染色兄弟、やり遂げる
それからの日々は、まさに戦争と言っても過言では無いくらいに目まぐるしいものだった。気合いの入ったニックがクサイム達を捕まえすぎて『根絶やしにでもするつもりか!? 加減をしろこの大馬鹿者が!』とオーゼンに怒られたり、そうやってニックが運んできたクサイムをソメオとシミールが必死に加工して染色液を作ったり、忙しそうな二人を手伝おうとして力を入れすぎたニックが機材を壊しかけてシミールに苦笑いをされたり、張り切ったニックが大量の荷物を一度に運び過ぎたせいで倉庫に入りきらなくてションボリと立ち尽くしたりと、それはもう大忙しだった。
だが、そんな苦労もやがて終わりがくる。約束の一〇日目……その日町の大通りには、訪れる貴族の要望通り、町人が総出で立ち並んでいた。
「こりゃ壮観だな」
そんな人々の姿を、町で一番高い建物である教会の鐘楼から二人の兄弟が見下ろしている。もうずっと休むことなく仕事をし続け、それでも最後に遠くからの見え方の確認をとやってきたソメオとシミールだ。
「そうだね。これみんな僕達が染めた服を着てる人なのか……こんな光景二度と見ることはないかも」
「ハッ! 最初に言われた時は何でこんな面倒なこと頼むんだって思ったけどよ、コレを見るとこうしたかったって貴族様の気持ちがちょっとだけわかっちまうのが嫌だな」
「フフフ、それ、僕も思ったかも」
二人の体はクタクタに疲れ果てていて、気を抜けばすぐにでも意識が持って行かれそうになる。でも、まだ眠るわけにはいかない。職人たる者、仕事の結末を見届けることなく終わるなんて許されない。
「でもよ、これならニックに渡す報酬はバッチリだと思わねーか?」
「うん。僕達二人にできる最高の仕事をしたからね」
限られた時間のなかで、ソメオもシミールも自分にできる全てを出し切った。これで駄目なら仕方が無いと笑えるくらいには頑張った。
「ああ、でも、こんな形で僕達の夢が叶うなんてね……いたっ!?」
兄弟揃って、最高の紫を染め上げたい。その結果を前にして満足げに言うシミールの頭を、ソメオが軽くひっぱたく。
「何するのさ兄さん!?」
「お前が馬鹿なこと言ってるからだろ。いい紫を染めるのは確かに俺達の夢だけどよ、ならここは終わりじゃなくて始まりだろ?
てか、ほんの一週間前に見つかった素材なんざ工夫の余地が余りまくってるだろうが! こんなところで満足してるんじゃねーよ」
「厳しいなぁ兄さんは。でも、そうだよね。ここからだよね」
割とやりきった気持ちに浸っていただけに、兄の言葉にシミールが苦笑する。気づけばいつも一歩引いてしまう自分を、尊敬する兄はいつだってこうして引っ張ってくれるのだ。
「っと、そろそろ件のお貴族様が到着する時間だろ? くぁぁ……あー、体を起こすのもだるいぜ」
「もうちょっとくらいなら時間あるし、少し休むかい?」
「チッ、仕方ねーな。お前がどうしてもって言うなら、付き合ってやるよ」
「はいはい。じゃ、疲れた僕のために一緒に休憩しておくれよ、兄さん」
狭い鐘楼のなかで、ソメオとシミールが背を合わせて腰を下ろす。そうして目を閉じれば、あの紫色のクサイムのように自分達も一つになったかのような気がしてくる。
眠る二人の職人の側を、一陣の風が吹き抜ける。微笑む筋肉親父の幻が過ぎ去ると、二人の体には美しい紫の布がかけられていた。
「奥様、そろそろ町に到着致します」
「あら、そうですか」
馬車の外から聞こえる御者の言葉に、馬車の主である妙齢の女性が答える。肉感的な肢体を宝石のちりばめられた青いドレスで包み込んだ蠱惑的な美女、ハデスキー子爵夫人である。
「フフン。それで? 今回の町はどんな感じなのかしら?」
「取り立ててどうということもない町ですね。強いて言うならここにしか無い染め物があるらしいですが、取引があるのは精々下級貴族までですので、奥様には縁の無い代物かと」
