ろう? あれほど素晴らしいものであれば、私の私室に飾るのがよいでしょうか? いっそ寝室でベッドの横に飾ってしまう? 余人の目になど触れさせない、私だけが独占する私だけの宝! クフフフフフフフフ……)
力一杯両手で顔を押さえ、ホシガルは声が漏れるのを必死に我慢する。だがそれでもクックッと肩が震えることまでは隠せず、通りかかった事務員はそんな主の姿を「ああ、またか……」と微妙な表情で見流していく。
(ああ、楽しみだ楽しみだ……)
ピクピクと体を振るわせながら、ホシガルはしばし甘く甘美なその欲望に身を浸らせていた。
「ソイネちゃーん! ご指名入ったよー!」
「はーい!」
店長からの呼び出しに、ソイネは元気よく返事をして店の入り口へと走って行く。今朝の悪戯で猛烈に怒られ三日間の謹慎を言い渡されてはいたが、お客様のご指名があれば当然ながら話は別だ。
(うふふ、ずっと部屋で退屈しているときに指名してくれるなんて、最高のお客さんじゃない! ここは思いっきりサービスして、明日も指名してもらわないと!)
謹慎中ということで乱れていた身だしなみを手早く整え、ソイネが弾む足取りで店内を駆けていく。そうしてどういうわけか微妙な笑みを浮かべる店長の横を通り過ぎ、お客の前に辿り着くと――
「ご指名ありがとうござ……オジサマ!?」
「よう!」
商売用の笑顔を崩して驚きの声をあげたソイネに、ニックが手を上げて答える。そのあまりにも堂々とした態度からは、朝の騒動のことなどこれっぽっちも感じられない。
「えっ、どうしたの!?」
「どうと言われてもな。ちゃんとまた来ると言ったではないか」
「言ってたけど……え? だって、え!?」
「ということで、邪魔するぞ」
「ごゆっくりどうぞー」
半笑いのような顔で言う店長を尻目に、ニックはソイネの腰に腕を回してグイグイと店内に入っていく。その動きに最初こそ戸惑っていたソイネだったが、すぐに自身の本領を思い出して自らニックの腰に甘えるように手を回した。
「もうっ、何なのオジサマ? あ、ひょっとしてアタシの魅力が忘れられなかったとか?」
「ははは、確かにお主は実に可愛らしい女性だとは思うが、忘れられぬほどとまでは言えぬかな?」
「えー、そこはお世辞でも『そうだよ。君の可愛さにメロメロなんだ』とか言うところじゃない? そしたらアタシだってその気になって、いーっぱいご奉仕……って、ひょっとしてオジサマ、今日も普通に寝るつもり?」
「ん? 当たり前ではないか」
「じゃあ何でまた来たの? こう言ったらなんだけど、何もしないならもっと安くていい宿が他にあるでしょ? それともまさか、まだ宿が取れないとか?」
「いや、そうではない。実はな……」
昨日と同じ奥の席に腰を下ろしたニックは、無言でソイネの顔を覗き込む。そのまっすぐな視線にソイネが思わずドキッとすると、ニックの顔がニヤリと笑い……
「賭場で大勝ちしたから、自慢しに来たのだ!」
「……ていっ!」
半ば無意識に、ソイネはニックのウザ目な笑顔にパンチを叩き込んでいた。