欲しがり男、目をつける
時は少し遡り、その日の朝。余人の立ち入れぬ賭博場の奥にて、如何にも神経質な顔つきをした壮年の男が黒服を着た部下から報告を受けていた。
「――以上になります。それと昨日の昼に起きた詐欺事件に関してですが……」
「詐欺……? ああ、あれですか」
部下の言葉に対し、ホシガルは少しだけ考えてからその事を思い出す。実質的な被害はなく馬鹿が馬鹿を露呈しただけで終わったその事件はあまりにも些細かつどうでもいいことだったため、完全に意識の外に追いやっていたからだ。
「確か私の名を出した小悪党がいたんでしたね。どうでしたか?」
「はい。調べてみた結果、三ヶ月ほど前に挨拶にきた小さな組織の下っ端が犯人でした。既に逮捕しておりますので、後はホシガル様の指示待ちとなっております」
「ハァ、やはりそんなところですか。まったく、何をどうすればそんな勘違いをできるんでしょうね」
報告を聞いて、ホシガルはあからさまにため息をついてみせる。賭博場などという莫大な金の動く事業を手がけていれば、表にも裏にもすり寄ってくる者はいくらでもいる。
時には大物が出てくることもあるが、その大半は取るに足らない存在ばかりだ。なのできちんと挨拶……それなりの金を払いこちらの不利益にならないように配慮するならば多少のことは「無視」してやるのだが、それを「自分が後ろ盾になってやる」のだと勘違いして調子に乗る馬鹿というのは、どれだけ叩いてもどういうわけかたまに現れるのだ。
「普通に考えてあの程度の金額で名前など貸すわけないでしょうに。というか、そもそも我々は犯罪組織などではないと常々言っているのに、どうしてそれを理解しない輩がこれほど後を絶たないのか……困ったものです」
賭博場の経営は領主の許可を得ているので全く違法ではないし、町の治安を取り締まるのは衛兵……それこそ領主の仕事なので、ホシガルには何の関係もない。仕事を円滑に進めるために多少の付け届けくらいはしているが、その程度は大店の商人なら誰でもやっていることだ。
「まあ、それすらわからないから馬鹿なのでしょうがね。処置はいつも通りで結構です。軽い見せしめもかねて鉱山にでも送るよう希望を出しておきなさい」
「畏まりました」
ホシガルの下した裁定に、部下の男が頭を下げて了承の意を示す。単なる希望ではあるが、あの詐欺師が犯した罪に比べればずっと重い罰を受けることになるのがこれで確定した。
「で、報告はこれだけですか?」
「あ、いえ、あと一件あります。ホシガル様が出資している娼館にて、今朝小さな問題が発生したようです。
内容としては娼婦が客に乱暴を働かれたと訴えて、ちょっとしたいざこざが起きかけたというものなのですが、その後すぐに訴えた娼婦自身が『今のはちょっとした悪戯だった』と証言しており、客の方も規定の料金を支払っておりますので、特に損失などは発生しておりません」
「……それの何処に報告する必要があったのですか?」
娼婦に限らず、女というのはとかく気まぐれなものだ。何らかの被害が生じているならともかく、気に入らない客をちょっと驚かせたくらいでいちいち問題にしていては娼館などとても経営できるはずもない。
とはいえ無罪放免では周囲に示しが付かないので当該の娼婦に厳重注意、あるいは軽い罰金程度ならば課してもいいだろうが、その程度であれば店を任せている店長の裁量で十分に事足りるはずだ。
自分の部下たる者がその程度も理解していないはずがない。ならばこそ訝しげな表情を浮かべたホシガルだったが、それに対し部下の男が若干言いづらそうな表情で言葉を続ける。
「はい、それがその……その娼婦が言うには、自分の相手にした客が見たこともないほどに素晴らしい武具を身につけていたとのことで……」
「ほぅ?」
額から一筋汗を垂らす部下のその言葉に、ホシガルは初めて強い興味を示して軽く身を乗り出す。
「見たこともない……それはどのようなものだったのですか?」
「はっ。何でも海の如く深い青に染められた見事な金属鎧と、魔竜王を討ち取った魔剣だと……」
「魔竜王!? 魔竜王と来ましたか……」
ギシッと音を立てて椅子の背にその身を預け、ホシガルが口の中でその言葉を何度も転がしていく。その見慣れた仕草に部下の男は嫌な汗が額に流れるのを感じたが、果たして主はその予想を裏切ることなくその言葉を口にする。
「……欲しい」
(ああ、またか……っ!)
「その鎧と魔剣、是非とも欲しいですね」
「お言葉ですが、所詮は娼婦の目利きですので、本当に価値のあるものかどうかはわかりませんよ?」
「フンッ。そんなものは手に入れてから考えればいいのです。見た目だけで性能が伴わないなら美術品として飾ってもいいですし、本当にどうしようもないガラクタなら捨ててしまっても構いません。重要なのはそれを私が手に入れることなのです」
それはホシガルの持つ最大の悪癖。そういう珍しい、価値のありそうなものを見聞きしてしまうと、それを手に入れずにはいられないのだ。そのせいで本来必要ではない危険な橋を何度も渡ってきたのだが、それでホシガルの性根が変わることはなかった。
「それでは、どうしましょう? 部下に言って町を探させますか?」
「そうですね。とは言えそれほどの名品となれば、単純に買い取るのは難しいでしょう。ならば……」
「いつもの手、ですか」
「そうです。私の賭博場で存分に楽しんでいただくことにしましょう」
彫りの深いホシガルの顔が、強い欲望にニヤリと歪む。五〇歳を超える細身の体はとても強そうには見えないというのに、その瞬間ホシガルから放たれる気配は明らかに捕食者のそれだ。
「わかりました。ではそのように手配させていただきます」
「ええ、お願いします」
この町の実質的な支配者に相応しい鷹揚とした頷きをみせると、部下の男が一礼して部屋を去って行く。その後部屋に一人取り残されたホシガルが感じるのは、久しぶりの高揚感だ。
「欲しい、欲しい! ああ、全てが欲しい! 今度は一体どんな素晴らしいモノが手に入るだろうか? 楽しみだ、楽しみだなぁ!」
早足に室内を歩き、背後の扉を開いて中に入る。そこにあるいくつかの仕掛けを動かせば、何の変哲も無い部屋の中央に地下へと続く階段が出現した。
「欲しい! 欲しい! 欲しい! 欲しい! 欲しくて欲しくてたまらない!」
他人が見れば狂ったかと思われるように同じ言葉を繰り返しながら、ホシガルは階段を降りていく。そうして突き当たり、自分以外には決して開けられない魔鋼で作られた扉を開いて辿り着いた先にあるのは、彼の集めた財の全て。
「増える! 増えるよ! ここにまたお宝が増える! ああ、そうとも。私は何も失わない。失うことなく全てを得るんだ! これまでも、そしてこれからも!」
積み重なるのは金銀財宝。立ち並ぶのは至高の芸術。国さえ丸ごと買い取れそうな莫大な宝飾品の数々に、ホシガルは恍惚の表情で両手を天に掲げて立ち尽くす。
そんな男の思惑が迫るなか、当の筋肉親父はというと――
「やった! また当たったぞ!」
「あは、あはははは……す、凄いですねお客様……」
「ハッハッハ、このくらい軽いものだ!」
一〇回連続で的の中央に投げ矢を命中させ、引きつった笑みを浮かべる係員を尻目に上機嫌で笑い声をあげていた。