父、追い出される
「ちょっ!? 何で寝てるのよ!? 起きてオジサマ! 起きてったら!」
「うぅーん。何だ?」
焦ったソイネに揺り動かされ、ニックがムニャムニャと口を開く。そんなニックの目の前には、鼻が触れそうな距離でソイネの困り顔がある。
「何だじゃないわよ! 何で寝ちゃうの!? あ、ひょっとしてアタシがお酒飲ませ過ぎちゃった? ならすぐお水持ってくるよ?」
「いや、別に酔っ払って眠いわけではないぞ?」
「じゃあ何で寝ちゃうのよ!? お楽しみはこれからでしょ!?」
「んー? 最初にきちんと言ったであろう? 儂はここに寝るために来たのだ」
「そんなのわかってるわよ! だからきっちり……え、ひょっとして寝るって、本当にただ寝るだけってこと!?」
驚愕の表情を浮かべるソイネに、ニックは横になったままその手を伸ばし、微笑みを浮かべながらソイネの頭を撫でる。
「そういうことだ。だからお主も気にせず寝るといい」
「そうはいかないわよ! だって、何もしなくてもお金だって取るんだよ!?」
「ははは、きちんと払うから大丈夫だ」
ニックがソイネの誘いに乗ったのは、連れ込み宿で娼婦を買う値段込みでも最後に断られた宿の宿泊料より安いからだ。そのうえで最初から何もするつもりはなかったのだから、金を払い渋ることなど考えてすらいない。
「ということで、儂は寝る……ふぁぁ……グゥ」
「オジサマ!? もー、何なのよー!」
ということで、ニックはそれだけ言い残すと再び目を閉じて眠りについてしまった。その後はソイネがどれだけ体を揺すってもニックの瞼が開くことはない。
「フッフッフ、いーわよ? そっちがその気なら、アタシだって絶対オジサマをその気にさせてみせるんだから!」
そんなニックの態度に、娼婦としての誇りを傷つけられたソイネが不敵な笑みを浮かべて宣言する。絶対に自分の魅力でこの筋肉親父をその気にさせてみせる……そんなソイネの覚悟がニックの股間に輝く黄金の獅子頭によって粉砕されるのは、それから一〇分後のことであった。
「うーん、よく寝たな」
そんな賑やかな深夜の宴をまさかの爆睡で乗り切ったニック。朝を迎えて体を大きく伸ばしながら目覚めると、そんなニックに声をかけてくる者がいる。それは勿論……オーゼンである。
『起きたか』
「おはようオーゼン。どうやら大活躍だったようだな」
『くっ、貴様のせいであろうが!』
笑いながら言うニックに、オーゼンが抗議の声をあげる。
如何に眠っていたとはいえ、ニックが自分の周囲で動く気配を感知できないはずもない。それによるとソイネはどうにかしてオーゼンをはずそうと奮闘するも当然ながらどうすることもできず、最終的にはニックの尻に化粧用の紅で「ヘタレ!」と落書きしてからニックの横で眠っていたようだ。
その後はニックより早く起きて部屋を後にしたようで、今となってはベッドに残るほのかな温もりだけがソイネの痕跡となる。
『何故我が貴様の股間を一晩中守らねばならんのだ!』
「そう怒るな。というかきちんと考えてみると、王の貞操を守るというのは割と正当な使われ方なのではないか? まあ儂は王ではないが」
『む!? それは……むぅ?』
意外なニックの指摘に、オーゼンは思わず考え込んでしまう。王の胤を盗んだり、あるいは股間を潰して血を絶やすなどすればその影響は国を揺るがすほどのものになるだろう。
無論そんなことは寝ている王を単純に暗殺するより難しいのでオーゼンとしては今まで考慮したこともなかったが、王の血を守るという使命は確かに「王選のメダリオン」という自身の在り方としては極めて正しいと納得しそうになってしまった。
『……い、いや、我は騙されんぞ! 貴様の邪悪な股間を守ることが誉れになるなど、そんなことあってはならんのだ!』
「ふふふ、ま、じっくり考えてみればよかろう。さて、では支度をして出るか」
己の中の譲れない何かと必死に葛藤を始めたオーゼンをそのままに、ニックは軽く身支度を調えてから部屋を出て下に降りていく。流石にこの時間は酒を飲んでいる客もおらず、静かな店内ではテーブルを拭いたりしている従業員の姿がちらほらとあるのみ。
「あ、おはようオジサマ。昨日はよく眠れたかしら?」
「ああ、おかげさまでな」
と、そこでニックの姿を見つけたソイネが皮肉たっぷりの笑みを浮かべながら近づいて挨拶をしてきた。ニックが平然とそう答えると、ソイネの頬が不満げに膨れる。
「むー、余裕ぶっちゃって! フンだ! オジサマなんてホシガルさんの賭博場で大負けしちゃえばいいのよ!」
「おっと、それは酷いな! もし負けてここに戻ってきたならば、今夜も慰めてくれるのか?」
「お断りですー! アタシのことを可愛がってくれないようなお客さんはぜーったいお断りですー! ほらほら、さっさと出ていっちゃえ! えいえい!」
ニヤリと笑いながら言うニックに対し、ソイネはむっとした顔でニックの尻に蹴りを入れてくる。その勢いで太ももどころかその奥にある下着まで丸見えになっているのだが、その程度はどちらにとっても今更のことだ。
「そう急かすな。では、今日も宿が取れなかったらまた顔を出させてもらおう」
「ぶーっ! 店長! このオジサマ酷いんですよー! 昨日の夜、アタシが(寝たら)駄目だって散々言ったのに、すっごく強引に放置して寝たんですよー!
おかげでアタシ、昨夜は(心が)痛くて眠れなくて……しくしくしく」
「なにーっ!? おいアンタ、ウチの女の子に何してくれてんだ!?」
「ぬぉっ!?」
ソイネの悲壮な叫び声に、店の奥から整った身なりをした男性が血相を変えて飛びだしてくる。
「お、おいソイネ!? お主何のつもりだ!?」
「ふーんだ。アタシに恥を掻かせたんだから、このくらいは当然でしょ? えーんえーん!」
焦るニックの前で、俯いて泣き真似をするソイネがペロリと舌を出して言う。だがその可愛らしい顔は残念ながらニックの方からしか見えず、店の奥からは店長と呼ばれた男が強面を数人引き連れてドタドタとこちらに走ってきている。
「くぅ、やってくれたな悪戯娘め!」
「ほらほら、早く逃げないとこわーいお兄さんが来ちゃうよ? まあオジサマなら簡単にやっつけちゃうのかも知れないけど」
「そんなわけにいくか! まったく……ていっ!」
「あいたっ!?」
軽くニックに額を小突かれ、ソイネが一瞬目を閉じる。その隙にニックはソイネの手に銀貨を握らせると、そのまま素早く店を飛びだして行った。
「さらばだ!」
「またねー、オジサマ!」
「あ、こら待ちやがれ!」
賑やかな朝の町並みに、目の覚めるような青い鎧を身に纏う筋肉親父が駆けていく。お茶目で無粋な「オジサマ」から託された銀貨を胸元に握りしめつつ、ソイネはその後ろ姿が見えなくなるまで笑顔で手を振り続けるのだった。