娘、激闘する
「……………………」
チラリと視線を送ることすらせず、ウガルガは斬られた右足に軽く力を入れる。
と言っても、その行為に合理的な意味はない。ここまで浅い傷では筋肉を締めたところで効果などないし、そもそも何もしなくても既に血は止まっている。ジンジンと焼けるような痛みはあるが、この程度の痛みを気にしていたのは遙か幼子の頃だけだ。
「ウガァ!」
故に、その踏み込みの力強さに些かの陰り無し。大剣を横薙ぎに振るったウガルガの一撃を、フレイは今回も聖剣で受け止める。
「っ!? やばっ!?」
そのあまりの剛力に体が浮きそうになり、フレイは即座に縦に受け止めた剣の角度を浅くして衝撃を自分の体に乗せるようにする。元々踏ん張っていた足はそれをしっかり受け止めることができたが、代わりに腕の筋肉は強烈な力の変化に耐えきれず悲鳴をあげる。
(こりゃ何回もは流せないわね……でもっ!)
横に弾き飛ばす力を、斜め上から押しつける力に変えた。ならばそれを利用すればとフレイは力に逆らわずその場でしゃがみ込むように膝を曲げ、一瞬の隙を突いて低い姿勢のままウガルガに向かって突進する。
「ウガッ!」
小さなフレイの体が更に小さく低くなったことで、ウガルガの視界から刹那その姿が消える――だがそれは巨体を誇るウガルガにとって常に敵が取り得る戦術であり、ウガルガは焦ること無く敵がいるはずの場所……即ち己の前方に向かって全力で蹴りを放った。
丸太のような足から繰り出される前蹴りは、フレイの体に直撃せずとも触れるだけで吹き飛ばすほどの威力がある。相手の姿を確認せずに放ったからこそ回避不能の速攻……しかしそれを、フレイは完全に読み切っていた。
「フッ!」
「ウガッ!?」
放たれた蹴りの側面をパシンと素手で叩き、当たるすれすれのところをフレイの体が回転しながら抜けていく。そのあまりにも洗練された動作に、ウガルガは思わず声をあげてしまう。
(悪いけど、アンタみたいな相手と戦うのは慣れてるのよ!)
声には出さず、フレイは内心でニンマリと笑う。巨体で剛力の相手との近接戦……普通であれば致死の間合いこそ、フレイが最も対処に長ける場所。何度も何度も組み手をした己の父こそ、そういう存在の頂点だとフレイは信じて疑わない。
「ハァッ!」
蹴りをいなした勢いを遠心力と変え、低い姿勢のまま独楽のように回ったフレイが聖剣を横薙ぎする。その一撃はウガルガが軸足として残した左足の腱をそれなりに深く切り裂き、先程とは比較にならない程の血がそこから噴き出していく。
「グゥ、マダダ!」
「当然!」
それでもなお動きを緩めず振り返ったウガルガに、フレイはニヤリと笑って素早く立ち上がり聖剣を構える。ウガルガの敵愾心を一心に引き受けるのは、偏に背後からの仲間の援護を信じるが故。
「我が血は知なり! 我が道は竜なり! 流るるを留め荒ぶるを治め、かの地に我が怨敵を楔止めん! 顕現せよ、『竜鱗血鎖』!」
「ウガガッ!?」
瞬間、ウガルガの足下から竜の鱗が連なった鎖が噴き出し、その全身に絡みついてギシギシと締め上げた。その力の源泉はロンの腕から滴る血液であり、とぷりとぷりと流れゆく血よりも遙かに早い勢いでロンの体中から急速に力が失われていく。
「黒い月、無限の穴、理は我が手の内に在り――」
それに驚いて振り返ったウガルガが目にしたのは、戦闘中だというのに目を閉じて一心に詠唱を重ねるムーナの姿。その杖の先に浮かぶ輝く暗黒とでも言うべき球に、大戦士としての経験と生き物としての本能の両方がかつて感じたことがないほどの警戒を訴えかけてくる。
「ウガァァァァァァァ!」
「させないわよ!」
全身の筋肉を隆起させ、ウガルガが全力で己を拘束する鎖を引きちぎろうとする。それを邪魔するべくフレイが必死にウガルガに斬りつけるが、思ったよりもずっとダメージを与えられない。
「まったく、何でこんなに硬いのよっ!」
身長差がありすぎるため、目のような急所は狙えない。かといって適当に斬りつけるのでは鎖を引きちぎるべく力を込めて硬く引き締まったウガルガの筋肉を切り裂ききれない。
「ぐっ、うっ……も、申し訳ありません。もうそろそろ限界です……っ」
