娘、試される
「なっ!?」
「何と!?」
青みがかった肌をしている以外、基人族とそう大差ない外見をしている四〇代くらいの中年男性。役場勤めで上にも下にもくたびれた愛想笑いをしているのが似合いそうな覇気の感じられない見た目に、ロンもムーナも「果たしてこれが本当に魔王なのか?」という疑問を抱かずにはいられなかった。
だが今、そんな男から吹き付ける威圧は二人がかつて経験したことの無いほどに強力なものであり、冒険者としての経験すらも凌駕した生き物としての本能が、目の前に迫る「死」を前に二人の体を跳ね上がらせる。
木製の椅子を蹴り飛ばして立ち上がったロンは、牙を剥きだしにして興奮しながら自身の全身に魔力を巡らせ、竜鱗が少しでも硬くなるように金色の瞳を縦に見開く。この場でもっとも物理的な防御力が高いのは自分だと自覚しているからだ。
そんなロンの背後では、杖を構えたムーナが動揺して乱れた精神集中を一瞬にして押さえ込み、背筋を流れる汗よりも冷たい視線を魔王に向ける。その唇が震えているのは、決して小声で詠唱をしているわけではない。
そして必死な仲間二人の姿を尻目に……勇者であるフレイは、平然と座ったままお茶を飲み続けていた。
「フレイぃ!? 貴方何寝ぼけてるわけぇ!?」
「フレイ殿! 早く拙僧の後ろに!」
「……勇者よ、お前は立ち上がらないのか?」
焦る二人とは対照的に、魔王は余裕のある口調でそう問う。だがそれに対するフレイもまたその余裕を失っていない。
「当たり前でしょ。戦いに来たっていうならそりゃそうするけど、アタシはアンタと話し合いに来たんだもの。だから席を立つのは今じゃないわ」
「フッ。そうか」
ニヤリと笑って言うフレイに、魔王は小さく笑ってその威圧を解く。途端に周囲を満たしていた殺気が消え去り、ロンとムーナは複雑な表情を浮かべて互いの顔を見合わせてから、改めてフレイの方に顔を向けた。
「……どういうことなわけぇ?」
「別に大したことじゃないわよ。最低限自分と話し合う価値があるかどうかを見極めたかったとか、そんな感じじゃない?
普通の相手なら失礼だって怒るところだけど、そこはまあ、この人魔王だしね」
「そう睨まんでくれ。余とて全ての魔族の王としての責任があるのだ。覚悟と力の両方が伴わぬ者と未来の話などできるはずがないであろうが」
「なら、アタシは合格ってこと?」
「そうだな。そこの二人に比べれば話し合う余地はありそうだ」
そのしょぼい見てくれと裏腹に貫禄のある喋り方をする魔王の言葉に対し、ロンとムーナは悔しげに顔を歪めながら蹴り飛ばした椅子を元に戻してそこに座った。そんな仲間達の様子に、フレイは不満げに口を尖らせる。
「ちょっと、アタシの仲間のことを悪く言うのはやめてくれない?」
「む、そうだな。品の無い行為だった。謝ろう」
「へぇ? 謝ってくれるって言うなら、一つアタシの質問に答えてくれないかしら?」
「何だ? 答えるかどうかはともかく、聞くだけは聞いてやろう」
「ちぇっ、ケチね! なら質問。人間と魔族ってどうして戦ってるの?」
それはフレイがずっと知りたいと思っていて、だが誰に聞いても答えの得られなかった疑問。それでも魔王ならばひょっとしてと問うフレイに、魔王オモテボスは軽く首を捻りながら言葉を返す。
「我らが戦っている理由か……何故そんなものを気にするのだ? それを聞いたところで今更戦いをとめられるとでも?」
「そこまでは言わないけど、でも気になるじゃない。これから先のアタシ達がどんな関係になるにしても、まずは最初の一歩がどうだったのかを知らなかったら、また同じ失敗をするかも知れないでしょ?」
「フム、道理だな。ならば余が魔王になった時に継承した知識を伝えるとしよう」
フレイの言葉に納得し、魔王は手元のお茶を一口飲んでから徐に語り始めた。
「遙かな昔、この世界は今とは比べものにならぬほど荒廃していた。世界を巡る魔力は今の万分の一にも届かず、ありとあらゆる生命がその過酷な世界を生き抜く為に必死になっていたという。
