父、変わった依頼を受ける
娯楽と芸術の国、イッケメーン王国への旅を始めたニックとオーゼン。その道のりの途中にある小さな町の冒険者ギルドにて、ニックは珍しい依頼に目を引かれていた。
「特別なクサイムの捕獲?」
『クサイムというと、この前貴様が使おうとしていた強烈な臭いを放つという魔物か?』
「まあ、そうだな」
オーゼンからの言葉に、ニックはなんとなくうわの空で言葉を流す。その間にもニックの視線は依頼書に向いたままであり、そこに記載されている情報を素早く読み取っていく。
『おい、まさか貴様、その依頼を受けるつもりか?』
「うん? そうだが、何か問題があるのか?」
通常の冒険者と違い、ニックは金には一切困っていない。なのでニックが依頼を選ぶ条件は「自分の興味を引くこと」が一番であり、そういう意味ではこの依頼の優先度は極めて高い。
「一体何が特別なのか、面白そうではないか」
『まったく貴様という奴は……まあいい。だが我の相棒が全身を猛烈な悪臭に包まれるなどというヘマをするのではないぞ?』
「ははは、わかっておるさ」
少しだけ呆れた口調で言うオーゼンに笑って答えると、ニックは張り出されていた依頼書を手に受付の方へと歩いて行く。いつも通り混み合う時間を外しているため幸いにして順番待ちをすることなくすぐに窓口に辿り着くと、ギルドの制服を着た受付嬢が愛想のいい笑顔で挨拶をしてきた。
「いらっしゃいませ。冒険者ギルドへようこそ!」
「うむ。儂は今日この町に来た鉄級冒険者のニックという者なのだが、この依頼について聞いてもいいか?」
「鉄級冒険者のニック様ですね。勿論です……って、ああ、これですか」
受付カウンターの上に置かれた依頼書をちら見して、受付嬢がしたり顔で頷く。それも当然で、彼女は同じ事を何度も経験しているからだ。
「一応確認なんですけど、この依頼をお受けになるのは今回が初めてですか?」
「む? ああ、そうだが?」
「わかりました。でしたらこの依頼はちょっとお勧めできません」
「そうなのか? 何故だ?」
冒険者ギルドの受付嬢はあくまでも依頼主と冒険者の仲立ちをするのが仕事なので、基本的には依頼の受注に口を挟んだりはしない。顔見知りの冒険者がよほど無謀な依頼でも受けようとしていれば善意から忠告することはあるが、少なくとも今日初めて会ったような相手にこのようなことを言うのはかなり異例だ。
ならばこそニックは不思議そうな顔で首を傾げたのだが、それもまた慣れているのか受付嬢はニッコリと笑って言葉を続けていく。
「この依頼にある特別なクサイムというのは、捕まえるのにちょっとしたコツいるみたいなんです。それを聞かずに依頼を受けた冒険者の方の失敗が頻発してしまったので、今はこの依頼主の方がクサイムを捕獲する間の護衛依頼の方を先にお勧めすることになっているんです。
要は実地訓練ですね。依頼主の方に出向いてもらう分報酬は安くなってしまいますけど、そこでどうやって捕まえるのかを学んでから、後は大体月に二、三度でるこちらの捕獲依頼を自己責任で……という感じですね」
「なるほど、そういうことか。わかった、ではそちらにしよう」
「ご理解いただきありがとうございます。ではすぐに手続きをしますね」
極めて合理的な説明に納得し、ニックは依頼の変更を快諾した。そうして手続きを終え、翌日待ち合わせの場所まで向かうと……そこに待っていたのは目が冷めるほどの真っ赤な服を身に纏った、三〇歳くらいと思われるずんぐりむっくりとした体型の男性が待ち構えていた。
「ん? アンタが依頼を受けてくれた冒険者か?」
「そうだ。ということは、お主が依頼主の?」
「そうだ。俺はこの町で店を構える新進気鋭の染め物職人、ソメオだ! 宜しくな」
「ソメオ殿だな。儂は鉄級冒険者のニックだ。こちらこそ宜しく頼む」
大きな丸鼻の下に立派な髭を蓄えたソメオが人好きのする笑顔で手を差し出し、ニックは笑顔でその手を握り返す。そうして軽く挨拶を終えると、二人は早速とばかりに町の外へと歩き出していった。