そして、ロンもまた悔しそうな表情をしてそう告げる。己に流れる竜の因子を用いて使う種族固有のこの魔法は自己完結する精霊魔法とでも言うべきもので、魔力の他に体力、あるいは生命力とでも呼ぶべきものまで消耗する。それは文字通り命を削る魔法であり……だがそれでもウガルガの全力を押さえ込むにはやや足りない。
「ムーナ!」
「穿つ黒点、導くは終焉。今ここの英知は集い――そして全てが帰結する! 『コラプス・スターホロウ』!」
その時、焦るフレイの呼びかけに応えるように、ムーナの構えた杖から人の頭ほどの大きさの黒い球体が打ち出された。歩くような速度で進むそれは、触れた全てを崩壊させる禁術指定の滅びの星。
「ガァァッ! グァァッ! ゴァァァァッ!」
迫り来る力の巨大さを正しく理解し、ウガルガはその体に全身全霊を込める。骨が砕け筋肉が張り裂け、生き物として動くはずの無い体になってすら限界を超えた力を生み出し続けるのは、その身に宿す戦士の覚悟――否。
「タリア! ティーナ!」
血管が切れ血に染まる視界の先に映るのは、愛する妻と娘の姿。なればこそその名を口にしただけで、ウガルガの体に無限の力が満ちあふれる。
「ウガァァァァァァァァァァァァァァァ!!!」
「ぐあっ!?」
ムーナの生み出した崩壊の星がウガルガに届く少し前に、遂にウガルガは己の身を縛る拘束を打ち破った。だが逃げようとしたのもつかの間、フレイによって執拗に斬りつけられていた己の足にはもう力が入らない。
「ナラバ!」
「えっ!?」
ウガルガは手にしていた大剣を寝かせ、すぐ横で自分を攻撃していたフレイをすくい上げ、崩壊の星に向かって投げつける。触れれば必死の魔法の前に無防備に浮いたフレイの体が晒されたことで、ロンとムーナは驚愕と絶望の声をあげた。
「フレイ!」
「フレイ殿!」
渾身を込めた魔法を一瞬で消去する方法などない。それでもムーナとロンは己の命を削ってフレイを救うべく魔法を発動させようとし……だが間に合わず、フレイの体が崩壊の星に衝突して――
「そうくると思ってたわよ!」
「ナンダト!?」
全てを崩す黒い星は、『決して壊れない』フレイの聖剣に宿っていた。まるで串に刺さった団子のように刀身の中程に黒い球体をつけた聖剣を構え、ヒラリと着地したフレイはそのままウガルガの方に突っ込んでいく。
それは当たり前の光景、当たり前の結末。どれほど優秀な仲間がいたとしても、とどめを刺すのはいつだって勇者に決まっているのだから。
「たぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
まっすぐに突き出された聖剣が、ウガルガの腹に刺さる。それに一瞬遅れて崩壊の星がウガルガの体に到達すると、キュボッという軽い音と共に崩壊の星が弾けて消え、同時にウガルガの腹にその数倍の巨大な穴が空いた。
「ウ……ガ…………」
腸の半分近くをただの一撃で削り取られ、ウガルガはその場に膝をついた。即死こそ免れたものの、全力を振り絞った直後にこれだけの傷を負えば、流石の大戦士もこれ以上は戦えない。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
「ミゴトダ、ユウシャヨ……オマエノカチダ……」
肩で荒い息を吐くフレイに、ウガルガは怒りも憎しみも感じさせない澄み切った瞳でそう告げる。
「オマエ、オレニカッタ。ダカラサトノモノ、オマエニシタガウ。オレタチ、モウニンゲン、オソワナイ。デモデキレバ、マオウグントモタタカワセナイデクレ。
センシノホコリ、ミンナアル。ソレデモナカマトタタカウ、ヤッパリカナシイ」
「はぁ……はぁ……」
ウガルガの言葉に、フレイは何も答えない。答えないまま、その小さな体が自分に近づいてくるのがぼやけた視界に映る。
「オレノクビ、モッテイケ。ソレデオマエ、カンゼンニカチ……」
目前まで迫ったフレイが、ウガルガに向かって手を伸ばしてくるのが見える。それが自分に触れたときが死ぬときなのだと悟り、ウガルガはそっと目を閉じた。
「タリア……ティーナ…………」
「はぁ……はぁ……これで…………終わりよ…………」
「モウイチドダケデモ……アイタカッタ……」
死に様にこそ戦士の誇りが宿るというのに、自分は何と女々しい言葉を残すのか。そんな自分の弱さに幻滅し、だが悪くないと苦笑して……その体にヒヤッとした感触が走ったのを最後に、ウガルガの意識は暗闇へと落ちていった。