そんな世界を哀れみ、神が三つの神器を世に生み出した。即ち『天を支える柱』、『命を満たす大河』、そして『心を集める宝珠』である。それらの恩恵によって世界は少しずつその傷を癒やし、人々の生活にもゆとりが生まれていった。当時それらの神器を守り、そこに住居を構えたのが今で言う精人族、獣人族、そしてお前達基人族の祖だと言われている。
だが、どんな世界、どんな社会でもそこに馴染めぬ者はいる。それら『神の恩恵』を良しとしない一部の者が、それぞれの地を出て唯一恩恵の存在しない地……即ちここに集まった。それが我ら魔族の祖。つまり魔族とはその時点で袂を分かったお前達の同族である」
「へぇ、そうなんだ」
魔王の口から語られた事実に、フレイはごく軽い様子で相づちを打つ。だがそんなフレイの態度にこそ、魔王オモテボスは驚きの表情を露わにする。
「……何だ、否定しないのか?」
「え、何で?」
「何でと言われると困るのだが……」
オモテボスの継承した記録のなかでは、以前の勇者に同じような話をしたところ、二代目の時は激しく罵倒され、三代目の時は愕然とその場に膝をついたらしい。なので今回も何らかの強い反応を予想していただけに、完全に何事もない様子で流されるのは流石に予想外だった。
(あー、でも、そうよね。これアタシが普通の勇者としてここに辿り着いたなら、衝撃の事実って奴だったんだろうなぁ……多分)
そんな風に驚く魔王の反応に、今度はフレイの方が内心で苦笑いを浮かべる。
本来であれば、フレイがここに辿り着くまでに乗り越えなければならない障害が幾つもあった。たとえば境界の森ではたった数人という勇者パーティで視界も通らぬ深い森を何日、あるいは何十日もかけて踏破しなければならない。それだけの期間魔物や魔族に襲われ続ければ、自分達以外の存在を見つけただけで殺気立って警戒することが当たり前になっていることだろう。
それは森を抜けてからも同じだ。自分達を倒すために絶え間なく襲いかかってくる魔王軍との死闘を繰り広げていれば、その合間に善良な、あるいは無害な魔族の町や村を見つけたとしても気を許せるはずもないし、そこに住む魔族達にしても連日同族を斬り殺している血まみれの人間はさぞかし恐怖の対象として映ることだろう。
そんな風に殺伐とした日々を繰り返し、やっと辿り着いた魔王城で人々の勇気を集めて結界を破る。正しく『人と魔族』の対立を象徴するその儀式を経て遂に対峙した魔王に「実は魔族と人間は同じ」などと言われたら、とてもではないが素直に受け入れることはできなくて当然だ。
だが、フレイはそんな『勇者の道』を歩んでいない。自分が何と、どんな理由で戦っているのかを知るために世界を巡り、シズンドルにて歴史に埋もれた真実の一端を知った。
過酷なはずの境界の森は到着した時には通り抜けられるようになっていたし、本来ならば自分達だけで対峙するはずだった魔王軍は魔族領域に散開した人類軍を相手取っているため、対峙したのは数えるほど。
おまけに魔王城には招待されて侵入しているのだから、本来勇者のなかで熟成されるはずの「魔族への強い敵意」がほとんど育っていないというのは当然の結果であった。
「ねぇ、ちょっといいかしらぁ?」
と、そこでムーナが声をあげる。その場の全員……魔王も……がそちらに顔を向けたことで、ムーナが頭に浮かんだ疑問を口にした。
「今の話だと、魔族と人間の元は同じなのよねぇ?」
「そうだな。少なくとも余はそう聞いているが」
「なら、何で魔族の体内にだけ魔物と同じく魔石が宿ってるわけぇ?」
それは生物としての決定的な違い。それがあるからこそ人と魔族は別物で、魔族が魔物と同じく相容れない存在であるという証拠でもある。そんな誰もが抱く当然の疑問に対し、魔王オモテボスがニヤリと笑みを浮かべる。
「ふふふ、それは――」
「それは話の続きに出てくるんじゃない?」
「……………………」
「あれ? 違った? アタシてっきり……」
「いや、まあ違わないのだが…………ふむ、もう一個食べるか?」
「いいの!? やった!」
せっかくの決め顔を若干しょんぼりさせた魔王が、何処からともなく木箱を取り出し中に入っていた饅頭をフレイの前の皿に置く。すぐにそれを喜んで食べるフレイを横目で見ながら、ムーナは少しだけ優しい表情で魔王の次の言葉を待つのだった。