父、営業される
「申し訳ございませんお客様。生憎と満室でございまして……」
「むぅ、そうか。わかった、では他を当たるとしよう」
丁寧に頭を下げる紳士に対し、ニックはそう声をかけて建物を後にする。振り返って見上げてみればその豪華な外観の内部には人の気配の無い部屋が幾つもあるように思えたが、それは言っても詮無いことである。
「まさかこんな高級宿ですら断られるとはな……」
ため息と共にそんな呟きを漏らすニック。スカンピンで宿巡りをして、これでもう一〇件目。流石にここまで来ると残りの宿も限られてくる。
『で、どうするのだ? まだ他の宿を巡るか?』
「うーむ。そうだなぁ……」
すっかり夜の帳が降りてしまった町中を歩きながら、ニックはしばし考えを巡らせる。
旅人に人気のありそうな安くていい宿が一杯というのはわかる。だが宿泊費を銀貨で数えるような宿の部屋が全て埋まるなどというのは、突発的な慶事か凶事で大勢の人が移動するような事態でもなければまずあり得ない。
要するに、何処も本当に部屋が一杯だったのではなく、何らかの理由でニックを泊めるのを拒否したかったということなのだろうが……生憎とニックにはそうされるだけの理由が何一つ思い当たらない。
「おそらくだが、貧民街にほど近い訳ありの泊まる宿ならば部屋が取れるだろう。もしくは本当に最高級の、それこそ一晩で金貨が飛ぶような場所であればそういう事情を加味してなお部屋を貸してくれる可能性はある。
が、どうしてそうされているのかわからんのに怪しげな宿に泊まるのも、無意味に高い宿に泊まるのもなぁ」
確かに自分が悪いと納得できるような理由があるなら、ニックとしてもこそこそするのを受け入れることができる。が、何をしたともわからないのにそんな過ごし方をするのは納得がいかない。
「……ふむ、それともいっそ、あそこに行ってみるというのもありか?」
そう言ってニックが目を向けるのは、町の中央で燦然と輝く巨大な賭博場。昼でも明るかったそれは夜の闇のなかでより一層光り輝いており、一攫千金を夢見る者を大口を開けて待ち構えている。
『賭博場で夜通し遊ぶつもりか? 何とも退廃的だな』
「お主が今の世の娯楽を知りたいと言ったのではないか! どうせ宿が取れぬのであれば、むしろ丁度いいとも言えるであろう?」
『確かにあれほどの施設の中がどうなっているのかは興味がそそられるが……』
「はーい、オジサマ!」
と、フラフラと町を歩きながら考えていたニックに、不意に声をかけてくる者がいた。ニックがそちらに顔を向ければ、そこには衣服というにはあまりにも頼りない、肌が透けそうな程に薄くてひらひらの服を身に纏った若い女性が笑顔で手を振っている。
「儂に何か用か?」
「フフーン! なーんかオジサマが一人でさみしそーに歩いてたから、思わず声をかけちゃったの! どうオジサマ、アタシとたのしーことしない?」
「むーん? すまんがそういうのは……ん?」
愛想笑いを浮かべつつ断ろうとしたニックだったが、ふと頭に考えが浮かぶ。
「一つ聞きたいのだが、お主のところでは寝ることもできるか?」
「何よオジサマ、最初っからやる気満々なの? 勿論、お望みとあれば寝られるわよ。一晩じーっくり楽しませてあ・げ・る!」
ムーナほどでは無いにしろ十分に豊満な胸を腕ですくい上げるようにして強調しつつ、女性が色っぽく腰をくねらせ口を尖らせる。その仕草を見た近くの男が女性に手を伸ばそうとしていたが、横を歩く男に「馬鹿、辞めとけ、ありゃ高いぞ?」と引き留められて無念そうな顔で何度も振り返りながら通り過ぎていく。
「そうか、それはよかった。ならば一晩厄介になるとしよう」
「やった! それじゃ行きましょ! あ、アタシの名前はソイネよ、宜しくね」
「ソイネか。儂はニックだ、宜しくな」
そんな酔っぱらい達の言動を気にすることなく即決したニックに対し、ソイネは満面の笑みを浮かべてニックの腕に抱きついた。ギッチリと筋肉の詰まった太い腕に形の良い胸がむにゅりと潰れるほどに押しつけられ、甘ったるい化粧の匂いがニックの鼻孔をくすぐってくる。
「ねーえ、ニックのオジサマ。オジサマって冒険者の人よね? そんな立派な装備してるってことは、ひょっとしてすっごくお金持ちの有名人だったりするの?」
