娘、追い出される
「ゴホン……では、話を続けよう」
一つ咳払いをしてから、魔王オモテボスが真面目な顔で仕切り直す。その際フレイの脳内に「よっ! 待ってました!」と合いの手を入れたいという思いが湧き上がったが、側に座るムーナからの無言の圧力を感じてかろうじて思いとどまった。勇者の称号を返上したとはいえ、危機を察知する直感まで無くしたわけではないのだ。
「この地に集まった我ら魔族の祖となる者達だが、その生活は困窮を極めたものだった。人が暮らせるようにと神がもらたした恩寵をあえて拒否していたのだから、当然ではあるがな。
そしてその者達は、自らが恩寵にあずかることと同じくらい、恩寵にあずかる他の人間達を敵対視していた。『奴らのすがる神の恩寵こそ、この世に堕落と破滅をもたらす根源である』という主張の下に自分達以外の存在に幾度となく戦を仕掛け……それこそが魔族と人間の敵対する最初の理由であったようだ」
(うわぁ。それって多分、回帰派? とかいう人達が魔族のご先祖様だったってことよね?)
魔王の話に、フレイは内心でそんなことを思いつつチラリとムーナの方に視線を向ける。それを受けたムーナがほんの僅かに頷いてみせたことで、フレイの中でその予想は確実なものとして固まった。
「ん? 待ってくだされ。最初の、ということは今は違うのですかな?」
と、そこでロンが新たに生まれた疑問を口にした。そんなロンに対し、魔王は大仰に頷いてから更に話を続けていく。
「当然だ。確かに最初の魔族達は自分達の意思であえて不毛の地に住まい、信念を以て敵と戦う事を選んだのだろう。そしてその教えを受けた子供達は『不当な手段で自分達だけいい思いをしている』外部の者達を激しく憎み、戦い、奪い、殺すことを当然と考える戦士となる。
だが、それも長くは続かない。外の国がゆっくりとだが確実に豊かになっていくなか、この地だけが不毛なままで取り残されているのだからな。目の前の飢えと渇きの前に信念は徐々に吹き飛んでいき、やがてはただ生きるために豊かな外の国を襲うようになっていく。
最初の理念を忘れ、ただ奪うだけで何も生み出せぬ蛮族の民。そういうものに魔族が落ちぶれ、このままでは滅ぶのも時間の問題……そんな魔族の窮地を救うべく、ある日この地に神が降り立った」
「えっ!?」
「か、神……ですか?」
そこまでずっと現実的だった魔王の話に、突如として現れた『神』という超常的な存在。それにフレイ達が思わず声をあげてしまうと、今度こそ魔王はニヤリと笑って言葉を続ける。
「そう、神だ。突然現れた神はその力で瞬く間に我ら魔族を服従させると、奇跡の御技を以てお前達が『境界の森』と呼ぶものを生み出して魔族領域を外から分断したり、他の国にある神器と似たような力を持つこの魔王城を作り上げ、荒れ果てていた魔族領域を癒やしたりして我ら魔族を救ってくださった。
またその際に我らが我らのみで生きられるようにと、神は我らの体内に魔石を宿してくださった。その結果我らはお前達人間に比べて強靱な肉体や魔力を手に入れることとなり、無事に生き抜くことができたというわけだ」
「ふーん、そっか。神様、神様ねぇ……」
魔王の話を聞き終えて、フレイは宙に視線を彷徨わせながら思索を巡らせる。最後に聞かされた神のくだりは普通ならば一笑に付す、あるいは所詮は伝説、神話の類いと切って捨てる内容だったが、それができない理由をフレイは知っている。
(お城が人の手で作られたってのは当たり前だからいいとして、魔族領域を囲うような広さの境界の森とか、人間の体に魔石を埋め込むとかは……世界樹を作ったりエルフや獣人を生み出すのに比べたら簡単、なの? 専門的すぎて全然わかんないけど、絶対にできないとも言えなそう。
となると、魔族の信奉する神様っていうのは、その当時の人間? 目的は単に魔族を救うこと? それとも……)
「ねぇ、その理由だとどうして今も魔族は人間と戦争してるわけぇ?」
フレイがそんなことを考えている時、今度はムーナが質問を投げかける。
「私達が見て回った感じだとぉ、今の魔族領域は普通に発展してるわよねぇ?」
「そう言われればそうですな。自然は豊かなようでしたし、遠くに山も見えておりましたから鉱物資源も産出されているのでしょう。であればもはや『生きるため』に人間を襲う必要はないのでは?」
ムーナの言葉に追従するようにロンがそう補足すると、今度こそ魔王がニヤリと笑う。
「うむ、そうだな。お前達の言うことは正しい。そして……その答えはもう見て回ったのではないか?」
「それって……」
意味深な笑みを浮かべる魔王に、ムーナが言葉を詰まらせる。その代わりに口を開いたのはフレイだ。
ここまでの道のりでフレイ達が交戦したのは、近くに住む魔族達からすら恐れられていたごろつきや乱暴者を除けば、その全てが魔王軍の兵士だった。ならばその答えに辿り着くのはいわば必然。
「アタシ達と戦ってるのは魔族じゃない。『魔王軍』だけ……っ!」
「そういうことだ。もはや魔族は人間を敵などと見なしてはいない。まあ魔王軍の被害は伝えられるから、漠然と人間を怖い敵だと思ってはいるだろうがな……フフッ、たとえ袂を分かとうとも、辿り着く先は同じということか」
「…………何でっ!」
