父、見せつけられる
「一体何があったのだ?」
「いや、それが……あの、その、うわぁ、どうしよう……」
青い顔をしてアタフタしているシミールの姿に、ニックはそっと席を立つとシミールの側によって肩を抱き、すぐ側の椅子に座らせる。
「まずは落ち着け。座って……ほら、これを飲むのだ」
「あ、ありがとうございます」
魔法の鞄から取り出した水筒を渡され、シミールがそれをグビグビと飲んでいく。そうして三分の一ほどを飲み干すと、水筒から口を離したシミールがやっと落ち着いた表情でニックの方に顔を向けた。
「はぁ……すみません。僕が家にお招きしたのに、お茶も出さないどころか果実水をご馳走になってしまって……やたら美味しかったですけど、これひょっとして割と高いんじゃ?」
「はっはっは、そんなことは気にせんでもいいさ。それよりも一体何があったのか、今度こそ話せるか? 話せない内容というのであれば無理に聞くつもりはないが、人に話すというのは自分の中でその内容を整理するのにも役立つからな」
シミールから水筒を返してもらい改めて正面の席に腰を下ろすと、ニックはあえて軽い口調で言う。すると少しだけ緩んでいたシミールの顔が再び深刻な色に染まり、自分に言い聞かせるかのようにその言葉を紡いでいく。
「そう、ですね。では順番に説明してみます……えっと、今聞いた話によると、今から一〇日後に、この町に何処かの貴族様がやってくるみたいなんです。いや、正確にはやってくるというか、通り過ぎていくだけみたいなんですけど……」
「ふむ?」
シミールの話に相づちを打ちつつも、ニックは内心軽く首を捻る。単に貴族が通り過ぎるだけならばそう問題があるとは思えないが、疑問は全ての話を聞き終えてからの方がいいだろうと、とりあえず黙って続きを待つ。
「で、ですね。その貴族様からこの町の町長に要望というか、要請というか、そういうのがあったみたいでして。その内容というのが、自分がこの町を通り抜ける際に、大通りの両端をこの町の住人で埋め尽くし、自分を見送れということらしいんです」
「ふむーん……?」
この段階で、ニックが抱くその貴族への印象は大分悪くなる。王家に連なるような貴族が相手の場合は民の側から同じ事をするのは珍しくないが、自分達から民に「そうしろ」と命じるような輩は往々にしてろくでもないことが多い。
「そこまでならよかったんです。丸一日仕事を休まなきゃいけないのは痛いですけど、逆に言えばそのくらいですしね。ただ、その貴族様の要求が他にもありまして……
その、自分のような高貴な存在を見送るならば、見送る側もそれ相応の装いでなければならないということで……
具体的には、大通りの両脇に立つ全員が新品の服を着ていなければならない、と……」
「おぉぅ……それは何とも無茶を言われたものだな」
最後に飛びだした特大の爆弾に、ニックが思わず顔をしかめる。完全な素人であるニックですらその反応なのだから、服飾系の職人であるシミールにとってはその苦悩もひとしおだ。
「はい。確かに普通に働いていれば、どうしてもとなれば服の一着くらい買う蓄えは十分にあるでしょう。でも家族全員分となると話は別ですし、仮にお金があったとしても町中ひっくり返したって新品の服にそんな在庫はありません。
一応商業ギルドの方から服飾系の職人に声をかけて、採算度外視で人を集めているらしいですけど、それでも必要数の半分にも届かないでしょうね。だからこそウチにも声がかかったわけですけど」
「……ああ、そうか! そう言えばお主達兄弟の染め物は、新品同様に見えるようになるのだったな!」
「はい。勿論本当に新品になるわけじゃないのでジッと顔を近づけて見ればつぎはぎの縫い目とかもわかりますけど、少なくとも馬車の中から眺める程度であれば絶対に気づかれない自身があります。あるんですけど……」
そこで一旦言葉を切ると、シミールが両手で顔を覆い、イヤイヤするように首を横に振る。
「無理なんです! 駄目なんです! 人手も物資も全然足りないのに、たった一〇日で何百人分も染めるなんてできるわけないじゃないですか! どう考えたって無理なのに、でも断ることもできなくて……ああ、僕はどうしたら!」
「むぅ」
ひたすらに苦悩の言葉を吐くシミールに、ニックは腕組みをして考え込む。これがニックが深く関わる相手であれば世界中を跳び回って服を買い集めてくるという手段をとったりもしただろうが、流石に通りがかっただけの町でそこまでするのはやり過ぎだ。
「おーい! シミール! いるか?」
と、そこで再びシミールの店の扉が激しくノックされる。それにシミールが応えるより早く、ノックの主はズカズカと店に入り込んできた。
「いるか? いるな? いなくても勝手に入るぞ……って、いるじゃねーか!」
「兄さん!? どうしたのさ突然!?」
「どうしたもこうしたもあるか! お前のところにも通達が来たんだろ?」
勝手に店に入ってきたソメオはそこにいたニックの姿に一瞬だけ驚くも、すぐにシミールに向かってそう言い放つ。
「その言い方だと、兄さんのところにも? 兄さんのところは高級店だから、てっきり――」
「ま、そのくらい切羽詰まってたってことだろうな。つーか、別に俺は金持ちだけを相手にしてるわけじゃないんだぜ? お前と客が被らないようにしてたらたまたま金持ちが多くなっただけって言うか……あー、まあいいや。で、どうすんだ?」
「どうって……こんなの無理に決まってるじゃないか!」
ソメオの問いかけに、シミールは悲壮な表情でそう叫ぶ。だがそんな弟の姿に、ソメオは心底落胆したような表情を見せる。
「ハァァ……そうじゃないだろシミール。世話になったギルドマスターが俺達に頭を下げてきた。だがそれでも確かに俺達に選択肢はある。
でもそれはできるかできないかじゃない。やるかやらないかだ! で、お前はどうする? やるのか? それともやらないのか?」
「それ、は……」
尊敬する兄の言葉に、シミールは答えられない。シミールの頭の中にあったのは「無理」「できない」「不可能」という否定の意思だけで、やるかやらないかなどという選択肢は存在していなかったからだ。
「そりゃ僕だってお世話になったのは覚えてるし、できるなら協力したいけど……でも無理なんだよ! そんなの兄さんにだってわかってるだろう!?」
「だから、そんなことは聞いてねーって言ってるだろ! やるか、やらないのか! どっちだ!? この町で生きる染め物職人として、お前はどうしたいんだ!?」
「……やりたいよ! やりたいけど、でも――」
必死に首を横に振り続けるシミールの肩を、ソメオがガッシリと掴む。うっすらと涙すら浮かべたシミールの眼前には、兄の燃えるような瞳がある。
「なら、やるぞ! 大丈夫、俺がついてる! 俺達兄弟が力を合わせれば、どんな困難だって乗り切れるさ!」
「兄さん……」
ただ否定を繰り返すだけだったシミールの胸に、兄の情熱が燃え移ってくる。それはシミールのなかにある不安の塊を溶かしていき、最後に残ったのはほんの少しの苦笑いと、兄に対する憧憬の念。
「やっぱり兄さんは凄いな。僕じゃとても敵わないよ」
「当たり前だろ。俺はお前の兄貴だからな!」
小さな体の大きな兄と、大きな体の小さな弟。ちぐはぐだからこそガッシリと噛み合う兄弟の挑戦が、今この時幕を開けた。