「ふむ、金はまあ持っているが、有名かと言われると……どうなのだろうな? 儂自身が有名というのはちょっと違う気もするが」
ニックを直接知っている貴族や王族はいるが、世間的な知名度があるかと言われればそんなことはない。勇者の父という知名度はあくまでも勇者に付随するものであって、ニックという個人が有名なわけではないのだ。
「ふーん、そっか。ま、アタシはお互いにたのしー思いができればそれでいいけどね。フフッ、あの馬鹿なごろつきに感謝しなくっちゃ!」
「ごろつき? 何の話だ?」
「ああ、ほら。オジサマって昼間に変なのに絡まれたでしょ? その時そいつがホシガルさんの名前を出したの覚えてる?」
はしばみ色の大きな瞳をくりくりさせて、ソイネがニックの顔を覗き込むように見上げる。その言葉に対しニックはほんの少しだけ考えて、すぐに木箱を持った男のことを思い出した。
「ああ、あの男か。あれがどうかしたのか?」
「アイツ、まるで自分がホシガルさんの関係者みたいなことを言ったでしょ? だからこの町の人達は、ホシガルさんの不興を買いたくなくてオジサマに部屋を貸さなかったんだと思うの」
「ほぅ、そうだったのか。で、そのホシガルというのは何者なのだ?」
「えっ!?」
首を傾げるニックに対し、ソイネは思わず驚きの声をあげる。そうしてまじまじとニックの顔を見つめ、それが冗談ではないと悟ると少しだけ呆れたように言葉を続けた。
「うわっ、ビックリ! まさかこの町にいてホシガルさんを知らない人がいるなんて……何者っていうなら、説明は簡単よ。この町の真ん中にある賭博場、アレの持ち主がホシガルさん」
「あれを個人が所有しておるのか!?」
「そういうこと! すっごいすっごいお金持ちだから、領主様だってホシガルさんには強く出られないの。ね? そんな人の不興を買うかも知れないって思ったら、関わり合いになりたくないでしょ?」
「道理だな。だがそれならば何故お主は儂に声をかけてきたのだ?」
真面目な顔で問うニックに、ソイネは柔らかな頬をスリスリとニックの腕に擦り付けながら言う。
「ウチのお店って、ホシガルさんが出資してるの。だからもし本当にホシガルさんがオジサマをどうにかしたいって思ってるんだったら、真っ先に通達が来てるはずなのよ。それが何も無いってことは……言い方は悪いけど、ホシガルさんはオジサマのことを何とも思ってないってわけ」
「なるほど、それは確かにこれ以上ない根拠だな」
「そーいうこと! 二、三日もすれば他のお店も落ち着くと思うけど、それまではウチでたーっぷり楽しんでいってね!」
「わかったわかった。わかったからそうじゃれつくな」
「いやー!」
少し大げさにニックが腕を振ると、振り落とされまいとソイネがギュッと腕に抱きつく力を強くする。そうすれば当然肌が密着する面積が増え、胸やらお腹やら太ももやらの柔らかな部分がより強く押しつけられることになる。
「チッ、いいよなぁ。俺もあんないい女に縋り付かれたいぜ」
「次だ。次勝てば俺だって……」
「……駄目だ。見てるだけでたまんねぇや」
すれ違う男から投げかけられる、羨望、嫉妬、あるいは舌打ちの数々。それを一心に受けるニックに、ソイネは悪戯っぽく笑いながら声をかける。
「フフーン! どうオジサマ? アタシみたいな可愛い女の子を独占してる気分は?」
「んー? 別に悪い気はせんが」
「まったまたー! 我慢しちゃってもう! オジサマったら可愛い!」
(そう言えば、娘とこんな風に出歩いたのはいつが最後だったであろうか……)
まさかニックがそんなことを考えているとも知らず、終始上機嫌なソイネの先導でやがて二人は大きな紫の蝶の形をした、如何にも怪しげな建物の前に辿り着く。するとソイネは躊躇うこと無くその入り口を開き、中に入ると大きな声で挨拶をした。
「たっだいまー! お客様一名、いらっしゃいましたー!」
「「「いらっしゃいませー!」」」
ソイネの声に反応し、店中の女性がニックに対して歓迎の言葉を投げかける。薄暗い店内には結構な数の人影があり、春先だというのに何処かむわっとした空気が満ちている。
「さ、いきなりお部屋でもいいけどー……せっかくだから最初はお酒でも飲みましょ?」
「ああ、構わんぞ」
「やったー! じゃ、こちらへどーぞ!」
慣れた様子のソイネに手を引かれ、ニックは店の奥まった席へと通されていった。