父、通り過ぎる
イッケメーン王国首都、パーリーピーポーへの旅を続けるニックとオーゼン。その道すがら辿り着いた新たな町は……よくも悪くもきらびやかであった。
『賑やかというか雑多というか……とにかくやかましい町だな』
「ははは。ここはイッケメーンでも最大の賭博場がある町らしいからな」
賭博都市スカンピン。その特徴は何と言っても町の中央にある巨大な賭博場であり、そこには一般庶民のみならず遠方から遊びに来る貴族までいるほどだ。
その豪華な建物は町の入り口からでもよく見え、金色の建造物……予算と強度の関係から流石に純金ではないらしい……は昼夜を問わず照明の魔法道具によって煌びやかに輝き続けている。
そんな賭博場へと続く大通りもまた、普通の町とは少し違う。大量の露店が並んでいるのはよくある光景だが、一般的には一番多いはずの飲食物の店は他の町の半分ほどしかなく、代わりに軒を連ねているのは賭場の必勝法を売る物や、ねじくれた土の塊にしか見えない「幸運のお守り」を売る店、そして一番多いのは……
「さー、次はいないか? サイコロを三つ振って、全部同じ目が出たら総取りだぞ!」
「ふむ。あれほど立派な賭場があるのに、露店でも賭け事をやっているのか」
顔を真っ赤にして声を張り上げる店主と、その周囲を囲む人だかり。そこに顔を突っ込んでニックがそう呟くと、近くに立っていた男が笑いながらニックに声をかけてきた。
「何だアンタ、この町は初めてか?」
「む? ああ、そうだ。ついさっき着いたばかりでな。酒場ならその辺で賭け事をやっていても珍しくもないが、昼間から、しかも町の大通りで店を構えてやっているというのがどうにも珍しかったのだ」
「そうかい。なら教えといてやるが、町の中央にある賭場に行くときは注意した方がいいぜ? 何せあそこには大食いの魔物がいるからな」
「魔物?」
ピクリと眉を動かすニックに、その男は恐ろしげな声を出して語る。
「そうさ。あの金ぴかの魔物の腹の中じゃ、どいつもこいつも馬鹿みたいに賭け事ばっかりやってやがるんだ! 金が石ころみてぇに扱われててる空気に飲まれたら最後、財布の中身どころかケツの毛まで毟られて蹴り出されるって寸法よ!」
「ほぅ! それは確かに大物だ!」
ニヤリと笑う男に、ニックも笑ってそう返す。賭けに熱くなって身を持ち崩す輩はいつの時代にも存在し、わかっていても辞められない人の愚かさはきっと未来永劫変わらないのだろう。
「いい話を聞かせてもらった。ではその魔物相手に勝利を夢見る勇敢な戦士殿に対し、ちょっとした礼をしよう。あのサイコロは絶対に揃わないように細工されているぞ。転がり方がおかしいからな」
「えっ!?」
驚きの表情を見せる男をそのままに、ニックは悪戯っぽい笑みを浮かてからその場を去って行く。背後では何やら騒動が起きていたようだが、それはもうニックの与り知るところではない。
『まったく貴様は、何をやっておるのだ』
「ふふ、随分と儲けていたようだったからな。ならば見破られた時の覚悟も……ん?」
こっそりオーゼンと話しながら歩いていたニックがふと前を見ると、正面から自分の体の半分ほどもあるような大きな縦長の木箱を抱え、フラフラとよろめきながら歩く男が近づいてくるのに気づく。
「ふむ」
無論、ニックはぶつからないように進路を大きく横にずらした。だがそれに合わせるように男が同じ方向に移動する。
「む?」
仕方が無いので、ニックは素早く反対方向に切り返す。だがやはり目の前の男が同じ方向に移動してニックの進路に立ち塞がる。
「むぅ?」
「ああっ!」
ならばと再度ニックがよけたところで、男が不意に大声を出しながらニックの方に倒れ込んできた。それと同時に大きな木箱が宙を――
「おっと」
「……あ、あれ?」
