父、提供される
「……………………」
喧噪に満ちた賭博場のなかで、奇妙な静寂に満たされた一角。その場で周囲の視線を一身に集める筋肉親父が、その大きな手を振ってサイコロを転がした。
重力に従ってコロコロと転がるその動きに誰もが固唾を呑んで見守るなか、最後にコトリと音を立てて制止したサイコロが指し示した運命は――
「ふはははは、これであがりだぁ!」
「「「うぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!」」」
破顔したニックの雄叫びに、観客達から地鳴りのような声があがる。その半分はニックの勝利に賭けていた者達の歓声であり、残り半分は他の参加者に賭けていた者達の怨嗟の声だ。
「やったなアンタ! アンタはやる男だって俺は最初からわかってたぜ!」
「ふっふっふ、これもお主が親切に説明してくれたおかげだ」
満面の笑みでニックに近づき、その肩をバシバシと叩きながら声をかけるのはこの町に来た時から親切にしてくれたあの男だ。奇妙な縁を感じてニックの勝利に賭けたことで、この男もまた賞金を手にすることに成功した。
「おめでとうございますお客様。こちらが賞金になります」
と、喜びに沸くニックの所に、係員の男が白いチップを押し出してくる。テーブルの上に小山が築かれたそれは一〇〇枚近くあり、その全てが勝者であるニックの取り分となる。
「おお、ありがとう。うむ、大分儲かったな」
「全くだぜ! まさか追加のチップを一枚も使わないで勝っちまうとはなぁ。面白い勝負だったし儲かりもした! ありがとよ兄ちゃん!」
「礼を言うのは儂の方だ。今度町ででも会ったら酒を奢らせてくれ」
「おう、楽しみにしとくぜ!」
自分もまた係員から勝ち分のチップを受け取って、親切な男が手を振って去って行く。他にもニックの勝利のおこぼれに与った者達が口々に礼を言ってからその場を去って行くと、それに入れ違うようにこの賭場の係員を示す黒服の男がニックの側へと歩み寄ってきた。
「おめでとうございますお客様」
「うむん? お主は?」
「これは失礼致しました。実はこの賭博場の所有者であるホシガル様が、剛運のお客様に興味を示されたとのことでして」
「そうなのか? ……言っておくが、イカサマなどはしておらんぞ?」
今日のニックはかなりの運に恵まれているのか、手持ちのチップは白が二〇〇枚ほどに加え、青が三枚手元にある。つまり初期投資の五倍は勝っているということであり、一般的な客の勝率から考えればとんでもない大勝ちをしていた。
だからこそイカサマを疑われることもあるのかと軽く警戒したニックだったが、黒服の男は苦笑いを浮かべてその首を横に振る。
「いえいえ、そのようなことはございません。単純に会って話をしてみたいとのことですので、もし宜しければ一緒に来てはいただけないでしょうか?」
「ふむ、そういうことなら別に構わんが」
「ありがとうございます。ではこちらへどうぞ」
ニックが了承したのを見て、黒服の男が先に立って歩き出す。そうして賭場の奥の方へと歩いて行くと、二人の男が見張りに立つ扉の前で足を止めた。
「ホシガル様の呼んだお客様だ。通してくれ」
「わかった。では、この奥へどうぞ」
「うむ」
見張りの男が開けてくれた扉を、ニックの巨体がくぐり抜ける。するとその先に広がっていたのは、これまでよりも更に非日常を強く感じさせる豪華な室内だった。
『ほぅ、これは凄いな』
その見事さに、オーゼンが思わずそんな呟きを漏らす。
先程までの賭博場の内装も、十分に豪華で煌びやかなものだった。だがそちらが一般人にもわかりやすい……言ってしまえば少々下品な派手さを追求した豪華さだとすれば、扉の向こうにあったのは洗練された豪華さ。審美眼がなければただ美しいとしか理解できないような本物の価値ある装飾品が壁や天井を飾るその場は、それこそ王城の貴賓室にすら引けを取らないだろう。
「やぁやぁ、よく来て下さいました!」
そんな豪華な部屋に入ったニックに声をかけてきたのは、五〇代くらいのやや痩せ気味の男。周囲の黒服とは打って変わってゆったりとした白いローブのようなものを纏い、首からは大粒の赤い宝石があしらわれた金の首飾りを下げている。
「初めまして冒険者殿。私はこの賭博場を経営しているホシガルという者です」