夫人の問いに、馬車に同乗する小間使いの女が答える。当然ながら通過する町の情報は仕入れており、そこに何も無いことは確認済みだ。
「そうですの。ならこの町でも私の美しさが頂点ですわね! オーッホッホッホ!」
「その通りでございます」
満足げに高笑いをあげるハデスキー夫人に、小間使いの女……セチガレーナは恭しく頭をさげる。もう幾度となく繰り返したやりとりだけに慣れたものだ。
(はぁ。これさえ無ければ悪い人じゃないんだけどなぁ……)
だからこそ、セチガレーナは内心そんなことを考える余裕がある。
ハデスキー子爵は、この周辺ではそれなりに力のある貴族ではある。そう、あくまでも「それなり」だ。決して一番ではない。
当主であるゲイミング・ハデスキーはやたらと光る物が好きという困った趣向をしており、日夜お抱えの錬金術師に「今度は使っている皿を七色に光らせろ」などの無茶を言っているため、財政状況にはそれほど余裕が無い。
にもかかわらず、その妻であるサラス・ハデスキーもまた絢爛豪華な見た目を好み、更にはそれを他人に見せびらかして優越感に浸ることを最大の楽しみとしている。その結果更に財政が圧迫され、セチガレーナの給料はここ数年あがっていない。
しかも、今回はハデスキー領ではなく、そのお隣のヒーテル領にまで遠征に来ている。如何に格下とはいえ無茶を言うために領主であるカルク・ヒーテル男爵に支払った賄賂と言う名の援助金を考えれば、セチガレーナの眉根が寄ってしまうのも仕方が無いことなのだ。
(自領の町は巡り尽くしてしまったからって、余所の領地まで出向いてこんなことをするなんて……その分給料をあげてくれたらいいのに)
「あら、どうしたのセチガレーナ?」
「いえ、何でもございません」
「そう? 疲れているなら少しくらいは休んでもいいのよ?」
「お気遣いありがとうございます」
何気ない感じでそう言ってくれる主に、セチガレーナは内心でため息をつく。
(本当に、悪い人ではないのよねぇ……)
「奥様、見えてきました」
と、そこで御者の男が改めてそう声をかけてきたことで、サラスがそっと馬車の外を覗き見る。するとそこには何の変哲も無い町壁と、何の変哲も無い門が見える。
「まぁ! やっぱり田舎町だけあって、地味な作りね」
(町の外壁なんてよっぽどの大都市でもなければみんな同じだし、そんなところまで飾り付けるなんて国王陛下のご来訪でもしないでしょうに……いや、お世継ぎのお披露目とかで、半年以上前から通達があればするかもだけど)
「これでは中の民草の衣服もたかが知れているわね! でもだからこそ、そういう者達に美しいものを見せてあげることこそ子爵夫人たる私の役目なのよ!」
「そうですね。全くその通りでございます」
「フフフ、今から民草の驚く顔が目に浮かぶわ!」
「そうですね。全くその通りでございます」
「ちなみに、今回の服は少し上品な感じに抑えたんだけど、どうかしら?」
「そうですね。全くその……あー、はい。奥様の気品が衣服にまでにじみ出ているようで、大変にお似合いかと」
「あら、そう? やっぱり育ちの上品さは隠そうとしても隠せないものなのね! オーッホッホッホッホ!」
条件反射による回答をギリギリのところで踏みとどまったセチガレーナの言葉に、サラスは更に機嫌をよくして笑う。ちなみにサラスの身に纏う真っ赤なドレスには所々に宝石のちりばめられたなんとも賑やかな作りであり、どの辺が「上品に抑えられて」いるのかはセチガレーナには見当もつかなかった。
「さあ、それじゃ行くわよ! このうらぶれた町に美というものを啓蒙してあげなければ!」
手にした羽根扇子をぴしゃりと閉じて宣言するサラスに従って、馬車はゆっくりと町へと近づいていった。