舞う前に、ニックの手がサッと男の体と木箱を押さえた。たかだか一メートルの距離などニックからすれば無いのと同じであり、倒れ込むどころか抱えた木箱がそのまま腕の中にあることに、男は驚きと戸惑いの表情を浮かべている。
「あ、あれ? 何で……?」
「気をつけるのだぞ」
「あ、ああ。どうも……って違う! あああーっ!!!」
一声かけたニックが、そのまま男の横を通り過ぎる。すると男はもう一度わざとらしい大声を上げながらその場で転び、それに合わせて今度こそ宙を舞った木箱がガシャンという音を立てて地面に落ちる。
「て、てめぇ、何てこと……おい、待て! 待てって!」
「ん? 儂か?」
そのままスタスタと通り過ぎようとするニックに対し、男は慌てて追いすがってその手を掴む。本当は肩を掴みたかったのだが、ニックの身長が高すぎて掴みづらかったのだ。
「そうだよ! オッサンがぶつかったせいで大事な荷物を落としちまったじゃねーか!」
「……いや、完全に儂が通り過ぎた後で転んだであろう?」
「そ、そんなことねーよ! とにかく、まずは木箱の中を一緒に確認してくれ!」
「まあ、うむ。見てくれというのなら見ても構わんが」
男の必死な様子に、ニックは不精ながらもそれに同意する。そうして男が木箱の蓋を開けると、中には見事に砕けた陶器の破片が詰まっていた。
「あああっ! なんてこった! 金貨四〇枚はする最高級の壺が!」
「あれだけ派手に落とせば、まあ割れるであろうなぁ」
「何でそんな冷静なんだよ! オッサンがぶつかったせいでこうなったんだぞ!?」
「いや、だから儂は別にぶつかっておらんだろう?」
「いやいやぶつかったって! そのせいで割れたんだって!」
「お互い前に向かって歩いていたのに、通り過ぎた相手にどうやってぶつかるのだ? どちらかが突然後ろ歩きでもしなければぶつかりようがないぞ?」
「そ、それは……あ!? そ、そうだ! その前! オッサンが木箱に手を当てた時に、その衝撃で割れたんだ!」
「……あれで割れるならお主が歩いて運ぶだけで割れるのではないか?」
目の前の男が転びそうになった時、ニックは確かに木箱に手を添えた。だがそれは本当に添えただけであり、与えた衝撃は木箱を抱えて歩くだけで生じるそれよりも更に小さい。
無論その衝撃で壊れる物というのもあるだろうが、そこまで繊細なものをただの木箱に入れて徒歩で運べるはずがない。もしそんな手段をとるとすれば、それは壊れることを前提としている時だけだ。
「ち、違う! とにかくオッサンが木箱に触ったからこの壺が割れたんだ! 弁償だ! 弁償しろ!」
「はぁぁ……これは参ったな」
目の前の男の言葉は、誰がどう聞いても言いがかりだ。ならばこそ周囲の人々はニックに気の毒そうな視線を向けるも、関わり合いになることを避け二人の側を遠巻きに通り過ぎていく。
「ならあれか? 衛兵でも呼んできて沙汰をもらえばいいのか?」
「は? 何言ってやがる? お前が悪いんだからお前が金を払えば解決だろうが!」
「金なぁ……わかったわかった。ならばそうだな、その壊れた壺の持ち主のところにでも連れていけ。その者と直接話をすることにしよう」
「ふ、ふざけんな! 誰がお前みたいなオッサンをホシガルさんのところになんて……あっ」
瞬間、男が慌てて自分の口に手を当てる。だが勢い任せに外に出してしまった言葉は消えることなく、周囲の人々の間にざわめきが走る。
「え、あいつホシガルさんの関係者なのか?」
「まさか。ごろつきが勝手に言ってるだけだろ?」
「でも、もし本当だったら……」
「あわわわわ……お、お、お、覚えてやがれこの糞親父!」
ざわめきに押されるようにして、顔を真っ青にした男が捨て台詞を吐きながら木箱を抱えてその場を走り去っていく。ニックはその背を呆然と見送って……
「…………何だったのだ?」
ただ一言、そうこぼしてポリポリと頭を掻いた。