「これはご丁寧に。儂……いや、私は旅の鉄級冒険者で、ニックと申します」
節くれ立った手を差し出され、ニックは握手と共に挨拶を返す。細くはあるが力を感じさせるその手からは、目の前の男が間違いなく「人の上に立つ存在」なのだということがはっきりと伝わってくる。
「鉄級? ははは、そうですかそうですか……ああ、別に丁寧に話していただく必要はありませんよ? 私は単なる商人ですから、最低限粗暴でさえなければ礼儀作法になど拘りませんからね」
「そうですか? ならば普通に話させていただきましょう。それでホシガル殿、儂に話とは何ですかな?」
「そう警戒なさらずに。部下がお伝えしたと思いますが、本当に貴方と話をしてみたかっただけなのですよ。それでも強いて目的を言うならば、貴方のような高位の冒険者の方と繋がりを持ちたかったというところでしょうか」
未だ若干の警戒心を見せるニックに、ホシガルは務めて朗らかな笑顔を作ってみせた。もっともそれを聞いたニックの方は少しだけ申し訳なさそうな表情になる。
「そうでしたか。であれば失望させてしまいましたかな?」
「そんな事はありませんよ。確かに鉄級というのは予想外でしたが……失礼ですが、もし宜しければその見事な武具をどうやって手に入れたのかをお聞きしても?」
「これですかな? これは知り合いのドワーフの名工が作ってくれた鎧と、そのドワーフと、やはりこちらも知り合いのエルフの二人が協力して作ってくれた剣ですな」
「エルフとドワーフの合作ですと!? 仲が悪いと聞いている二種族の合作とは……その、もっとよく見せていただいても?」
「ふふふ、いいですぞ」
その時ホシガルが見せた表情は、英雄譚に熱を上げる少年のような顔だった。だからこそニックは腰から魔剣を外し、ホシガルの前に腕を伸ばす。
「おおお、これは!? この鞘は魔銀ですね。持ってみても?」
「いや、この剣は見た目よりずっと重いですから、それはやめておいた方がいいでしょう」
「そ、そうですか。ではせめて刀身を見せてはいただけないでしょうか?」
「わかりました。無論注意はしますが抜き身の剣ですので、気をつけてくだされ」
そう警告を口にしてから、ニックは魔剣を鞘から抜き放つ。すると研ぎ澄まされた刃と七つの星の刻まれた芸術品のような刀身が露わになり、ホシガルの目が大きく見開かれる。
「うぉぉぉぉ!? な、何と美しい……っ」
「おっと、触れるのはおやめくだされ。危ないですからな」
無意識のうちに伸ばしてしまったホシガルの手を、ニックが慌てて制止する。その後はすぐに魔剣を鞘へと戻すと、再び腰に装着した。
「はぁぁぁぁ……………………欲しい」
「ん? 何か?」
「いえ、何も。くくく、それにしても素晴らしいものを見せていただきました。これは是非お礼をしなければなりませんね。どうでしょう? 是非ともこの部屋で遊んでいかれませんか?」
「この部屋で? あー、言われてみればここも賭場なのですな」
ほんの一瞬だけ怪しく目を光らせたホシガルの言葉に、ニックは改めて室内を見回す。すると単に豪華なだけではなく、この部屋にもまた賭博のための設備が整っていることに気がついた。
「ええ。こちらの部屋は私の認めた特別なお客様のためにあつらえた部屋でしてね。一般の方と違って美味しいお酒やつまみなども無料で提供しておりますし、どうでしょう?」
「ふむん? 確かに快適そうですが……まさかここでこれは使えんでしょう?」
そう言って、ニックは苦笑しながら白いチップを一枚取り出してみせる。これほど金のかかった部屋で、銅貨一枚にも満たないチップを使わせてくれるとはとても思えない。
そしてそんな当然の問いに対し、ホシガルの方も軽く笑って答える。
「ははは、確かにそうですね。ですがそれに関しては問題ありません。おい、あれをこちらのお客様に」
「畏まりました……お客様、こちらをどうぞ」
ホシガルの指示を受け、側に控えていた黒服の男がニックに白い袋を渡してくる。明らかに上等な布で作られたそれを受け取ったニックが袋の中を覗いてみれば、そこには真っ赤なチップが大量に詰め込まれている。
「ホシガル殿、これは?」
「お近づきの印です。どうぞこちらを使って遊んでください」
赤チップ一〇〇枚……金貨一枚に相当するそれを受け取ったニックに、ホシガルは張り付いたような笑みを浮かべながら優雅に一礼してみせた。