「で、ソメオ殿。今回は特別なクサイムを捕まえるということだが、一体どう特別なのだ?」
「おう、それそれ。アンタも冒険者なら、クサイムが雑食で何でも食べるってのは知ってるだろ? 体の中に取り込んだものを少しずつ腐らせながら消化していくからあの猛烈な臭いになるってことらしいんだけど……っと、ほれ、あれ見てみろよ」
そう言ってソメオが指さす先には、ソメオの着ている服と同じ、目の冷めるような鮮やかな赤い花弁を開いている小さな花が咲いている。
「あの花……マジギレッドって花なんだけど、あのクサイムはこれしか食べないんだ。そうするとどうなるか……わかるかい?」
「ふむん? 赤い花しか食わないというのなら……ひょっとして赤くなったりするのか?」
『おい貴様よ、いくら何でもそんな単純なことが――』
「大正解! で、その赤くなったクサイム……俺はアカイムって呼んでるんだけど、そのアカイムの体液を上手いこと処理すると布を染める染料になるってわけさ」
『……………………』
「なるほど、それで赤いクサイム……アカイムか? それを欲しているというわけか」
「そういうこと。ほら、ここを越えりゃ目的地だぜ」
意気揚々と小高い丘を登っていくソメオに着いて、ニックもまたそこを登っていく。するとその先には見渡す限りの真っ赤な絨毯が広がっていた。
「おおお! これは壮観だな!」
「だろう?」
目の前にあるのは、地面を赤一色に染め上げるマジギレッドの広大な花畑。そんな美しい光景の中には何十匹もの赤いプニョプニョがのんびりと蠢いている。
「つーことで、アレを捕まえるのが俺の仕事で、そんな俺を守るのがアンタの仕事ってわけだ。そんなに多くはないけど、一応この辺には他の魔物も出るから、いざって時は宜しく。
あー、ただ、もし魔物が出てきた場合でも、あんまり派手に暴れるのは控えてくれ。ここの環境が大きく変わっちまうと今後ここでアカイムを捕まえられるかわからなくなっちまうからな」
「わかった。十分に注意して戦おう」
「おう、頼んだぜ」
力強く頷くニックに笑顔で親指を立てて答えると、ソメオがアカイムの側へと近づいていく。そうしてすぐ側まで辿り着くとその場で中腰になり、まずは近くにこれまた真っ赤に染色された麻袋の口を大きく広げると、足下に生えているマジギレッドを無造作にむしってアカイムの鼻先(?)でヒラヒラと動かし始めた。
「ほーれほれほれ、上手い餌がここにあるぞー? ほれほれほれー」
「ほほぅ、そうやって捕まえるのか?」
「ああ。どうもこのアカイムは普通のクサイムより刺激に弱いらしくてさ。普通に手で掴むとパチンと割れちまうんだよ。
普通のクサイムと違って臭いわけじゃないけど、そうなったら当たり前だが体液の回収なんてできない。なら手間でもこうするしかないってわけさ。ほーれほれほれー」
「なるほどなぁ。確かにそれだと事前情報無しでは失敗するだろうなぁ」
実際にやってみるわけにもいかないが、おそらく普通のクサイムの感覚で触れるとそれだけで弾けてしまうのだろう。改めて忠告してくれた受付嬢に感謝の念を送ると共にソメオの作業を見守っていると、おおよそ三〇分ほど経過したところでようやく一匹のアカイムが麻袋の中へとプニョプニョ入り込んでいった。
「よっしゃ、捕ったぜ! できればあと三匹くらいは捕まえたいから、悪いがもうちょっと付き合ってくれ」
「わかった。こちらは問題ないから、気にせず頑張ってくれ」
ずっと曲げていた腰を伸ばして一息つくソメオに、ニックはそう答えつつ油断なく周囲の警戒を続ける。万が一アカイムに変な影響が出ては困るとできるだけ気配を抑えていただけに無謀な魔物が何度か襲ってきたが、そのどれもがニックに瞬殺され、アカイムにもマジギレッドの花畑にも被害が出ることはない。
そうして更に二時間ほど経過したところで、ニック達は大きな問題もなく予定数のアカイムを捕獲することに成功した。