ダンッと思いきりテーブルに拳を叩きつけ、フレイが叫ぶ。怒りに満ちた視線を魔王に向け、その思いの丈を吐き出していく。
「なら何でアンタ達はアタシ達と戦争なんてしてるのよ!? 戦う理由もなければ戦うほどの恨みもない! それならもう話し合うだけで解決じゃない! 一部の暴走する馬鹿を殴り飛ばしたら、それで終わりでしょ!? なのにどうしてアンタはそれをしないのよ!?」
「それは勿論、余が魔王だからだ」
「魔王って何!?」
自分の言葉を冷静に切って捨てる魔王オモテボスに対し、フレイは理性を感情で殴り飛ばすようにその問いを叩きつける。
「魔王って、勇者って何なの!? それそのものが戦争の原因だって言うなら、何でそんなものが生まれるの!? アタシは……っ」
ギュッと拳を握りしめ、フレイが俯く。噛みしめた唇からは血が滲んでおり、その表情は苦渋にまみれている。
「アタシはこの世界に勇者として生まれた。そんなアタシに世間は魔王を倒すことを期待してるんだと思う。
でも、アタシが望んでるのはそんなことじゃない。ただみんなが……人間だけじゃなく、魔族だって笑顔で暮らせるような平和な世界が欲しい。
だからアタシは戦わないことだって選べる。アンタと話し合って人と魔族が手を取り合える未来を夢に見られる。
なのに、アンタは違うの? 魔族の王様だっていうなら……アンタの求めるものの中に、魔族の平和は含まれないの?」
「無論、含まれるとも。余とて魔族の皆が平穏無事に過ごすことを強く望んでいる。故にもしお前の夢が叶い、魔族と人間が手を取り合う未来が来るのだとしたら、それはとても素晴らしいものなのだろうと理解している」
「なら……っ!」
「だが、余は魔王だ。魔王としての責務を果たさねばならん」
「だから、それは何なのよ!?」
「魔王の存在理由……それはこの地に我らの神を呼び戻すことだ」
「神って、さっきの話の……あっ、魔神!?」
そこでフレイは、「魔王は魔神を復活させることを目的としている」という伝承をようやくにして思い出す。知っているはずなのに忘れていたのは、自分を基準に魔王の目的もまたもっと等身大のものであると勝手に思い込んでいたからだ。
そしてその瞬間、魔王の体から再び途轍もない圧力が放たれる。それはまるで強風のようにフレイ達をなぶり、フレイ達は思わず目を細めて腕で顔を覆ってしまう。
「そうだ。彼のお方をこの地に再臨させることこそ、我らの意義、我らの使命。そしてその為に、我らはお前達と戦わねばならぬ」
フレイ達の座っていた椅子が、不意にガタガタと揺れ出す。髪の毛一本揺れていないというのに、少しでも気を抜けばそのまま吹き飛ばされてしまいそうだ。
「待って! 何で魔神の復活にアタシ達と戦う必要があるの!? そもそも魔神が復活したらどうなるの!? それによっては――」
「残念だが、ここでお開きだ。いずれまた正規の手段でまみえることになるだろう。その時までにしっかりと鍛えておくといい」
「だから待ってって! どうしてもって言うなら戦いを避けたりしないから、せめてその理由を――っ!」
「さらばだ」
一際大きく吹き付けた魔力の風に飲まれ、フレイ達の意識が白い渦に飲まれていく。暗転ならぬ白転した意識がグルグルと回っていって……
「…………あうっ!?」
尻に痛みを感じたところで、フレイの意識が現実に戻る。そこは魔王城の結界の外側であり、赤く色づく夕焼け空に不気味にそびえ立つ魔王城がその存在を主張している。
「外に飛ばされた? 流石魔王だけあって、そんなこともできるのねぇ」
「ムーナ? ロンも、大丈夫!?」
すぐ側で聞こえた仲間の声に、フレイが慌てて近くを見回しながら言葉を投げる。幸いにして二人ともなんともない様子で、フレイはホッと胸を撫で下ろしつつ改めて魔王との会話を思い出した。
「何なのよもう。肝心なところだけ何も答えないとか……」
「言わない理由があったのか、言えない理由があったのか……どちらにせよ戦いは避けられない様子でしたな」
「むー」
「仕方ないわよぉ」
不満げに口を尖らせるフレイに対し、ムーナが何かを悟ったような笑みを浮かべてその肩を叩く。
「今考えてみれば、きっとあの日から貴方と魔王の対決は避けられなかったのよぉ」
「何よそれ!? そりゃ魔王と勇者は戦う運命だって言われたらそうなんだろうけど、でもアタシは――」
「違うわぁ」
ちょっと本気で怒ったフレイに、しかしムーナは眉根を寄せて首を横に振る。
「貴方がニックをパーティから追い出した日のこと、覚えてるでしょぉ?」
「父さんを? そりゃ覚えてるけど、それが……………………あっ」
父との思い出を、ましてやあれほど印象深い日のことをフレイが忘れるはずがない。まるで昨日のことのように鮮明に思い出されたそこで、フレイは見つけた……見つけてしまった。酒場の片隅に転がった、何だかよくわからない黒いモヤモヤのことを。
「あれだけ魔王が復活させようとしている魔神を、既にニックがこの世界に呼び出した上に殴り飛ばしてたなんて知られたら、絶対怒って襲いかかってくると思うわぁ」
「…………父さんの、父さんのっ! 馬鹿ぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
勇者フレイの魂の叫びは、赤い夕焼け空の向こう側へと虚しく吸い込まれてゆくのだった。